母親がFacebookを…

2013-02-17 (日)

家族家事家

うちのお袋がFacebookを始めた。

 

昨年、72歳のお袋が何を思ったかノートPCを買い、しこしことワープロなどの勉強を始めたのは知っていたし、確か正月休みにFacebookというものがあって…という話はした。ひょっとしたらアカウントを取ってあげたのはぼくだったかもしれない(忘れた)。

 

しかし、数日前から急にプロフィール写真がアップされたり、ぼくの投稿にコメントを寄せるようになった。うーん。なんかキモチワルイ。

 

ついつい下ネタとかを書いてしまいがちな自分であるから、お袋に読まれるのはどうもね。まあ、そもそも自分のプロフィール写真はアフロのかつらを被ってたりするから、いまさらではあるんだけどさー。

 

…ということでたまりにたまった日記をアップ。

 

[13.02.02]

・防災士研修会。前・山元町山下中学校校長、防災士ネットワーク会長、県社協など多彩な講師陣。

・ブラザー理容にてカット。

[13.02.03]

・防災士研修会。神戸の街づくり、ハザードマップ、災害復旧など。試験。

・リンコ発熱。明日から西都に言ってもらう。

[13.02.04]

・友絵に連れて行きつつ、ジジババにバトン。

[13.02.05]

・健康診断活用教室。宮崎市にて基金活用説明会。夕方からサポステの区割り協議。

[13.02.06]

・にちりん8号にて延岡へ。宮崎駅で伊藤先生にバッタリ。牧水賞御一行。

・延岡市にて基金活用説明会。県北地域雇用対策協議会。途中で津波注意報。日向市にて説明会。日向に向かう途中の車で「フラワーズ」に加納さんが出演。きゃーとか思いながら運転してたらなぜか高千穂へ。Uターン。

・求評会に知人がずらり。中原シェフ、柏田料理長、ふるふる、亜矢さん、高峰ちゃん、理恵ちゃん…。芋生さんに会いたくて残業後22時から参戦。2次会のhanaでノンアルで。そのあと辛麺まで。

[13.02.07]

・サポステ調整。2社とも来訪。

[13.02.08]

・ サポステ調整。修正してあるもダメ。

[13.02.09]

・息子の耳鼻科。娘1号のピアノ。

・調家とのランチ会。「シャロン」。臨海公園の遊具でひとしきり。また会いましょう。

・「hana5周年パーティ」へ。東京から英輝さん、鍋シェフ、りえ子ねえ、じゅんじゅんも参戦。すげえな。窪くんから葉巻を貰ったり、加納さん・児玉さんと真面目に語ったり、なんて楽しい。2次会、2号店へ。たっちゃん、あっこさんも。

[13.02.10]

・掃除や洗濯など。息子がまたDSをどこからか借りてきてた。しかも嘘証言。はー。午後のイベントキャンセルで。夕方、都城まで廃品処分へ(PCモニター、ラジカセ、ファンヒーター、プリンター、加湿器、体重計、自転車など)。夜「八重の桜(2)〜(4)」。

・「永遠の0/百田尚樹」★★★★。戦争の追体験(特に海軍飛行隊の記述)として未知な部分が多く深い感銘を受ける。その反面、それを繋ぐ現代のストーリーがご都合良すぎて少し興ざめ。惜しいなあ。

・「AKB48の戦略/田原総一朗・秋元康」★★★★。立ち読みするつもりが、面白くてつい購入。決して嫌いになれない秋元康の「実は優しい部分」がよく出ている。

[13.02.11]

・都農マラソン。2’03’56。ひどいタイム(涙)。練習もしてないのに前半飛ばしすぎ。死ぬかと思った。

・帰宅後、昼寝。

[13.02.12]

・終日、小林出張。小林市への説明会。はなどう検査。ハローワークヒアリング。ランチ「なかにし」にてステーキランチ。リーズナブルではあるけど、肝心の肉がもう少しなあ。

[13.02.13]

・都城出張。都城市への説明会。ランチ「いってつ」。替え玉して食い過ぎ感。

[13.02.14]

・中央会からの次年度計画説明。WBC説明会。事業シートを新様式に合わせて。

・K納女史+K玉女史と内緒の打ち合わせ。

・バレンタインと思って早く帰宅するも家族はお疲れで寝てる。

[13.02.15]

・WBC合宿初日。朝3:30起床。4:30出発。女子3人を拾って5:30現地集合。駐車場整理のようなそうでないような。終日ゆきこちゃんと。

[13.02.16]

・朝から洗濯、掃除。昼からワイン会。K夫妻、Tさん、Kさん、あとからTくん。贅沢な時間。

・夕方18:27の高速バスで熊本へ。熊本泊。

[13.02.17]

・ことばときこえの親の会九州連絡会。勉強になった。

・16:10の高速バスで宮崎へ。

 

↑ページの先頭へ

濱田ここね

2013-02-12 (火)

友人知人 家族家事家

たまには普通の更新も。つか、間が開きすぎた。

 

**

 

うちの娘1号が、学校で一番仲のいいが濱田ここねちゃんだ。1年から3年の今までずっと同じクラス。ここねちゃんは、お父さんがローカルタレント・濱田詩朗さんであり、本人もホンダカーズをはじめ、いろんなCMに登場している。

 

ところが、昨年ぐらいから東京のミュージカルに出たり、各種オーデションを受けたりして、タレント業が本格化していった。当然、学校へは来れない。うちの子も、毎朝のように「今日は来るかな〜」と言っていたし、たまに出席すると「今日はここねちゃんが来た!」と嬉しそうに報告してくれた。

 

そのここねちゃんが、今度映画に主演することになった。かつて日本中を、いや世界を席巻した「おしん」の映画化に抜擢されたのだ。

 

娘1号はそのニュースを見ながら「ここねちゃん、映画に出るんだって。すごいねー」とこれまでと変わらない感心の仕方をしている。違うのにな。今回のことは、ここねちゃんにとって、とても大きな転機だ。普通に考えれば、子役としての活動拠点を東京へと移すことになるだろう。あれだけ仲良くしていたのに、もうここねちゃんとじっくり遊ぶこともなくなるんだろう。

 

そう思うと親としては切ないものもある。本音ではずっと一緒に遊んでやって欲しい。とはいえ、ここねちゃんは普段接していても、スターの才能があふれている。うまく回りが導きさえすれば、大輪の花を咲かせることだろう。だからもちろん応援するさ。…ということで、メディア向けの段取りもコソコソと仕込んだりもするのである。ああ、大人な世界。

 

[13.01.21]

・ダッシュでコムズ銀座の名物朝食を食べて空港へ。ANA603。一旦帰宅して出勤。

・急遽設定された 市町村説明会へ。挨拶と概要の説明。雇用推進員面接。

[13.01.22]

・朝から虹。春のような陽気。

・仙台からの土産で夕ごはん。

[13.01.23]

・センター長と時間変更の件で。フードコーディネーター協会打合せ。

[13.01.24]

・防災訓練。基金要望関係部長レク、次長レク。

[13.01.25]

・都城に出張予定をキャンセルし、国への要望額を整理。

[13.01.26]

・五ヶ瀬へ。途中川島アナにご挨拶。都農「mangoya」にて初鹿野さんに遭遇。ランチ「縁ラーメン」。ゆっくりし過ぎてフォーラムに遅刻(笑)

・意外にもHさんの話が面白かった。もっと聞きたい。2次会は妙な会に。町長面白いな。

[13.01.27]

・家人が仕事。子ども3人を連れて川南軽トラ市。終了時間を間違えて、いろいろ買い損ねたッ。とりあえずキムチとかmangoyaのジュースとかはゲット。ブラザー理容へ行くも混んでいて愚息と娘2号のみカットして帰宅。

・夕食におでんと「男山」。「命のあしあと」★★★★。

[13.01.28]

・午前中休。さとなお来県。空港迎→県庁にて横山、防災士Nと打合せ。ランチに理恵ちゃんを呼び出して「富滋味」。師匠は尾崎牛の汁そば。

・午後、高校の先生向けの説明会へ。JA-AZM。

[13.01.29]

・フロンティア会来訪。

[13.01.30]

・今日から各部への基金説明会。午前商工。労働関係連絡会を挟んで、環境。

[13.01.31]

・総合政策。委員監査。都城市来訪。基金の話も。

・室の送別会。H崎さん無事に元気な子を。「ビストロコダマ」。

[13.02.01]

・農政。ここちゃんの件でブルーといろいろ打合せ。

・「奈良美智展〜君や僕に似ている」★★★★★。素敵過ぎる。「こだま」でメシ。

↑ページの先頭へ

宮宮コンビから宮宮の絆へ〜終

2013-01-30 (水)

