宮宮コンビから宮宮の絆へ〜終

2013-01-30 (水)

地方公務員 宮崎県

さて最終回。今日はまたいちだんと長い。すまん。

 

 

NPO法人ファイブブリッジ」理事長の畠山さんとお会いしたのは、2012年9月末だった。NPOへの支援活動を通じて畠山さんと繋がっていた友人がランチに誘ってくれたのだった。

 

畠山さんは、本業は地元紙である河北新報社員でありつつ、NPOでの活動として、震災前から産学官連携のコミュニティー活動をされている方だ。ところが、大震災が起きたことで、必然的に人と人を繋いで復興につなげる役割も担ってこられたようだ。*メンバーのひとり・山田さんの活動は、ほぼ日などでも取り上げられている。

 

そのような活動のひとつとして宮ギ県内での軽トラ市を企画していた畠山さんは、「宮城こせがれネットワーク」の志村さんと一緒に、口蹄疫の被災中心地・川南町の軽トラ市(たぶん日本最大級)を視察に来ていたのだった。

 

県庁近くの郷土料理屋で冷や汁定食を食べながら、「宮宮コンビ」だとか、人と人の繋がりといった話をした。平日の昼休みであったから、正味50分ぐらいの時間であろうか。そのときは自覚がなかったのだが、宮ギの人に宮宮の話をしたことで、自分の中の何かが動いたんだと思う。プスプスとくすぶっていた消し炭のような「宮宮」への思いに、じわっと火が付いた。消し炭は簡単に火がつく。そして意外にも火力が強く、新しい炭を追加すれば、あっという間に燃え上がる。

 

それまで、ぼんやりとではあるが「誰か」のために「何か」をしなくちゃいけない、と思っていた。実際、ぼくの周りの知人たちは、震災を期にいろいろなアクションを起こしていた。敬愛するりえ子姉は、震災以降、ずっと東北に通っている。知人であるカメラマンの蓮井さんは「スマイルレター」というプロジェクトに取り組んでいたし、師匠であるさとなお氏なんて、国を動かし公益社団法人まで立ち上げた。

 

でも、畠山さんと話をしてから、少しずつ「何かをしなくてもいいのかもしれない」と思うようになっていった。そもそも、そうそう東北に行くことはできない(時間的にも金銭的にも)。具体的にお役に立てるような技能もあまりない(補助金の申請手続きぐらいはできるか)。でも、「何かをする」のではなく、震災の動画や写真では見えないことを「感じてくる」だけでもいいのかもしれない。

 

よくよく考えてみれば「宮宮コンビ」は、「宮」が共通、という冗談みたいなことでスタートしたのだ。すべては動きながら考えてきた。今回だって、動いているうちに何かが始まるかもしれない。まずは行ってみよう。行ってから考えよう。ぼんやりとした思いが、実際の行動に繋がったのは、ようやく11月になった頃だった。

 

中身は何も決めずに、飛行機のチケットだけをおさえた。2泊3日。漠然とイメージしたのは「1日はレンタカーで海岸線を走ってみる」「1日はボランティア?」ということぐらい。あとは「残り1日、県職員もしくは地域の住民と話をしてくる」といった感じかなあとイメージしていた。

 

訪問直前になって畠山さんにFBでメッセージを入れた。何も考えずに行ってしまってもよいけれど、「被災地を見るのならここに行け」「この人なら話をしてくれるかも」というアドバイスぐらいは貰っておこうと考えた。そしてせっかく知り合いになったので、ちょっとお会いしましょうと。

 

そんなぼくの「軽い」相談を、畠山さんは真摯に受け止めてくれた。「甲斐さんの関心事はどの辺りなのでしょうかねぇ。…電話でもやりとりしながらすり合わせして、甲斐さんツアーのベストプランをコーディネートしましょうか?」そういう返事が来た。

 

ネットワーク力のある畠山さんの周りには、自らもフットワークよく「動く」人が集まっている。アイデア出しやら、具体的な調整やらを行った。特に今回は、宮ギ県庁の野呂さんが、行程の細かな段取、訪問先との調整などを全部引き受けていただいた。出発の2日前に、詳細なスケジュール表ができあがった。

 

 

しかしてこの行程は、まるで知事レベルの視察行程であった(笑)。すべての行程にアテンドが付き、車も出してもらえて、関係者との意見交換や現地視察までしてくれるというのだ。ぼくは、ただ畠山さん野呂さんのガイドにお任せしていればよい。…うーん。これは本末転倒じゃないか。そうやって遠慮するぼく(こうみえて、一応気は遣う)に対して、畠山さんはこう言ってくれたのだ。

 

「ぼくらも外からくる方を案内するトレーニングになります。今回は野呂くんがアテンドしますが、キチンと現状を伝えられる人も育てなくてはいけないのです。」

 

この言葉で、ぼくも随分気持ちが楽になった。特に野呂さんは、会ったこともないぼくのために、相当の労力を注いでくれている。なんていい人!