地方公務員 宮崎県

さて最終回。今日はまたいちだんと長い。すまん。

 

 

NPO法人ファイブブリッジ」理事長の畠山さんとお会いしたのは、2012年9月末だった。NPOへの支援活動を通じて畠山さんと繋がっていた友人がランチに誘ってくれたのだった。

 

畠山さんは、本業は地元紙である河北新報社員でありつつ、NPOでの活動として、震災前から産学官連携のコミュニティー活動をされている方だ。ところが、大震災が起きたことで、必然的に人と人を繋いで復興につなげる役割も担ってこられたようだ。*メンバーのひとり・山田さんの活動は、ほぼ日などでも取り上げられている。

 

そのような活動のひとつとして宮ギ県内での軽トラ市を企画していた畠山さんは、「宮城こせがれネットワーク」の志村さんと一緒に、口蹄疫の被災中心地・川南町の軽トラ市(たぶん日本最大級)を視察に来ていたのだった。

 

県庁近くの郷土料理屋で冷や汁定食を食べながら、「宮宮コンビ」だとか、人と人の繋がりといった話をした。平日の昼休みであったから、正味50分ぐらいの時間であろうか。そのときは自覚がなかったのだが、宮ギの人に宮宮の話をしたことで、自分の中の何かが動いたんだと思う。プスプスとくすぶっていた消し炭のような「宮宮」への思いに、じわっと火が付いた。消し炭は簡単に火がつく。そして意外にも火力が強く、新しい炭を追加すれば、あっという間に燃え上がる。

 

それまで、ぼんやりとではあるが「誰か」のために「何か」をしなくちゃいけない、と思っていた。実際、ぼくの周りの知人たちは、震災を期にいろいろなアクションを起こしていた。敬愛するりえ子姉は、震災以降、ずっと東北に通っている。知人であるカメラマンの蓮井さんは「スマイルレター」というプロジェクトに取り組んでいたし、師匠であるさとなお氏なんて、国を動かし公益社団法人まで立ち上げた。

 

でも、畠山さんと話をしてから、少しずつ「何かをしなくてもいいのかもしれない」と思うようになっていった。そもそも、そうそう東北に行くことはできない(時間的にも金銭的にも)。具体的にお役に立てるような技能もあまりない(補助金の申請手続きぐらいはできるか)。でも、「何かをする」のではなく、震災の動画や写真では見えないことを「感じてくる」だけでもいいのかもしれない。

 

よくよく考えてみれば「宮宮コンビ」は、「宮」が共通、という冗談みたいなことでスタートしたのだ。すべては動きながら考えてきた。今回だって、動いているうちに何かが始まるかもしれない。まずは行ってみよう。行ってから考えよう。ぼんやりとした思いが、実際の行動に繋がったのは、ようやく11月になった頃だった。

 

中身は何も決めずに、飛行機のチケットだけをおさえた。2泊3日。漠然とイメージしたのは「1日はレンタカーで海岸線を走ってみる」「1日はボランティア?」ということぐらい。あとは「残り1日、県職員もしくは地域の住民と話をしてくる」といった感じかなあとイメージしていた。

 

訪問直前になって畠山さんにFBでメッセージを入れた。何も考えずに行ってしまってもよいけれど、「被災地を見るのならここに行け」「この人なら話をしてくれるかも」というアドバイスぐらいは貰っておこうと考えた。そしてせっかく知り合いになったので、ちょっとお会いしましょうと。

 

そんなぼくの「軽い」相談を、畠山さんは真摯に受け止めてくれた。「甲斐さんの関心事はどの辺りなのでしょうかねぇ。…電話でもやりとりしながらすり合わせして、甲斐さんツアーのベストプランをコーディネートしましょうか?」そういう返事が来た。

 

ネットワーク力のある畠山さんの周りには、自らもフットワークよく「動く」人が集まっている。アイデア出しやら、具体的な調整やらを行った。特に今回は、宮ギ県庁の野呂さんが、行程の細かな段取、訪問先との調整などを全部引き受けていただいた。出発の2日前に、詳細なスケジュール表ができあがった。

 

 

しかしてこの行程は、まるで知事レベルの視察行程であった(笑)。すべての行程にアテンドが付き、車も出してもらえて、関係者との意見交換や現地視察までしてくれるというのだ。ぼくは、ただ畠山さん野呂さんのガイドにお任せしていればよい。…うーん。これは本末転倒じゃないか。そうやって遠慮するぼく(こうみえて、一応気は遣う)に対して、畠山さんはこう言ってくれたのだ。

 

「ぼくらも外からくる方を案内するトレーニングになります。今回は野呂くんがアテンドしますが、キチンと現状を伝えられる人も育てなくてはいけないのです。」

 

この言葉で、ぼくも随分気持ちが楽になった。特に野呂さんは、会ったこともないぼくのために、相当の労力を注いでくれている。なんていい人!

 

…そうなのだ。今回、特にこのお世話になった2人への報告書のつもりで、書き始めたこの文章なのである。でも、今の気持ちを伝えるには、これまでの経緯をある程度ちゃんと書かねばならぬなあ…という思い始めたら、ずるずると書き連ねて、とうとう「前置き」がすごい長さになってしまった。まあ、実際、ぼくにとっては、そういう長い時間がかかっている物語なのだ、ということです。

 

 

さて、今回の訪問は、「被災地の今を感じること」が目的ではあったが、その「今」というのは、主に「被災状況」「復興状況」を感じとる、というほどのつもりであった。震災から2年という意味を、風景の中から感じてみようと思っていた。

 

実際、北は気仙沼から、南は塩釜まで車で走ってみて、一面の更地となってしまっている元・住宅街をいくつも見たし、津波遺産のような「第十八共徳丸」や「南三陸町防災対策庁舎」、「門脇小学校」の前に佇んでみたりもした。

 

幹線道路には「○○省○○対策事業」という旗を掲げたトラックが列をなして走っていた。瓦礫の山、廃車の山が、あちらこちらに小山のように積み上がっていた。そんな小山を周囲に抱えた「瓦礫処理プラント」が何カ所もあり、もくもくと煙をあげて、焼却処理を行っていた。海岸は未だ地盤沈下が止まらないらしく、あちらこちらで海水があがっていた。想像していた以上に「震災の記憶」「津波の記憶」はまだまだ残っていた。

 

でも、ぼくが「今」を感じたのは、そういうハード的なものだけではなかった。さまざまな分野で前に向かって戦っている市井の人々の中にこそ、宮ギ県の「今」を感じることができた。

 

■宮ギ県庁から山元町に派遣されているA氏は、JR線の再建にあたって線路を山側に移設する案について、住民の意見がぷっつり二分されていることに心を痛めていた。

■宮ギ県庁N氏は、昨年から震災復興推進課に異動し、まさに最前線で国との調整業務に追われている、ということを持参した資料を使いながら丁寧に教えてくれた(居酒屋で飲みながら)

■宴会に来てくれる名前を聞いても思い出せなかった宮ギ県庁のSさんは、顔を見た瞬間「あ!知ってる」と(お互いに)思い出した。遠距離恋愛は大変だ。

■宮崎で会ったことがあるのかもしれない宮ギ県庁のSさんは、やっぱりたぶん初対面、のハズ。

■仙台「○たけ」の石山くんは、あまり練習してないといながら、おめでたい詩吟「宝船」を吟じてくれた。

■そこにあとから駆けつけてくれたリエちゃんは、シェアカフェ「まるはた」の専属?料理人として畠山さんを支えていた。

■気仙沼「アンカーコーヒー」のやっちさんは、気仙沼の海岸エリアの復興計画がなかなか進まず、本店の再建ができないことに苛々しつつ、わくわくするビジネスプランを語ってくれた。

■気仙沼「洋菓子店コヤマ」の五代目小山さんは、「絆」という名のカステラをつくりパッケージに「おだづなよ!(こんちくしょう!)」という叫びを刻んだ。

■宮ギ県庁のスーパースター山田さんは、事前に聞いてた以上に、奥さんとラブラブであった。

■気仙沼「すがとよ酒店」の菅原さんは、日南からやってくるカツオ漁船団のために「白霧島」を用意してますと笑顔で言った。

■南三陸さんさん商店街「ヤマウチ鮮魚店」のお母さんは「三陸ホタテの炙り焼き」がすごく美味しいとオススメしてくれた(もちろん買った)。

■石巻「漁業生産組合 浜人」の阿部くんと西條くんは、地元・十三浜の漁業をどうやって強いビジネスにして末長く生き残っていけるかを考えていた。

■「津田鮮魚店」の津田くんは、3月に行う自分の結婚式で、式場から披露宴会場まで間で大名行列をやりたいと言った。

■石巻「居酒屋五エ門」のバイト君は、沖縄からボランティアで入ってそのまま石巻で働き続けていた。

■塩釜「マルブン食品」のブンさんは、慶長遣欧使節団の出航400年の記念事業として3年後のミラノ万博で屋台村をやりたいと妄想していた。

■宮城県仙台地方振興事務所農業農村整備部のブログ「なおこが行く」を書いているなおこさんは年末に第2子を産んだばかりだった。

■宮ギ県庁のノロッチは、奥さんラブで、子どもラブで、必殺タグ付け職人で、ぼくに秋田のジュンサイ狩りを超プッシュしていた。

■NPO理事長の畠山さんは、とにかく顔が広くて、発想が自由で、第一次産業を心から大事にする、こせがれたちのアニキであった。

 