 

…そうなのだ。今回、特にこのお世話になった2人への報告書のつもりで、書き始めたこの文章なのである。でも、今の気持ちを伝えるには、これまでの経緯をある程度ちゃんと書かねばならぬなあ…という思い始めたら、ずるずると書き連ねて、とうとう「前置き」がすごい長さになってしまった。まあ、実際、ぼくにとっては、そういう長い時間がかかっている物語なのだ、ということです。

 

 

さて、今回の訪問は、「被災地の今を感じること」が目的ではあったが、その「今」というのは、主に「被災状況」「復興状況」を感じとる、というほどのつもりであった。震災から2年という意味を、風景の中から感じてみようと思っていた。

 

実際、北は気仙沼から、南は塩釜まで車で走ってみて、一面の更地となってしまっている元・住宅街をいくつも見たし、津波遺産のような「第十八共徳丸」や「南三陸町防災対策庁舎」、「門脇小学校」の前に佇んでみたりもした。

 

幹線道路には「○○省○○対策事業」という旗を掲げたトラックが列をなして走っていた。瓦礫の山、廃車の山が、あちらこちらに小山のように積み上がっていた。そんな小山を周囲に抱えた「瓦礫処理プラント」が何カ所もあり、もくもくと煙をあげて、焼却処理を行っていた。海岸は未だ地盤沈下が止まらないらしく、あちらこちらで海水があがっていた。想像していた以上に「震災の記憶」「津波の記憶」はまだまだ残っていた。

 

でも、ぼくが「今」を感じたのは、そういうハード的なものだけではなかった。さまざまな分野で前に向かって戦っている市井の人々の中にこそ、宮ギ県の「今」を感じることができた。

 

■宮ギ県庁から山元町に派遣されているA氏は、JR線の再建にあたって線路を山側に移設する案について、住民の意見がぷっつり二分されていることに心を痛めていた。

■宮ギ県庁N氏は、昨年から震災復興推進課に異動し、まさに最前線で国との調整業務に追われている、ということを持参した資料を使いながら丁寧に教えてくれた(居酒屋で飲みながら)

■宴会に来てくれる名前を聞いても思い出せなかった宮ギ県庁のSさんは、顔を見た瞬間「あ!知ってる」と(お互いに)思い出した。遠距離恋愛は大変だ。

■宮崎で会ったことがあるのかもしれない宮ギ県庁のSさんは、やっぱりたぶん初対面、のハズ。

■仙台「○たけ」の石山くんは、あまり練習してないといながら、おめでたい詩吟「宝船」を吟じてくれた。

■そこにあとから駆けつけてくれたリエちゃんは、シェアカフェ「まるはた」の専属?料理人として畠山さんを支えていた。

■気仙沼「アンカーコーヒー」のやっちさんは、気仙沼の海岸エリアの復興計画がなかなか進まず、本店の再建ができないことに苛々しつつ、わくわくするビジネスプランを語ってくれた。

■気仙沼「洋菓子店コヤマ」の五代目小山さんは、「絆」という名のカステラをつくりパッケージに「おだづなよ!(こんちくしょう!)」という叫びを刻んだ。

■宮ギ県庁のスーパースター山田さんは、事前に聞いてた以上に、奥さんとラブラブであった。

■気仙沼「すがとよ酒店」の菅原さんは、日南からやってくるカツオ漁船団のために「白霧島」を用意してますと笑顔で言った。

■南三陸さんさん商店街「ヤマウチ鮮魚店」のお母さんは「三陸ホタテの炙り焼き」がすごく美味しいとオススメしてくれた(もちろん買った)。

■石巻「漁業生産組合 浜人」の阿部くんと西條くんは、地元・十三浜の漁業をどうやって強いビジネスにして末長く生き残っていけるかを考えていた。

■「津田鮮魚店」の津田くんは、3月に行う自分の結婚式で、式場から披露宴会場まで間で大名行列をやりたいと言った。

■石巻「居酒屋五エ門」のバイト君は、沖縄からボランティアで入ってそのまま石巻で働き続けていた。

■塩釜「マルブン食品」のブンさんは、慶長遣欧使節団の出航400年の記念事業として3年後のミラノ万博で屋台村をやりたいと妄想していた。

■宮城県仙台地方振興事務所農業農村整備部のブログ「なおこが行く」を書いているなおこさんは年末に第2子を産んだばかりだった。

■宮ギ県庁のノロッチは、奥さんラブで、子どもラブで、必殺タグ付け職人で、ぼくに秋田のジュンサイ狩りを超プッシュしていた。

■NPO理事長の畠山さんは、とにかく顔が広くて、発想が自由で、第一次産業を心から大事にする、こせがれたちのアニキであった。

 

 