 

今回、仙台〜気仙沼〜南三陸〜石巻〜塩釜で、たくさんの人と、いろいろな話をした。震災のことだけでなく、家族のこと、ビジネスのこと、恋話や下ネタも話した。そうすることで、徐々に東日本大震災というものが、ぼくの中で、立体感をもって目の前に立ち現れてきた。

 

そうなんだな。たまたま震災に遭い、家や店が流されて、家族や知人を亡くして、被災者となってしまった宮ギ県の人たちは、明日のぼくであり、あなたでもあるのだ。そのことをひしひしとリアリティを持って感じられた。

 

もちろん、被災者の悲しみや辛さを理解できた、などと言うつもりは毛頭ない。口蹄疫で牛豚を殺処分せざるを得なかったぼくらの気持ちは、なかなか理解して貰えないのと同じで、いやそれ以上に、ぼくらは被災者の痛みなどわからないと思う。

 

それでも、今回、出会った人々と濃密な時間を過ごしたことで、ぼく自身の気持ちの距離は、ずっと宮ギに近くなった。

 

 

宮ギ・宮ザキで「宮宮コンビ」なんて、ホントにお笑いのようなものだ。「進ぬ、電波少年」でもやらないようなしょーもない企画だ。でも、そんなお笑いのようなものでも、確実に「繋がるためのきっかけ」にはなっていた。甚大な被害からすると、吹けば飛ぶようなものかもしれないけれど、「宮宮の絆というものに姿を変えていた。誰かと誰かの距離を縮めていた。

 

宮ギを旅しながら再認識したのは、ぼくは大勢のために何かができるような人間ではないということだ。全然たいしたことはできない。ちっちえー男だ。でも、自分の半径10m以内にいる人のためなら、ちょっとは頑張れる人間ではある(@当社比)。今回、いろんな人がぼくの半径10m以内に入ってきちゃった。彼らのためなら、一緒に何かができる気がする。

 

その「何か」は今でもよくわかんないんだけど(笑)

 

ま、それこそが「宮宮コンビ」による「宮宮の絆」ってことで。

 

最後に。畠山さん、ノロッチ、次に宮ギに行くときは、「まるはた」に呼んで。わかめのしゃぶしゃぶ食わせて。お世話になりました。本当にありがとう。

 

 

 

↑ページの先頭へ

宮宮コンビから宮宮の絆へ〜その3

2013-01-28 (月)

地方公務員 宮崎県

口蹄疫。この目に見えないウィルスのために、2010年の4月末からの約3ヶ月間、宮ザキ県は地獄となった。明けない夜もあるんだなあ、と思いながら毎日を過ごしていた。

 

ぼくの仕事に関して言えば、数ヶ月にわたって準備をしていた映画の企画が流れ、PRイベントはすべて中止となり、もはや「宮ザキの魅力をアピール☆」などという状況では全然なくなってしまった。ぼくらのチームは、一時業務を中止し、緊急対策本部付として、防疫対策に当たっている畜産課の補助要員などを担当することになった。

 

多数の義援金が寄せられたり、獣医師の派遣をいただくなど、全国からのたくさんの支援が届く一方で、畜産課には連日多数のクレームが押し寄せていた。「宮ザキが日本の畜産を潰す」「発生農場は焼きはらえ」「死ね。死んで詫びろ」…。「防疫体制が甘い」というお叱りならまだしも、まるで宮ザキ県民そのものが病原菌であるかのような誹謗中傷も少なくなかった。

 

そんな折、一本の電話があった。宮ギ県のN氏だった。「ああ、甲斐さん。いつもニュースを見て心配しています。大丈夫ですか。こんなときに電話して申し訳ない。我々、何の力にもなれませんが、とりあえず県庁内で義援金を募っています。できることはそのぐらいです。ごめんなさい。でも、みんな宮ザキのことを心配しています。がんばってください。」

 

こみ上げてくるものがあった。N氏の上司からぼくの上司へも電話を頂いた。副知事から副知事へ、知事から知事へも激励の電話があった。宮宮のネタだとか、キャンペーンだとか、そういうのはどうでもよかった。宮ギ県と宮ザキ県が、この災害をきっかけに、もっと深いところで繋がったような気がした。

 

宮ザキの口蹄疫は、約30万頭の牛・豚を殺処分という大きな犠牲ののち、全農場のウィルス検査を経て、7月18日に非常事態宣言が解除、潜伏期間を過ぎた8月27日にようやく終息宣言に至ることができた。真っ暗な夜ではあったが、明けない夜はなかった。

 

ーそれから半年後。今度は東北地方を、大震災、そして大津波が襲った。

 

震災直後は、なかなか現地の様子が入ってこなかった。大手メディアの情報も断片的なものでしかなかった。また原発の問題も発生した。どのような支援ができるのか、各県とも判断を決めかねていた。国が、各県に役割分担を割り振るという話もあって、県単独ではなかなか具体的な動きにならなかった。

 

支援部隊の派遣が決まったのは、震災からようやく10日間ほどが経過した頃だった。職場で緊急ミーティングが開かれた。現場の様子がまだまだよくわからない状況なので、まずは志願者を募るということだった。

 

派遣先は、宮ギ県山元町。福島県との境にあり、長い海岸線をもつ。この海辺に沿って広く住宅地が散在していたため、多くの住宅が流出し、犠牲者も多かったのだという。

*死者632人、家屋の全壊2,217棟(うち流出1,013棟)にのぼった。

 

 

志願者と言われ自然に手をあげた。「宮宮コンビ」を始めた者として、何はともあれ現地の様子を知りたかった。口蹄疫の恩返しがしたかった。ところが、上司から一言「甲斐さんには残って貰わなくてはならない」と言われた。

 

実は、このミーティングの直前、チームリーダーへの昇任が内示されていた(異動は4月1日付)。第1陣の派遣は4月に入ってからで、リーダー以上の役職者は対象外なのだという。今後、長期的な人員派遣が見込まれる中、自県の業務遂行も継続していかなくてはならない。リーダーはチームの取りまとめ役として派遣せず、当面は若手職員を2週間単位で派遣していくこととなったのだった。

 

ジリジリとした気持ちのまま、次々に若手職員(といっても、ぼくの数歳下までが対象)が派遣されていくのを見送り続けた。しばらくして中期的な職員派遣計画が示されたが、その計画で見る限り、当面、ぼくに声がかかることはなさそうだった。BCPの観点からも自分の気持ちだけで動くことはできなかった。

 

気持ちを切り替え、遠方からできることを考えることにした。個人的な義援金はもちろんのこと、東北(宮ギ)応援フェアを企画したり、他部局が進める宮ギ県支援プロジェクトに企画を提案したりした。

 

とはいえ、個人的にも大きな出来事が起きていた。震災の半年前(つまり口蹄疫の収束直後)に、第3子が生まれていたのだ。2番目の子に難聴の障がいがあるとわかってから、子どもは2人という気持ちがあった。そんな中で生まれてきた第3子である。たぶん、ぼくにとっての最後の子であろう。じっくり子どもとの時間を取るために育休を取ろうと思った。出産直後から職場に相談し、震災の前には職場の了解も得ていた。

 

かたや被災地への支援に行きたい自分がいて、かたや子どもと向き合いたい自分もいる。複雑な気分だった。とはいえ、結局は、2011年9月から4ヶ月間の育休を取得した。育休は思った以上に大変だったし、育休前と育休後は、準備とフォローで忙しかった。2012年4月には今の職場へ異動した。まったく経験のない職場で、事務量も多く、なかなか仕事に慣れなかった。

 

「宮宮」への思いは、徐々にそういう「日常」に飲み込まれていった。ぼくにはぼくの人生があった。一生懸命に取り組むべき日々の仕事があり、うんちやおしっこの世話をする相手があった。そうこうするうち、気がつけば、大震災から2年もの月日が流れようとしていた。

 

[13.01.20]

・朝食券なくして食べ損ね(涙)。終日、畠山さんに案内していただく。

・近々再開する漫画館を横目に見つつ、「復興商店街」。若者が多い。ボランティアからそのまま残って街づくりに協力している子も多いとか。「ISHINOMAKI 2.0」が運営する「IRORI石巻」。こういう空間はいいな。Herman Millerが協力しただけあって、スタイリッシュであたたかみがある。人が集える空間だ。石巻工房工房長の千葉さんとご挨拶。

・「日和山」から街を見下ろす。海に向かって、全面に空き地が広がっている。全部住宅が流された場所。その一角には、一昨年の紅白で長渕剛が歌った「門脇小学校」も。津波と火災に見舞われて今や遺跡化。「石巻港」。昨日の津田くんの話にもあったが取れる魚種が多いため、ひどく長い港だ。その分被害も大きかった。

・「サン・ファン館」。今年は支倉常長率いる慶長遣欧使節団がサンファン・バウチスタ号に乗って出航して400年とのこと。河北新報によるとその2年前に発生した慶長三陸津波で深刻な被害を受けた仙台藩が、メキシコとの通商に活路を見出そうとして、伊達政宗の新書を携えた支倉常長を派遣したのだという。震災後2年での遣欧使節団か。なるほど。これは何かやるしかないだろう。まずは9/13の出帆記念日に「サンファン公園」を再開するべきでは。

・塩釜へ移動。「マルブン食品」で常務のぶんさんと。話の端々に情熱があふれる。2015年のミラノ万博で一緒に何かできるといいな。ランチは「すし哲」。特上。残念ながら鮨だけは東北に勝てない。

・仙台へ移動。「ずんだ茶寮」なおこさんファミリー、野呂ファミリーと合流。宮城最後の時間。楽しかった。ありがとう。

・東京着。「コムズ銀座」泊。理恵企画のヨスコ・グラブネル・ガラ・ディナーに参加。同じテーブルには、じゅんじゅん、ふるふる、ぜんりょうまる。素敵過ぎる。奥田シェフともいろいろ話させて頂く。アンフォラ2005が印象的。2次会で吉田さん撃沈。

↑ページの先頭へ

宮宮コンビから宮宮の絆へ〜その2

2013-01-24 (木)

地方公務員 宮崎県

お笑いのような「宮宮コンビ」を結成したものの、これというネタがないまま数ヶ月が経過した。宮ギ県N氏とは時々連絡は取り合ってはいたが、なかなかコレというアイデアは浮かばなかった。「宮宮はうまい!」宣言が、それなりのボリュームで報道されたことでかえって妙な期待感を盛り上げてしまい、宮ギ県では県議会で取り上げられるほどだったという(未確認情報)。

 

そうこうしているうちに、ぼくが企画した「みやざきweeeek」の開催が迫ってきた。これは首都圏において宮ザキ県のプロモーションを同時多発的に展開するという企画だった。「ファミリーマート」でチキン南蛮弁当や肉巻きおむすび(おにぎりでなく!)を売り、「イオン」で宮ザキの野菜や果物を大々的に販売し、「モスバーガー」でチキン南蛮バーガーを売り、地下食の「R 1/F」に「宮崎野菜たっぷりサラダ」があったり、「品川プリンスホテル」や「ホテルサンルートブラザ東京」のレストランで宮ザキの食材三昧のフェアを開催…というような内容。

 

簡単に言えば、宮ザキ県の「なにか」とコラボした商品を企業に用意していただき、短期集中的にあちらこちらで一斉に販売したら、「お。なんかあっちでもこっちでも宮ザキが盛り上がってんな!」「やるな!」「かっけーな!」的な企画なのであった。

 

ぼくは、図々しくも、この「みやざきweeeek」に宮ギ県も参加しませんかと持ちかけた。よくよく考えてみれば、他県のプロモーション企画を盛り上げてよ〜ということであって、提案するだけで失礼千万なわけだが、宣言から半年近く経過する中で、これというネタもない中、宮城県N氏も前向きに協力していただいた。まあ、何でもいいから次の打ち出しをしなくてはならなかったのである。

 

結局、両県でいろいろ考えた末、アンテナショップ同士でのコラボをやることになった。宮ギ県は池袋東口に「宮城県ふるさとプラザ」を設置している。宮ザキ県には、新宿南口に「新宿みやざき館KONNE」がある。キャンペーン期間中、この池袋ー新宿でスタンプラリーをして貰い、合計で2,000円以上の買い物をした方にもれなく両県からの粗品を合計2つプレゼントする、という企画だ。宮ギ県の粗品はブランド米1合。宮ザキ県の粗品は日向夏ジュース1本。

 

実施前は、「粗品に自信アリ、とはいえ、わざわざ池袋ー新宿間を移動したりするかなあ?」という疑問があった。それが、フタを開けてみれば、1日平均5人以上の方が粗品をゲットしていた。ゼロかも?と覚悟していたので、コンスタントに粗品を貰って行く方がいらっしゃるのは嬉しかった。何でもやってみないとわからないものなのだ。

 

とはいえ、2009年の2月に開催したこの「みやざきweeeek」企画は、宮ザキ県のプロモに宮ギ県も「ちょっと協力して貰った」ものであって、本格的なコラボというには程遠い内容だった。再び「ネタがない」という苦しみループに入っていった。

 

 

そんなツラい日々のなか、動いたのは宮ギ県だった。いや、村井知事だった。知事があるパーティでセブン-イレブンの仙台支社長と懇談した際、この「宮宮コンビ」の話を持ちだされ、「おたくで何かやってくれないか」と持ちかけたというのだ。でた!「何かやってくれ」攻撃(笑) いや、村井知事の「何かやってくれ」は実際に何かが生まれるからすごい。

 

セブンの仙台支社はすぐに動いた。九州支社に連絡を入れ、「何かやりましょう」と真剣に考えてくれた。結局、両支社同士で企画を立てて「宮宮はうまい!宣言 宮城県☓宮崎県フェア」を開催することになった。両県の特産物を使った惣菜・パンなどをつくり、両県エリア内のセブン-イレブンで販売するのだ。やっとコラボっぽい企画!しかも他人のフンドシで!素晴らしすぎた!

 

ところで、この企画、販売開始が迫ったところで大きなトラブル?が発生した。このフェアに合わせ、村井・東国原両知事が、セブン-イレブン本社で記者会見をすることになった。支社の企画ではあるものの、本社を会場に使うことになり、また2人の知事がやってくるということもあって、本社内部で、「一応お耳に入れておく」程度な感じで、徐々に情報が「上」の方へ伝えられていった。販促部>担当取締役>専務>社長へと。そしていよいよ会長にまで情報が伝わったとき、会長からこんな一言があったのだという。

 

記者会見を東京でやるのだから、東京エリアでも当然販売するよね

 

会長、グッジョブ! 当初、宮ギ県(321店舗)・宮ザキ県(136店舗)だけで販売予定だったものが、会長の一言で都内(1,646店舗)を加えた合計2,103店舗で販売することになったのである!しかも1週間前に!近くで見ていても現場の混乱は凄まじいものがあった。当初予定した食材や販促物を一気に4倍以上に増やさなくてはならないのだ。そういうバタバタもあって、すべてのアイテムを全店舗で販売することはできなかったものの、メディアにも取り上げられ、非常によく売れたらしい。これもまた両県にとっては嬉しい限り。

 

そのあとも、セブン-イレブンは県を介さずに自主的な「第2弾企画」も開催してくれた(ただし東京地区はなしで w)。なんとも、ありがたいことである。

 

 

 

こうして、セブン-イレブンのおかげでグイッと盛り上がった「宮宮コンビ」は、村井知事や三浦副知事が、ベガルタ仙台の宮ザキキャンプの激励に来ていただくようになったり(それ以前はなかったらしい)、両県の職員ブログ「なおこが行く」と「ふぞろいのマンゴーたち」が交流するようになったり、あるいはその交流が河北新報に掲載されたりして、なんとなく「宮宮コンビ」が本格的に何かやってる感は継続していったのであった。

 

ーーーまさかの口蹄疫が宮ザキを襲うまでは。

 

 

[13.01.19]

・野呂さんのアテンドで気仙沼へ。途中「アンカーフルセイルコーヒー」にてラテ購入。店員さんのサービスが心地良い。気仙沼港。地盤沈下が凄まじい。復興商店街経由で「齊藤茶舗」。店舗だけ見ていると、とても潮水に浸かったとは思えない。大変だったろう。お父さんと最近の様子などを。