今回、仙台〜気仙沼〜南三陸〜石巻〜塩釜で、たくさんの人と、いろいろな話をした。震災のことだけでなく、家族のこと、ビジネスのこと、恋話や下ネタも話した。そうすることで、徐々に東日本大震災というものが、ぼくの中で、立体感をもって目の前に立ち現れてきた。

 

そうなんだな。たまたま震災に遭い、家や店が流されて、家族や知人を亡くして、被災者となってしまった宮ギ県の人たちは、明日のぼくであり、あなたでもあるのだ。そのことをひしひしとリアリティを持って感じられた。

 

もちろん、被災者の悲しみや辛さを理解できた、などと言うつもりは毛頭ない。口蹄疫で牛豚を殺処分せざるを得なかったぼくらの気持ちは、なかなか理解して貰えないのと同じで、いやそれ以上に、ぼくらは被災者の痛みなどわからないと思う。

 

それでも、今回、出会った人々と濃密な時間を過ごしたことで、ぼく自身の気持ちの距離は、ずっと宮ギに近くなった。

 

 

宮ギ・宮ザキで「宮宮コンビ」なんて、ホントにお笑いのようなものだ。「進ぬ、電波少年」でもやらないようなしょーもない企画だ。でも、そんなお笑いのようなものでも、確実に「繋がるためのきっかけ」にはなっていた。甚大な被害からすると、吹けば飛ぶようなものかもしれないけれど、「宮宮の絆というものに姿を変えていた。誰かと誰かの距離を縮めていた。

 

宮ギを旅しながら再認識したのは、ぼくは大勢のために何かができるような人間ではないということだ。全然たいしたことはできない。ちっちえー男だ。でも、自分の半径10m以内にいる人のためなら、ちょっとは頑張れる人間ではある(@当社比)。今回、いろんな人がぼくの半径10m以内に入ってきちゃった。彼らのためなら、一緒に何かができる気がする。

 

その「何か」は今でもよくわかんないんだけど(笑)

 

ま、それこそが「宮宮コンビ」による「宮宮の絆」ってことで。

 

最後に。畠山さん、ノロッチ、次に宮ギに行くときは、「まるはた」に呼んで。わかめのしゃぶしゃぶ食わせて。お世話になりました。本当にありがとう。

 

 

 

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宮宮コンビから宮宮の絆へ〜その3

2013-01-28 (月)

地方公務員 宮崎県

口蹄疫。この目に見えないウィルスのために、2010年の4月末からの約3ヶ月間、宮ザキ県は地獄となった。明けない夜もあるんだなあ、と思いながら毎日を過ごしていた。

 

ぼくの仕事に関して言えば、数ヶ月にわたって準備をしていた映画の企画が流れ、PRイベントはすべて中止となり、もはや「宮ザキの魅力をアピール☆」などという状況では全然なくなってしまった。ぼくらのチームは、一時業務を中止し、緊急対策本部付として、防疫対策に当たっている畜産課の補助要員などを担当することになった。

 

多数の義援金が寄せられたり、獣医師の派遣をいただくなど、全国からのたくさんの支援が届く一方で、畜産課には連日多数のクレームが押し寄せていた。「宮ザキが日本の畜産を潰す」「発生農場は焼きはらえ」「死ね。死んで詫びろ」…。「防疫体制が甘い」というお叱りならまだしも、まるで宮ザキ県民そのものが病原菌であるかのような誹謗中傷も少なくなかった。

 

そんな折、一本の電話があった。宮ギ県のN氏だった。「ああ、甲斐さん。いつもニュースを見て心配しています。大丈夫ですか。こんなときに電話して申し訳ない。我々、何の力にもなれませんが、とりあえず県庁内で義援金を募っています。できることはそのぐらいです。ごめんなさい。でも、みんな宮ザキのことを心配しています。がんばってください。」

 

こみ上げてくるものがあった。N氏の上司からぼくの上司へも電話を頂いた。副知事から副知事へ、知事から知事へも激励の電話があった。宮宮のネタだとか、キャンペーンだとか、そういうのはどうでもよかった。宮ギ県と宮ザキ県が、この災害をきっかけに、もっと深いところで繋がったような気がした。

 

宮ザキの口蹄疫は、約30万頭の牛・豚を殺処分という大きな犠牲ののち、全農場のウィルス検査を経て、7月18日に非常事態宣言が解除、潜伏期間を過ぎた8月27日にようやく終息宣言に至ることができた。真っ暗な夜ではあったが、明けない夜はなかった。

 

ーそれから半年後。今度は東北地方を、大震災、そして大津波が襲った。

 

震災直後は、なかなか現地の様子が入ってこなかった。大手メディアの情報も断片的なものでしかなかった。また原発の問題も発生した。どのような支援ができるのか、各県とも判断を決めかねていた。国が、各県に役割分担を割り振るという話もあって、県単独ではなかなか具体的な動きにならなかった。

 

支援部隊の派遣が決まったのは、震災からようやく10日間ほどが経過した頃だった。職場で緊急ミーティングが開かれた。現場の様子がまだまだよくわからない状況なので、まずは志願者を募るということだった。

 

派遣先は、宮ギ県山元町。福島県との境にあり、長い海岸線をもつ。この海辺に沿って広く住宅地が散在していたため、多くの住宅が流出し、犠牲者も多かったのだという。

*死者632人、家屋の全壊2,217棟(うち流出1,013棟)にのぼった。

 

 

志願者と言われ自然に手をあげた。「宮宮コンビ」を始めた者として、何はともあれ現地の様子を知りたかった。口蹄疫の恩返しがしたかった。ところが、上司から一言「甲斐さんには残って貰わなくてはならない」と言われた。

 

実は、このミーティングの直前、チームリーダーへの昇任が内示されていた(異動は4月1日付)。第1陣の派遣は4月に入ってからで、リーダー以上の役職者は対象外なのだという。今後、長期的な人員派遣が見込まれる中、自県の業務遂行も継続していかなくてはならない。リーダーはチームの取りまとめ役として派遣せず、当面は若手職員を2週間単位で派遣していくこととなったのだった。

 

ジリジリとした気持ちのまま、次々に若手職員(といっても、ぼくの数歳下までが対象)が派遣されていくのを見送り続けた。しばらくして中期的な職員派遣計画が示されたが、その計画で見る限り、当面、ぼくに声がかかることはなさそうだった。BCPの観点からも自分の気持ちだけで動くことはできなかった。

 

気持ちを切り替え、遠方からできることを考えることにした。個人的な義援金はもちろんのこと、東北(宮ギ)応援フェアを企画したり、他部局が進める宮ギ県支援プロジェクトに企画を提案したりした。

 

とはいえ、個人的にも大きな出来事が起きていた。震災の半年前(つまり口蹄疫の収束直後)に、第3子が生まれていたのだ。2番目の子に難聴の障がいがあるとわかってから、子どもは2人という気持ちがあった。そんな中で生まれてきた第3子である。たぶん、ぼくにとっての最後の子であろう。じっくり子どもとの時間を取るために育休を取ろうと思った。出産直後から職場に相談し、震災の前には職場の了解も得ていた。

 

かたや被災地への支援に行きたい自分がいて、かたや子どもと向き合いたい自分もいる。複雑な気分だった。とはいえ、結局は、2011年9月から4ヶ月間の育休を取得した。育休は思った以上に大変だったし、育休前と育休後は、準備とフォローで忙しかった。2012年4月には今の職場へ異動した。まったく経験のない職場で、事務量も多く、なかなか仕事に慣れなかった。

 

「宮宮」への思いは、徐々にそういう「日常」に飲み込まれていった。ぼくにはぼくの人生があった。一生懸命に取り組むべき日々の仕事があり、うんちやおしっこの世話をする相手があった。そうこうするうち、気がつけば、大震災から2年もの月日が流れようとしていた。

 

[13.01.20]

・朝食券なくして食べ損ね(涙)。終日、畠山さんに案内していただく。

・近々再開する漫画館を横目に見つつ、「復興商店街」。若者が多い。ボランティアからそのまま残って街づくりに協力している子も多いとか。「ISHINOMAKI 2.0」が運営する「IRORI石巻」。こういう空間はいいな。Herman Millerが協力しただけあって、スタイリッシュであたたかみがある。人が集える空間だ。石巻工房工房長の千葉さんとご挨拶。

・「日和山」から街を見下ろす。海に向かって、全面に空き地が広がっている。全部住宅が流された場所。その一角には、一昨年の紅白で長渕剛が歌った「門脇小学校」も。津波と火災に見舞われて今や遺跡化。「石巻港」。昨日の津田くんの話にもあったが取れる魚種が多いため、ひどく長い港だ。その分被害も大きかった。

・「サン・ファン館」。今年は支倉常長率いる慶長遣欧使節団がサンファン・バウチスタ号に乗って出航して400年とのこと。河北新報によるとその2年前に発生した慶長三陸津波で深刻な被害を受けた仙台藩が、メキシコとの通商に活路を見出そうとして、伊達政宗の新書を携えた支倉常長を派遣したのだという。震災後2年での遣欧使節団か。なるほど。これは何かやるしかないだろう。まずは9/13の出帆記念日に「サンファン公園」を再開するべきでは。

・塩釜へ移動。「マルブン食品」で常務のぶんさんと。話の端々に情熱があふれる。2015年のミラノ万博で一緒に何かできるといいな。ランチは「すし哲」。特上。残念ながら鮨だけは東北に勝てない。

・仙台へ移動。「ずんだ茶寮」なおこさんファミリー、野呂ファミリーと合流。宮城最後の時間。楽しかった。ありがとう。

・東京着。「コムズ銀座」泊。理恵企画のヨスコ・グラブネル・ガラ・ディナーに参加。同じテーブルには、じゅんじゅん、ふるふる、ぜんりょうまる。素敵過ぎる。奥田シェフともいろいろ話させて頂く。アンフォラ2005が印象的。2次会で吉田さん撃沈。