・仮店舗で営業中の「アンカーコーヒー」。店員さんがまた感じよい。ソーセージサンドのパンと禁断のホットリッチチョコレート☆。ネーミングが素敵過ぎるので野呂さんと「禁断ず」結成(意味不明)。あとで専務のやっちさんが顔をだしてくれて、小1時間ビジネス談議。行政への不満は真っ当な不満。課題に追われて行政力も低下しているのかも。「いつか水産加工を」という言葉が印象的。

・「コヤマ」へ。五代目小山くんは先週お父さんをなくされたばかり。ブログを読んでファンになったのでぜひ頑張って欲しい。銘菓「ほたてもなかくっきー」を購入。たまたま宮ギ県庁のエース!の山田夫妻に遭遇。ほぼ日経由で予備知識はあったけど、野呂さんからの情報も多く、会った時点で昔からの友人じゃないかと錯覚したほど w。

・「第十八共徳丸」。テレビで何度も見た船。大きさは想像していたものだったが、目の前にあるとその重量感を肌で感じられてひたすら圧倒される。こんなものが陸上を移動するという恐ろしい力。続いて「すがとよ酒店」跡地へ。根こそぎもっていかれた鹿折地区にポツンと小さなプレハブが置いてある。そこが跡地。震災前後の写真が張ってあり、いかに大きな被害だったかを再確認。「負げねぇぞ気仙沼」のノボリがはためいている。そのあと仮設店舗で営業中の菅原さんから、地酒「男山」と「両国」を購入。

・日がどっぷり暮れる頃、ようやく南三陸町へ。防災庁舎の静かなたたずまい。山間に仮設された「南三陸さんさん商店街」へ。「及善蒲鉾店」。美味しい笹かまを野呂さんから奢ってもらう。「ヤマウチ」。閉店しかかるところをムリヤリあけてもらい海産物など多数購入。おかあさんの笑顔とオススメ上手にやられた。

・石巻へ。グランドホテルにチェックイン後、「五エ門」へ。畠山さんのほか、津田鮮魚店のおさかな王子こと津田くん、漁師の阿部くん、西条くん。みんな若いのに強い危機感と強い勉強意欲がある。こういう若者にはぜひ成功して欲しい。バイトの子にはボランティアで来てそのまま働いている子も。そのうちひとりは偶然にも「みやざき中央新聞」に関わっているらしい。2次会は、適当な居酒屋(名前忘れた)にて畠山さんと。

 

↑ページの先頭へ

宮宮コンビから宮宮の絆へ〜その1

2013-01-24 (木)

地方公務員 宮崎県

もう5年近く前の話。

 

宮城県と宮崎県は名前がよく似ているからなんかやれ!…というあまりにあまりな指示が、知事→副知事経由で降りてきたことがあった。副知事からの直電を受けた上司が、ぼくを呼んで、「そういうことだから。なんか考えて」と。むちゃぶり!

 

どうやら、宮城県(以下わかりやすいように宮ギ)で行われた宮崎(同じく宮ザキ)の農産物キャンペーンのあと、東国原さんが村井宮ギ県知事を表敬した際、「昔からよく名前を間違えられますよねえ」という話になり、「まあこれも何かの縁ですから、何かできるといいですねえ」と”軽く”盛り上がったらしい。

 

えーっと。それは世間一般では、単なる雑談、あるいは社交辞令と呼ばれるものでは? 名前が似ているというだけで一体何ができるというのか。むきー!――などという反論をできるハズもない。私は悲しき宮仕え。指示を受けてしばらくの間は、宮ギ県側の担当者である食産業振興課のN氏と頭を抱える日々が続いた。

 

その頃、うちの農政部が、山形県のさくらんぼと宮ザキのマンゴーが時期を同じくして店頭を飾るので、高級フルーツ店と一緒に共同キャンペーンを張っていた。オープニングイベントでは、両県に由来のある上杉鷹山の名言から「なせばなる産地協力宣言」をし、今後の協力を誓った。会場が六本木ヒルズということもあり、それなりに注目を集め、メディアも賑わせていた。

 

宮ギ県N氏とは「まあ、そういうキャンペーン的なものがあればなあ。なにか両県の共通項にできるネタを探すしかないっすね~」となどと話していた。宮ザキのカツオ漁船が気仙沼で水揚げしてることとか(だからどうした)、宮ギの米に宮ザキの牛をのせた牛丼とか(逆も可)、どうにもしっくりくるネタが浮かばない。そうこうするうち、宮ギ県N氏から「何をやるかはあとで考えるとして、まずは、宮ザキ宮ギ食産業振興協定を締結するのはどうでしょう?」という提案があった(一応気をつかっていただいて宮ザキが前にw)。

 

うーん。協定書か。協定ってことは契約みたいなものだから、将来に渡って拘束されるってことだよなあ。それはつらいなあ。だってまだ何ひとつネタが浮かばないんだもの…。「何かやれ」の「何か」を誰か教えてくれないものか。うーんうーん。

 

ネタを出してはボツるを繰り返しつつ、引き続き宮ギ県N氏と意見交換する中で、あるとき「去年、キリンビールのキャンペーンに村井知事が呼ばれた(宮ギ県に工場がある縁で)」という情報が出てきた。なんと!キリンビールとな!

 

実は、さらにさかのぼること1年前、キリンビールの幹部S氏と、宮ザキの和食屋で同席する機会があって、初対面にも関わらず意気投合したことがあった。CMの話からの流れで「ぼくは森本千絵さんが大好きなんですよ~」という話をしたところ、S氏が「おお。いいよな千絵ちゃん。今、彼女はアートディレクションで5本の指に入る存在なんだよ!」と熱弁。ふたりで、いかに千絵ちゃんが凄いか話で盛り上がったのだった。

 

出会った当時、ぼくは別の部署にいたのだけれど、数カ月後に「みやざきアピール課」に異動したとき、S氏から「甲斐ちゃん、なんか一緒に仕事ができるといいねえ」と声をかけて貰ったりもしていた。それを思い出したのだった。

 

当時、キリンビールは、毎年、全国各地の名産品が当たる「日本のうまい!」キャンペーンを展開していた。そして近々、首都圏のホテルを会場にして、今年のキャンペーン内容を大々的に記者発表するという。うむ。この場所を貸して貰えたら、何かできそうな気がする。

 

「日本のうまい!」キャンペーンには当然、宮ギ県、宮ザキ県の名産品も使われている。村井知事に加えて、東国原さんが行けばキリンビールさんも喜んでくれるかもしれないし、こちもステージをお借りしてPRができる。いいかも。

 

さっそく企画書をつくり、忙しいS氏の時間をムリヤリ空けてもらって本社を訪ねた。両県の知事がそれぞれお国自慢をし、宮ギ宮ザキはもちろん、日本にはおいしいものがいっぱい、おいしいビールと一緒に楽しみましょう、という企画でどうでしょう!とプレゼンした。

 

イベントまで時間が迫っているタイミングではあったけれど、S氏の返事は一発OK。「面白い!それやろうよ!」。直前ということもあり、発表会ではすでに予定されてた企画があったものの、なんとかぼくの企画も潜り込ませて、全体の調整をすることとなった。

 

さて。今度は、両知事によるお国自慢のやり方を工夫しなくてはいけない。そしてキリンビールのキャンペーンとも、不自然にならないように両立させたかった。

 

そこで、宮ギ県N氏から提案のあった「宮ギ宮ザキ食産業振興協定」をもう一度練りなおしてみることを思いついた。「協定」はあまりに行政チックだから、山形のときと同じように「宣言」というのはどうだろう。「宣言」であれば、なんか「イキオイだけで言ってみました」的な感じもあるし、将来、いい企画がなければ、そのままなんとなくフェードアウトもしやすいんじゃないか。うん。ファイト一発的なものがよいな。2県で協力してのお国自慢宣言。それがいい。

 

宣言の内容はどうしよう。宮ギ県N氏から提案のあった「食産業振興」というテーマ自体は悪いわけじゃない。遠隔地にあるから観光での協力はハードルが高い。食での協力の方がまだ現実的だ。それに「日本のうまい!」というキャンペーンのテイストも少し入れるとより一層自然に受け止めてもらえるかも…

 

そんなことを考えながら、とりあえずワープロでぱたぱたと「宣言文」を書いてみた。書き始めたら、意外にもすらすらと書けて、小1時間ぐらいで案文ができあがった。

 

タイトルは「宮宮はうまい!」宣言。そして宮ギ・宮ザキ両県はこれから「宮宮コンビ」として、両県のおいしいものをアピールしてく…という内容のものだった(アピール課だけにw)。

 

できあがった文章を読み返して、思わず自分で「宮宮コンビ」って、お笑いかよ!とツッコミつつも、さっそく宮ギ県N氏にメールしてみる。「キリンビールのキャンペーンの件ですが、以前提案頂いたような協定的なものをやりたいと思います。ただ、東国原のキャラクターイメージもありますので、もう少しユルい感じの「宣言」文をつくってみました。いかがでしょうか?」

 

…ところが、いつもなら電話なりメールなりですぐにレスポンスのある宮ギ県N氏からは、いっこうに連絡が来なかった。んー。ふざけすぎたかなあ。でも、これがNGだったら、書類のカタチでは難しいかも。そのときは、ステージトークぐらいでお茶を濁すかなあ…。

 

そんな風に気を揉んでいたら、1週間後、ようやく宮ギ県N氏から電話があった。

 

「甲斐さん、お待たせしました!」

…ああどうもどうも。

「決裁とれました!」

…は、はあ?