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宮宮コンビから宮宮の絆へ〜その2

2013-01-24 (木)

地方公務員 宮崎県

お笑いのような「宮宮コンビ」を結成したものの、これというネタがないまま数ヶ月が経過した。宮ギ県N氏とは時々連絡は取り合ってはいたが、なかなかコレというアイデアは浮かばなかった。「宮宮はうまい!」宣言が、それなりのボリュームで報道されたことでかえって妙な期待感を盛り上げてしまい、宮ギ県では県議会で取り上げられるほどだったという(未確認情報)。

 

そうこうしているうちに、ぼくが企画した「みやざきweeeek」の開催が迫ってきた。これは首都圏において宮ザキ県のプロモーションを同時多発的に展開するという企画だった。「ファミリーマート」でチキン南蛮弁当や肉巻きおむすび(おにぎりでなく!)を売り、「イオン」で宮ザキの野菜や果物を大々的に販売し、「モスバーガー」でチキン南蛮バーガーを売り、地下食の「R 1/F」に「宮崎野菜たっぷりサラダ」があったり、「品川プリンスホテル」や「ホテルサンルートブラザ東京」のレストランで宮ザキの食材三昧のフェアを開催…というような内容。

 

簡単に言えば、宮ザキ県の「なにか」とコラボした商品を企業に用意していただき、短期集中的にあちらこちらで一斉に販売したら、「お。なんかあっちでもこっちでも宮ザキが盛り上がってんな!」「やるな!」「かっけーな!」的な企画なのであった。

 

ぼくは、図々しくも、この「みやざきweeeek」に宮ギ県も参加しませんかと持ちかけた。よくよく考えてみれば、他県のプロモーション企画を盛り上げてよ〜ということであって、提案するだけで失礼千万なわけだが、宣言から半年近く経過する中で、これというネタもない中、宮城県N氏も前向きに協力していただいた。まあ、何でもいいから次の打ち出しをしなくてはならなかったのである。

 

結局、両県でいろいろ考えた末、アンテナショップ同士でのコラボをやることになった。宮ギ県は池袋東口に「宮城県ふるさとプラザ」を設置している。宮ザキ県には、新宿南口に「新宿みやざき館KONNE」がある。キャンペーン期間中、この池袋ー新宿でスタンプラリーをして貰い、合計で2,000円以上の買い物をした方にもれなく両県からの粗品を合計2つプレゼントする、という企画だ。宮ギ県の粗品はブランド米1合。宮ザキ県の粗品は日向夏ジュース1本。

 

実施前は、「粗品に自信アリ、とはいえ、わざわざ池袋ー新宿間を移動したりするかなあ?」という疑問があった。それが、フタを開けてみれば、1日平均5人以上の方が粗品をゲットしていた。ゼロかも?と覚悟していたので、コンスタントに粗品を貰って行く方がいらっしゃるのは嬉しかった。何でもやってみないとわからないものなのだ。

 

とはいえ、2009年の2月に開催したこの「みやざきweeeek」企画は、宮ザキ県のプロモに宮ギ県も「ちょっと協力して貰った」ものであって、本格的なコラボというには程遠い内容だった。再び「ネタがない」という苦しみループに入っていった。

 

 

そんなツラい日々のなか、動いたのは宮ギ県だった。いや、村井知事だった。知事があるパーティでセブン-イレブンの仙台支社長と懇談した際、この「宮宮コンビ」の話を持ちだされ、「おたくで何かやってくれないか」と持ちかけたというのだ。でた!「何かやってくれ」攻撃(笑) いや、村井知事の「何かやってくれ」は実際に何かが生まれるからすごい。

 

セブンの仙台支社はすぐに動いた。九州支社に連絡を入れ、「何かやりましょう」と真剣に考えてくれた。結局、両支社同士で企画を立てて「宮宮はうまい!宣言 宮城県☓宮崎県フェア」を開催することになった。両県の特産物を使った惣菜・パンなどをつくり、両県エリア内のセブン-イレブンで販売するのだ。やっとコラボっぽい企画!しかも他人のフンドシで!素晴らしすぎた!

 

ところで、この企画、販売開始が迫ったところで大きなトラブル?が発生した。このフェアに合わせ、村井・東国原両知事が、セブン-イレブン本社で記者会見をすることになった。支社の企画ではあるものの、本社を会場に使うことになり、また2人の知事がやってくるということもあって、本社内部で、「一応お耳に入れておく」程度な感じで、徐々に情報が「上」の方へ伝えられていった。販促部>担当取締役>専務>社長へと。そしていよいよ会長にまで情報が伝わったとき、会長からこんな一言があったのだという。

 

記者会見を東京でやるのだから、東京エリアでも当然販売するよね

 

会長、グッジョブ! 当初、宮ギ県(321店舗)・宮ザキ県(136店舗)だけで販売予定だったものが、会長の一言で都内(1,646店舗)を加えた合計2,103店舗で販売することになったのである!しかも1週間前に!近くで見ていても現場の混乱は凄まじいものがあった。当初予定した食材や販促物を一気に4倍以上に増やさなくてはならないのだ。そういうバタバタもあって、すべてのアイテムを全店舗で販売することはできなかったものの、メディアにも取り上げられ、非常によく売れたらしい。これもまた両県にとっては嬉しい限り。

 

そのあとも、セブン-イレブンは県を介さずに自主的な「第2弾企画」も開催してくれた(ただし東京地区はなしで w)。なんとも、ありがたいことである。

 

 

 

こうして、セブン-イレブンのおかげでグイッと盛り上がった「宮宮コンビ」は、村井知事や三浦副知事が、ベガルタ仙台の宮ザキキャンプの激励に来ていただくようになったり(それ以前はなかったらしい)、両県の職員ブログ「なおこが行く」と「ふぞろいのマンゴーたち」が交流するようになったり、あるいはその交流が河北新報に掲載されたりして、なんとなく「宮宮コンビ」が本格的に何かやってる感は継続していったのであった。

 

ーーーまさかの口蹄疫が宮ザキを襲うまでは。

 

 

[13.01.19]

・野呂さんのアテンドで気仙沼へ。途中「アンカーフルセイルコーヒー」にてラテ購入。店員さんのサービスが心地良い。気仙沼港。地盤沈下が凄まじい。復興商店街経由で「齊藤茶舗」。店舗だけ見ていると、とても潮水に浸かったとは思えない。大変だったろう。お父さんと最近の様子などを。

・仮店舗で営業中の「アンカーコーヒー」。店員さんがまた感じよい。ソーセージサンドのパンと禁断のホットリッチチョコレート☆。ネーミングが素敵過ぎるので野呂さんと「禁断ず」結成(意味不明)。あとで専務のやっちさんが顔をだしてくれて、小1時間ビジネス談議。行政への不満は真っ当な不満。課題に追われて行政力も低下しているのかも。「いつか水産加工を」という言葉が印象的。

・「コヤマ」へ。五代目小山くんは先週お父さんをなくされたばかり。ブログを読んでファンになったのでぜひ頑張って欲しい。銘菓「ほたてもなかくっきー」を購入。たまたま宮ギ県庁のエース!の山田夫妻に遭遇。ほぼ日経由で予備知識はあったけど、野呂さんからの情報も多く、会った時点で昔からの友人じゃないかと錯覚したほど w。

・「第十八共徳丸」。テレビで何度も見た船。大きさは想像していたものだったが、目の前にあるとその重量感を肌で感じられてひたすら圧倒される。こんなものが陸上を移動するという恐ろしい力。続いて「すがとよ酒店」跡地へ。根こそぎもっていかれた鹿折地区にポツンと小さなプレハブが置いてある。そこが跡地。震災前後の写真が張ってあり、いかに大きな被害だったかを再確認。「負げねぇぞ気仙沼」のノボリがはためいている。そのあと仮設店舗で営業中の菅原さんから、地酒「男山」と「両国」を購入。

・日がどっぷり暮れる頃、ようやく南三陸町へ。防災庁舎の静かなたたずまい。山間に仮設された「南三陸さんさん商店街」へ。「及善蒲鉾店」。美味しい笹かまを野呂さんから奢ってもらう。「ヤマウチ」。閉店しかかるところをムリヤリあけてもらい海産物など多数購入。おかあさんの笑顔とオススメ上手にやられた。

・石巻へ。グランドホテルにチェックイン後、「五エ門」へ。畠山さんのほか、津田鮮魚店のおさかな王子こと津田くん、漁師の阿部くん、西条くん。みんな若いのに強い危機感と強い勉強意欲がある。こういう若者にはぜひ成功して欲しい。バイトの子にはボランティアで来てそのまま働いている子も。そのうちひとりは偶然にも「みやざき中央新聞」に関わっているらしい。2次会は、適当な居酒屋(名前忘れた)にて畠山さんと。

 

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宮宮コンビから宮宮の絆へ〜その1

2013-01-24 (木)

地方公務員 宮崎県

もう5年近く前の話。

 

宮城県と宮崎県は名前がよく似ているからなんかやれ!…というあまりにあまりな指示が、知事→副知事経由で降りてきたことがあった。副知事からの直電を受けた上司が、ぼくを呼んで、「そういうことだから。なんか考えて」と。むちゃぶり!