「知事決裁とれました!」

ち、知事!こっちはまだ直属の上司にも話してないよ!

「甲斐さん、一点だけ事後報告で申し訳ないのですが…」

…な、なになに。

「文章中に一部方言が入っているのですが、あれは県北部だけで使われるもので、少し宮ギ全体で通じるものに修正させていただきました。申し訳ありませんがご了承ください!」

…そ、そこかよ!

…全然かわまないけど、いや、知事決裁はかまうよ!

 

超〜慌てて、上司に報告。

 

「えーっとですね。先方が、ど~うしてもこういう宣言をしたいらしいのですもう決まったことらしいのです私は少しふざけすぎではないかという懸念もするわけですですがですがもう文章も直せない段階ということでこれでなんとかよろしく哀愁…もごもごもご」。

 

文章を読んだ上司は一言。

「面白い!いーんじゃない!」 …よ、よかった~。課長、ここにハンコください。

 

ということで、キリンビールキャンペーンという大勢のマスコミが集まる場面で、今回のキャンペーンに使われている宮ギの米、宮ザキの牛肉を使ってのお国自慢をしつつ、両県で「宮宮はうまい!」宣言を行うことができた。キリンビール側が元々仕込んでいた「くいだおれ太郎」さんともうまいことコラボすることができ、翌日はマスコミ各紙を大いににぎわすイベントすることができた。キリンビール社長からは東国原さん宛に丁寧な自筆の礼状も届いた。よかったよかった。

 

でもそれで終わったわけではなかった。後日談。

 

このキャンペーンは、当然、宮ギ・宮ザキの両県でも報道された。イベントの数日後、宮ギ県N氏からほくほくした声で電話があった。

 

「甲斐さん!このたびは大変お世話になりました。地元でもメディアに大きく取り上げられて、知事も喜んでいらっしゃいました。これからもよろしくお願いします! 記事もわかる範囲で集めましたのであとでメールで送りますね。」

 

お礼とともに新聞の切り抜きがPDFで送られてきた。そして、最初のページを見た瞬間、ぼくは卒倒しそうになった。宮ギ県の地元紙「河北新報」1面。そこにどどーんと「宮宮コンビ」の文字が躍っていたのである! お笑いかよ! しかも、ぼくがふふふん♪と鼻歌歌いながら書いた宣言文が、全文掲載されていたという悪夢! うぎゃあああああ…。

 

まあ、とっくに時効であるから、宣言文も掲載しておく。1000km以上離れていて、なにかと接点の薄かった宮ギ県と宮ザキ県との交流は、こうやってスタートしていったのであった。

 

 

「宮宮はうまい!」宣言

 

「みやぎ」「みやざき」の両県は、豊富な野菜や果物、高品質な肉類、新鮮な魚介類、あるいは、かたや日本酒、かたや焼酎といった加工品に至るまで、日本列島の北と南から、とびきりの「うまい!」を提供しています。

 

両県は、「宮」という字を共有しているだけでなく、「みやぎ」「みやざき」という発音も類似していることから、これまで他県の方々から「どっちがどっち?」と混同されることが多々ありました。

 

そのたびに、両県民は、「なしておらいが宮崎なのっしゃ?」「まこち、宮城じゃねっちゃが」という思いをしてきたものです。

 

そこで、「みやぎ」「みやざき」両県は、今後、「宮宮コンビ」としてタッグを組み、さまざまな機会を通じて、それぞれのとっておきの「うまい!」を紹介し、その味、その香り、その食感などを通じて、日本国民のハートを鷲づかみにし、「さすが宮城!」「なるほど宮崎!」と喜んで頂けるよう、それぞれの魅力を強くアピールしていくことをここに宣言します。

 

宮城県知事 村井嘉浩

宮崎県知事 東国原英夫

 

 

[13.1.18]

・話題の787機が欠航。前日は日程調整で苦労した。ひとつ遅い便にて東京へ。京急線でまさかの人身事故>各駅停車運転。なんとかギリギリで予定していた新幹線へ。仙台駅でチーバくん発見(笑)。宮崎出身の千葉のキャラクターが仙台で頑張るの図。ひとつ後の新幹線で東京から戻ってきた野呂さんと駅で合流し、東口で畠山さんと合流。残雪のこる仙台は寒い。

・まずは名取市閖上へ。日和山へ登る。雪で覆われた田園地帯…のような風景だが、多くの住宅が流された場所。愕然。唖然。言葉がでない。周辺の道は工事用のトラックがひっきりなしに走る。日和山より少し高い土盛は、あとで「もしここに新たに人が住めるようにするにはこのぐらいの高さが必要」という仮設土盛だと知る。これだけ広大な土地にこの土盛はありえない→人は住めない、という現実。

・山元町へ。着いてみると、阿部さん(宮ギ県から町へ派遣中)が宮ザキ県内の市町村から派遣されている職員を集めてくれていた。都農町の日髙さんは土木技師。昨年の4月から派遣されているという。宮ザキ市からは4人。若い事務屋さんたちで、学校の建て替えなどの事務に携わっているとのこと。入れ替わり立ち替り、宮ザキからの派遣は続いている。阿部さんの案内で中浜小学校へ。津波対策で嵩上げした土地に建設されていたが、2Fの天井近くまで水が来たため、先生と生徒は屋根裏に逃げ込んでなんとか難を逃れたとか。全員が助かった施設であるため、遺産として残す予定という。すっかり日が暮れていて視界が利かず、雪と思った場所で水たまりで、左足水没。つ、冷たい…。

・阿部さんと別れ、仙台市内へ。「(株)石巻津田水産にてケンチョーズと。中澤さんによる復興状況のプレゼン。斎藤さん。関口さん。テーブル対抗のセリでは、特選鮮魚を競り落とすとお好みの調理法で出してくれる。ぼくがクロイソを600円でゲットし、刺身と煮付けに。これがバカうま。分厚い刺身やら牡蠣(バケツ蒸し!)やらえらく美味い。三陸の魚すげー。

・畠山さんと2人で2次会「○たけ」。変態な日本酒がいろいろで楽しい。途中からリエちゃん合流。店主の石山くんが「宝船」を吟じてくれた。東北選抜だけあってすげえ上手くて感動。楽しくて飲み過ぎる。

 

↑ページの先頭へ

叱られる覚悟

2013-01-16 (水)

地方公務員

行政の仕事をしていると、いろいろな場面でお叱りを受けることがある。住民から。議員から。はたまた上司から。さまざまな仕事の中で、公務員というのは「ひとこと言いたい」業種ランキングの相当上位にいることだろう。それだけ十分な住民サービスができていない、という面もあるのだが、これだけ価値観が多様化した中で、全員、あるいは大多数が「よし」と思える判断をすることは容易ではない、という面もある。

 

明らかな失敗やミスによる「お叱り」はココでは置いておいて、多様な価値観がある中で、大多数(たとえば過半数)ではない方から受ける「お叱り」に対して、公務員はどう対処すべきか。ぼくは2つの方法しかないと思う。

 

1つ目はあらかじめ「エクスキューズ」を容易すること。つまり言い訳だ。たとえば、以前、モスバーガーでチキン南蛮バーガーを全国販売して頂いたときのこと。そのキャンペーンポスターにはドドンと大きく東国原知事(当時)の写真が掲載された。散々、マンゴーだ地鶏だとPRしていた知事であったから、ハンバーガーをPRしたってそれほどクレームがあるとも思えなかったが、念のため、「エクスキューズ」を容易した。

 

<叱>特定企業の特定商品について公職にある知事がPRしてよいのか。

 

(答1:公益性)今回はモスバーガーさんから「宮崎名物チキン南蛮」をPRしたいというオファーを受けたもの。宮崎県産鶏肉も使っていただいており、消費拡大の効果も大きいことから協働したもの。

 

(答2:公平性)今回はたまたまモスさんからのオファーに応えたもの。ハンバーガーのみならず、他のファーストフードチェーン等においても大量にPR、消費いただく場合は同様に協力する(全企業に門戸を開いている)。