 

どうやら、宮城県(以下わかりやすいように宮ギ)で行われた宮崎(同じく宮ザキ)の農産物キャンペーンのあと、東国原さんが村井宮ギ県知事を表敬した際、「昔からよく名前を間違えられますよねえ」という話になり、「まあこれも何かの縁ですから、何かできるといいですねえ」と”軽く”盛り上がったらしい。

 

えーっと。それは世間一般では、単なる雑談、あるいは社交辞令と呼ばれるものでは? 名前が似ているというだけで一体何ができるというのか。むきー!――などという反論をできるハズもない。私は悲しき宮仕え。指示を受けてしばらくの間は、宮ギ県側の担当者である食産業振興課のN氏と頭を抱える日々が続いた。

 

その頃、うちの農政部が、山形県のさくらんぼと宮ザキのマンゴーが時期を同じくして店頭を飾るので、高級フルーツ店と一緒に共同キャンペーンを張っていた。オープニングイベントでは、両県に由来のある上杉鷹山の名言から「なせばなる産地協力宣言」をし、今後の協力を誓った。会場が六本木ヒルズということもあり、それなりに注目を集め、メディアも賑わせていた。

 

宮ギ県N氏とは「まあ、そういうキャンペーン的なものがあればなあ。なにか両県の共通項にできるネタを探すしかないっすね~」となどと話していた。宮ザキのカツオ漁船が気仙沼で水揚げしてることとか(だからどうした)、宮ギの米に宮ザキの牛をのせた牛丼とか(逆も可)、どうにもしっくりくるネタが浮かばない。そうこうするうち、宮ギ県N氏から「何をやるかはあとで考えるとして、まずは、宮ザキ宮ギ食産業振興協定を締結するのはどうでしょう?」という提案があった(一応気をつかっていただいて宮ザキが前にw)。

 

うーん。協定書か。協定ってことは契約みたいなものだから、将来に渡って拘束されるってことだよなあ。それはつらいなあ。だってまだ何ひとつネタが浮かばないんだもの…。「何かやれ」の「何か」を誰か教えてくれないものか。うーんうーん。

 

ネタを出してはボツるを繰り返しつつ、引き続き宮ギ県N氏と意見交換する中で、あるとき「去年、キリンビールのキャンペーンに村井知事が呼ばれた(宮ギ県に工場がある縁で)」という情報が出てきた。なんと!キリンビールとな!

 

実は、さらにさかのぼること1年前、キリンビールの幹部S氏と、宮ザキの和食屋で同席する機会があって、初対面にも関わらず意気投合したことがあった。CMの話からの流れで「ぼくは森本千絵さんが大好きなんですよ~」という話をしたところ、S氏が「おお。いいよな千絵ちゃん。今、彼女はアートディレクションで5本の指に入る存在なんだよ!」と熱弁。ふたりで、いかに千絵ちゃんが凄いか話で盛り上がったのだった。

 

出会った当時、ぼくは別の部署にいたのだけれど、数カ月後に「みやざきアピール課」に異動したとき、S氏から「甲斐ちゃん、なんか一緒に仕事ができるといいねえ」と声をかけて貰ったりもしていた。それを思い出したのだった。

 

当時、キリンビールは、毎年、全国各地の名産品が当たる「日本のうまい!」キャンペーンを展開していた。そして近々、首都圏のホテルを会場にして、今年のキャンペーン内容を大々的に記者発表するという。うむ。この場所を貸して貰えたら、何かできそうな気がする。

 

「日本のうまい!」キャンペーンには当然、宮ギ県、宮ザキ県の名産品も使われている。村井知事に加えて、東国原さんが行けばキリンビールさんも喜んでくれるかもしれないし、こちもステージをお借りしてPRができる。いいかも。

 

さっそく企画書をつくり、忙しいS氏の時間をムリヤリ空けてもらって本社を訪ねた。両県の知事がそれぞれお国自慢をし、宮ギ宮ザキはもちろん、日本にはおいしいものがいっぱい、おいしいビールと一緒に楽しみましょう、という企画でどうでしょう!とプレゼンした。

 

イベントまで時間が迫っているタイミングではあったけれど、S氏の返事は一発OK。「面白い!それやろうよ!」。直前ということもあり、発表会ではすでに予定されてた企画があったものの、なんとかぼくの企画も潜り込ませて、全体の調整をすることとなった。

 

さて。今度は、両知事によるお国自慢のやり方を工夫しなくてはいけない。そしてキリンビールのキャンペーンとも、不自然にならないように両立させたかった。

 

そこで、宮ギ県N氏から提案のあった「宮ギ宮ザキ食産業振興協定」をもう一度練りなおしてみることを思いついた。「協定」はあまりに行政チックだから、山形のときと同じように「宣言」というのはどうだろう。「宣言」であれば、なんか「イキオイだけで言ってみました」的な感じもあるし、将来、いい企画がなければ、そのままなんとなくフェードアウトもしやすいんじゃないか。うん。ファイト一発的なものがよいな。2県で協力してのお国自慢宣言。それがいい。

 