 

実際、知事は「チキン南蛮バーガー」ではなく皿に盛り付けられた「チキン南蛮」を手に持っている写真を使用し、より明確に(答1)に対応したものとした。このように、どこから突っ込まれてもしっかり答えられるような答を用意しておくと、お叱りに対して一定の対応することができる。

*たまに、理屈で説明しても納得いただけないケースもある。その場合のほとんどは「あの知事は嫌いだ」といった感情論が前提にあるのでどうしようもない。

 

 

さて。「お叱り」に対応する2つ目の方法は、「覚悟を決める」ことだ。想定される批判に自らを晒す、ということになるので、この方法を選択することはなかなかハードルが高い。若い職員であればすぐに「お前ではダメだ。上を出せ」というクレームも容易に想定されるので、自分だけが覚悟を決めるだけではダメじゃないかと躊躇することあるだろう。

 

その一方で「覚悟を決める」ことができる人は強い。自分の仕事に対して「覚悟を決める」ほどの価値を見出しているわけだから、腹が座っている。だから多少の批判にはめげない。

 

たとえば。県職員を中心として歌による盛り上げを追求している「宮崎あぴる隊」。彼らのデビュー曲「ゆる宮崎☆ポップ」にはこんな歌詞が出てくる。

 

 ゆるゆるみやざき 元気をチャージ
 時間がゆっくり流れてく
 ゆるゆるみやざき のんびりライフ
 どげんかするのは明日から

(中略)

 リニアの跡地はソーラーパネル
 九州新幹線は、ちょっと欲しかった
 せめて高速は 通って欲しい
 でも多くは望まないよ だって「てげてげ」だから

 

事前にこの歌を聞かせてもらったとき、ぼくにしては珍しく?苦言を呈した。歌詞を書いている本人たちは、ユーモアだったり、裏返しのポジティブだと捉えているこの歌詞も、批判しようと思えば、「どげんかするのは明日から」は公務員のやる気のない仕事ぶりを表し、自虐的な部分は、新幹線開通を過去のこととして葬り去っている、とも受け取れる。容易にクレームがくることが想像できた。だから言った。「もう少しやわらかい表現に変えてはどう?」

 

だけれども、本人たちは「この程度のユーモアは県民に理解されるはず」と突っぱねた。まあそこまで言うなら、とぼくも折れたが、案の定、クレームがきた。しかもそのうちの一件は口蹄疫で苦労された農家からの厳しい「お叱り」だった。メンバーたちは、一瞬めげた。落ち込んだりもしたようだ。

 

でも、当然といえば当然なのだが、多くの県民はそれをユーモアと解してくれた。メディアでも好意をもって受け入れられ、テレビやラジオにも出演した。結果的に「覚悟を決めた」彼らが正解だった。少数のクレームに過剰に反応するより、堂々と受け止めて、自分たちが信じる道を進んだ方がよい結果に繋がることがある。ぼくも反省したよ。

 

 

ところで、「お叱り」対策として、一番やっちゃいけないのが「判断しない」という判断だ。今、何らかの判断するとある方面からお叱りを受けるかもしれないから判断を保留する」というのは最悪だ。これは議論の先送りでしかなく、モノゴトが前に進まないのはもちろん、あとから「何の手立ても打たなかった」という負の遺産を残すことにもなる。

 

仮にYesともNoとも判断つかないような「機が熟していない」というケースであったなら、いつまでに判断するとか、その間にどう熟させるのか、という期限や対応策を「判断」すればよいのである。「お叱り」の可能性があるときは、保留しないこと。何らかの判断をし、動き始めること。これが肝要。

 

[13.01.14]

・「ひまわりと子犬の7日間」★★★★★。特別試写会へ。伊藤先生と「ぼく牧水」映画化プランについて勝手に盛り上がる。しかしまた泣いちゃったよ。

・帰宅後、たまったビデオを。「新春がっちりマンデー」「プロフェッショナル:イチロー」。あのイチローが弱音を…。

[13.01.15]

・防災士宿題提出!国保との調整>労働局への方針要望。基金予算内示。ランチLD7。

・ヒムカレッジvol.1 日高茂信さん。熱い人だわ面白い。なつきちゃんお疲れ。勉強になったです。

・宮城旅がたいへんなことに!

[13.01.16]

・議会議事録整理。知って就活白パン。

 

 

↑ページの先頭へ

「めんどくさがり」仕事術

2013-01-13 (日)

地方公務員

自慢でも何でもないけれど、ぼくは昔から「めんどくさがり」だ。ほんのちょっとした「一手間」がめんどくさくてめんどくさくて、楽な方、楽な方へと流れ流されて生きてきた。親が一財産もっていたら、間違いなく筋金入りの放蕩息子として、ダラダラと生きていたことだろう。

 

残念ながら(幸いにして?)、実家は大金持ちでも何でもなく、ごく普通の一般家庭であったから、大学を卒業したら働かなくてはならなかった。「めんどくさいなあ」と思いながら就職試験を受け、「めんどくさいなあ」と思いながら県庁職員になり、「めんどくさいなあ」と思いながら気がつけば20年以上も働いている。我ながらよくぞココまで働いたな、と思う。やればできる子。

 

でも、根っからの「めんどくさがり」であるから、事務処理は全般的にとても苦手だ。補助金の複雑な計算だとか、難解な法律の解釈とか、キチンとした報告書の作成とかもう嫌で嫌でしょうがない。本来、公務員が最も得意とすべきコツコツとした仕事がことごとく苦手なのだ。劣等生これに極まる。

 

そんな自分であるけれど、ある時期から不思議と「ほめられること」が多くなった。「情熱があるなあ」「すごいアイデア」「顔が広いね」…。県庁に入った時点では、明らかなダメダメ職員だったハズの自分が、いつの間にか「スーパー県職員」と呼ばれるようになった。あ。ごめん。ちょっと美化した。そんなこと言われたことない(笑)。

 

でもまあ、「企画づくりに参加して欲しい」「体験談を話して欲しい」「相談に乗って欲しい」などというリクエストがあるわけだから、ぼちぼち期待はして貰っているらしい。

 

自分の性根が大きく変わったわけでもないのに、それなりに「ほめられる」ようになった理由を改めて考えてみると、それはやっぱり「めんどくさがり」だからだ、という逆説めいた結論に至った。

 

 

仕事をするということには、何らかの「達成感」が必要だと思う。賽の河原ではないのだから、何らかのゴールがあって、何らかの達成感があるから、明日も頑張ろう、働こうという意欲がわく。

 

たとえば、「時間」もひとつの達成感だ。時給700円の作業を5時間頑張った!3500円ゲット!やった! …みたいな。社員であれば、「今日も定時まで乗り切った」みたいな。でもそれは、消極的な達成感だ。もう少し積極的な達成感というのは、「成果」を出したということだろう。「レポートをまとめた」「補助金の手続きをした」「イベントが終わった」。でもこれは「作業が終わった」というだけで、まだ何かが足りない。

 

心からの達成感を感じることができるのは、何らかの「効果」があったと感じられたときだ。「自分がまとめたレポートでプロジェクトが動き始めた」「補助金を活用して新たな雇用が生まれた」「自分が仕掛けたイベントで参加者に喜ばれた」。

 

 

ぼくは「めんどくさがり」ではあるけれど、一応職業人ではあるから、一人前に達成感は味わいたいのだ(なんて図々しい!)。「めんどくさい」でも「効果を出して達成感を味わいたい」のだ。

 

そうすると、必然的に、労力をかけずにゴールするための「最短ルートを探す」ようになっていく。これは闇雲に「一直線にゴールに向かう」ということを意味しない。たとえば、一直線に進むことで大きなトラブルにぶつかるのであれば、少し迂回した方がゴールに早くつけるかもしれない。あるいはコツコツとトンネルを掘った方が、トータルでの労力ははるかに小さいのかもしれない。そういう意味での「最短ルート」をいつも探している。

 

そういう「正しい目」で見ると、ぼくのことがよくわかる。

 

「情熱がある」というのは、いつも「効果を出したい(効果のないことはやりたくない)」と言っているからだし、「すごいアイデアがある」というのは「自分でゼロから考えるのは大変だからネタをいっぱい仕込んでおいてアイデアをパクっている」からで、「顔が広い」のは「自分でやるよりプロがやった方が絶対いいものできるから仲良くなっておく」からで…。すべての根っこは「だって自分でぜーんぶをやるのは、すげえめどくさい!」からなのだ。

 

でも、時代はぼくに追いついて?きている。国も地方も財政が困窮し、人件費削減に躍起だ。まだまだ人員削減は続く。そうなれば「効果の出せない業務」はますます淘汰され、最小の労力で、最大の効果を出していくことが求められる。いわばこの「めんどくさがり」仕事術が活きる場面が増えてくるハズなのだ。

 

そして公務員がどんどん「めんどくさがり」仕事術を身に付けてくれたなら、効果的な事業が次々に展開されて、きっとぼくは楽ちんになっていくのだな。ああ、早くそういう世の中になって欲しい。

 

[13.01.11]

・要望部長レク。福祉との調整。センター長・所長との打合せ。基金内示。

・部内ボーリング大会。145+148=293。6位入賞。打ち上げは「楽閑人」。ノンアルで帰宅。

[13.01.12]

・息子の耳鼻科。ランチを挟んて、娘1号のピアノ→音楽教室。

・Run。12km。バイパスでスッシーに遭遇。

・「中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?/NHK_PR1号(新潮社)」★★★★★。情緒的な文章とか、いい子過ぎるところとか、若干残念な部分も含め、なんともリアリティがあっていろいろ共感できる部分の多い書。特に、覚悟の部分が、同じ「公的機関」で働くものとして、納得できる部分多し。

[13.01.13]

・義祖母の四十九日法要。お経と食事会と。

・防災士の宿題終了。がんばったオレえらい。

↑ページの先頭へ

プロジェクト・マネジメント

2013-01-10 (木)

地方公務員

 

公務員というと、「親方日の丸」「お役所仕事」「税金泥棒」など、あまり仕事してないっぽいイメージがあるのかもしれないが、大多数の公務員は勤勉で真面目である。そして事務処理能力が高い職員が多い。なにせ世の中には「公務員専門学校」というのがあるくらいで、高校や大学の勉強だけでなく、公務員試験の勉強をコツコツと頑張らないと役所に入れないわけで、平均すると努力型の頑張り屋さんが多いと思う。

 

でも、その真面目さが、仕事のやり方によっては裏目に出る。ひたすら与えられた「業務」に真面目に取り組むあまり、自分の守備範囲を決め込んで仕事の幅を狭めてしまったり、失敗しないためにホンの小さなリスクでも恐れたりして、外から見ると「小さくまとまって融通が効かず面白味がない」仕事っぷりになるのだ。

 

だからこそ、各職員に「業務=手段」ではなく「テーマ=目的」を与えてみたら、その真面目さゆえに「そもそもこのテーマってどういうことだろう」とゼロベースで考え直したり、「今やっている業務じゃあ、目的達成に効率悪い」とカイゼンな気持ちに火がついたりするじゃないだろうか。

 

絵に例えるなら、「業務」でする仕事はジグゾーパズルなのだ。ルールがあって、それに則って、誰がつくっても同じ絵を完成させる。こういうのは公務員は得意だ。ところが、「テーマ」でする仕事はまさに「絵」そのもの。どんな大きさの、どんな材質のキャンバスに、どんな絵の具で、どんなモチーフを、どんなタッチで描くのか。こういう自由さは真面目さが故に苦手なジャンルなんだろう。

 

 

さて。「業務」ではなく「テーマ」で仕事を与えるとき、その「自由さ」の他に、公務員には苦手な要素がもうひとつある。それは「分野横断」だ。たとえば、前回の例で「若年者の県内就職」をテーマとしたプロジェクトに取り組むとき、その仕事は「労働行政」だけにとどまらない。雇用する側にたてば「産業行政」であるし、雇用される側が新卒ならば「教育行政」という視点も出てくる。障害者や生活保護受給者の雇用であれば「福祉行政」も関係してくるだろう。

 

それぞれに簡単には解決できない課題があり、分野ごとに利害が対立することもある。「若年者の県内就職」を促すためには、雇用される側にとっては高い給料があれば大きな魅力のひとつとなるが、企業の側にたてば、高い人件費率は企業の経営を直接的に圧迫する。また教育においては、そもそも県外の有名大学への進学や有名企業への就職はむしろ歓迎すべきことであって「県内就職」のテーマと反する面もある。

 

こういった、「あちらを立てればこちらが立たず」的なプロジェクトを転がしていくには、いわゆる「マネジメント力」が必要になってくる。正確無比な事務処理能力は高い公務員だが、その真面目さが仇になって、マネジメント力は総じて弱い。なぜなら、プロジェクト・マネジメントとは、他者とのコミュニケーション力であり、決断力・判断力であるからだ。利益の異なる他者と、円滑にコミュニケーションを取り、何らかの方向づけをしていくには、ある程度の「いい加減さ」も必要なのだ。

 

プロジェクトのテーマは、概して「総論賛成」「各論反対」な要素があるからこそテーマとなり得ている。関係者の意見は丁寧に聞くべきだが、異なる意見をそのまま受け止めてしまっては前に進まない。調整に調整を重ねても折り合わない何かがあるとき、最後の最後は「じゃあまあこのへんで」というアバウトかつ大胆な「落とし所」を見つけることも必要なのだ。←すんません。超得意(笑)

 

[13.01.09]

・娘1号は熱を出したのでお休み。

・事務局監査。施策方針課内レク。補正予算説明資料。

・チーム新年会。「櫻井酒店」。2次会はひとり「hana」。尾崎さん。サンスの親戚と盛り上がる。変態ワイン。1:30。

[13.01.10]

・議会からの照会資料作成など。

↑ページの先頭へ

業務分担とプロジェクトの違い

2013-01-08 (火)

地方公務員

「業務分担」と「プロジェクト」の違いをもう少し具体的に説明してみる。

 

たとえば。今、ぼくのチームで某部下が担当している業務で考えてみる。部下Aさんが担当している主な業務は次の通り。

・「ヤングJOBサポートみやざき」に関すること

・「みやざき若者サポートステーション」に関すること

・新卒者就職応援本部に関すること

 

「ヤングJOB」とは、いわゆる「ジョブカフェ」と呼ばれるもので、若年求職者を対象とした就職相談・支援を行う施設である。「若者サポートステーション」とは、働くことに悩みを抱える若者の相談・支援施設。「新卒者就職応援本部」とは、翌春に卒業を予定さしている新規学校卒業予定者の県内就職を支援するために、行政・教育・企業の各代表者が集まって情報交換を行うもの。Aさんの仕事は、おおよそこの3つの機関がうまく機能していくように、予算だったり契約だったり運営だったりの事務を処理していくことになる。これがいわゆる「業務分担」である。

 

では、仮にこの業務をベースに「プロジェクト」をつくるとしたら、どうだろう。どれも「若年者」を対象とした「就職を支援」するための業務であるから、素直に「若年者就職プロジェクト」とすることができる。いや、行政の立場としては当然県内に就職して欲しいわけだから「若年者県内就職プロジェクト」の方がよいか。

 

・「若年者県内就職プロジェクト」

 

あなたが、こういうプロジェクトを「ポン」と与えられたらどうだろうか。途端に業務の見え方が変わってこないだろうか。それまで3つの機関の運営することを考えればよかったのに、昨今新聞を賑わせている「若者たちの就職問題」のすべてが目の前に立ち上がってくる。「高い大学進学率」「就職氷河期」「フリーター」「ニート」「高い離職率」「高学歴低所得者の増」「県内高校の県外大学への進学率・県外企業への就職率の高さ」「UIターン希望者の受入先不足」「都会の企業との給与格差」などなど…。それらにどう対応していくのか。

 

さまざまな「課題」が担当の肩にのしかかり、担当はそのひとつひとつについて、ゼロベースで対応を考えなくてはならない。もちろん、「ジョブカフェ」「サポステ」「応援本部」の3つの機関だけでも、相当の機能を果たしているわけだが、「若者が県内に就職すること」のすべてが自分の仕事の範疇である意識することができたなら、3業務に留まらない発想が生まれてくる可能性が高まる。これこそがプロジェクト化の大事なポイントなのだ。「手段からの解放」なのである。

 

無論、「業務分担」であろうが、「プロジェクト」であろうが、最終的には「個人の意識」次第である。相当程度高い意識をもっていれば、仮に「業務分担」を与えても、異なる視点で「よりよき対策」を模索することになるハズだ。それでも、ある特定分野の「課題を解決すること」をプロジェクトとすることで、「目的」が明確になるし、「目的」と「手段」を履き違えることは相当軽減できるのではないだろうか。

 

[13.01.08]

・ヤングJOB審査方針、補正予算確認、システム打合せなど。

・娘1号がお腹が痛い…といって職場へ。熱はなさそうと思ってひとりで帰したら8度超。あらら。

 

↑ページの先頭へ

海森堂rss

過去ログ一覧

ページ先頭へ

最近の投稿の画像