宣言の内容はどうしよう。宮ギ県N氏から提案のあった「食産業振興」というテーマ自体は悪いわけじゃない。遠隔地にあるから観光での協力はハードルが高い。食での協力の方がまだ現実的だ。それに「日本のうまい!」というキャンペーンのテイストも少し入れるとより一層自然に受け止めてもらえるかも…

 

そんなことを考えながら、とりあえずワープロでぱたぱたと「宣言文」を書いてみた。書き始めたら、意外にもすらすらと書けて、小1時間ぐらいで案文ができあがった。

 

タイトルは「宮宮はうまい!」宣言。そして宮ギ・宮ザキ両県はこれから「宮宮コンビ」として、両県のおいしいものをアピールしてく…という内容のものだった(アピール課だけにw)。

 

できあがった文章を読み返して、思わず自分で「宮宮コンビ」って、お笑いかよ!とツッコミつつも、さっそく宮ギ県N氏にメールしてみる。「キリンビールのキャンペーンの件ですが、以前提案頂いたような協定的なものをやりたいと思います。ただ、東国原のキャラクターイメージもありますので、もう少しユルい感じの「宣言」文をつくってみました。いかがでしょうか?」

 

…ところが、いつもなら電話なりメールなりですぐにレスポンスのある宮ギ県N氏からは、いっこうに連絡が来なかった。んー。ふざけすぎたかなあ。でも、これがNGだったら、書類のカタチでは難しいかも。そのときは、ステージトークぐらいでお茶を濁すかなあ…。

 

そんな風に気を揉んでいたら、1週間後、ようやく宮ギ県N氏から電話があった。

 

「甲斐さん、お待たせしました!」

…ああどうもどうも。

「決裁とれました!」

…は、はあ?

「知事決裁とれました!」

ち、知事!こっちはまだ直属の上司にも話してないよ!

「甲斐さん、一点だけ事後報告で申し訳ないのですが…」

…な、なになに。

「文章中に一部方言が入っているのですが、あれは県北部だけで使われるもので、少し宮ギ全体で通じるものに修正させていただきました。申し訳ありませんがご了承ください!」

…そ、そこかよ!

…全然かわまないけど、いや、知事決裁はかまうよ!

 

超〜慌てて、上司に報告。

 

「えーっとですね。先方が、ど~うしてもこういう宣言をしたいらしいのですもう決まったことらしいのです私は少しふざけすぎではないかという懸念もするわけですですがですがもう文章も直せない段階ということでこれでなんとかよろしく哀愁…もごもごもご」。

 

文章を読んだ上司は一言。

「面白い!いーんじゃない!」 …よ、よかった~。課長、ここにハンコください。

 

ということで、キリンビールキャンペーンという大勢のマスコミが集まる場面で、今回のキャンペーンに使われている宮ギの米、宮ザキの牛肉を使ってのお国自慢をしつつ、両県で「宮宮はうまい!」宣言を行うことができた。キリンビール側が元々仕込んでいた「くいだおれ太郎」さんともうまいことコラボすることができ、翌日はマスコミ各紙を大いににぎわすイベントすることができた。キリンビール社長からは東国原さん宛に丁寧な自筆の礼状も届いた。よかったよかった。

 

でもそれで終わったわけではなかった。後日談。

 

このキャンペーンは、当然、宮ギ・宮ザキの両県でも報道された。イベントの数日後、宮ギ県N氏からほくほくした声で電話があった。

 

「甲斐さん!このたびは大変お世話になりました。地元でもメディアに大きく取り上げられて、知事も喜んでいらっしゃいました。これからもよろしくお願いします! 記事もわかる範囲で集めましたのであとでメールで送りますね。」

 

お礼とともに新聞の切り抜きがPDFで送られてきた。そして、最初のページを見た瞬間、ぼくは卒倒しそうになった。宮ギ県の地元紙「河北新報」1面。そこにどどーんと「宮宮コンビ」の文字が躍っていたのである! お笑いかよ! しかも、ぼくがふふふん♪と鼻歌歌いながら書いた宣言文が、全文掲載されていたという悪夢! うぎゃあああああ…。

 

まあ、とっくに時効であるから、宣言文も掲載しておく。1000km以上離れていて、なにかと接点の薄かった宮ギ県と宮ザキ県との交流は、こうやってスタートしていったのであった。

 

 

「宮宮はうまい!」宣言

 

「みやぎ」「みやざき」の両県は、豊富な野菜や果物、高品質な肉類、新鮮な魚介類、あるいは、かたや日本酒、かたや焼酎といった加工品に至るまで、日本列島の北と南から、とびきりの「うまい!」を提供しています。

 

両県は、「宮」という字を共有しているだけでなく、「みやぎ」「みやざき」という発音も類似していることから、これまで他県の方々から「どっちがどっち?」と混同されることが多々ありました。

 

そのたびに、両県民は、「なしておらいが宮崎なのっしゃ?」「まこち、宮城じゃねっちゃが」という思いをしてきたものです。

 

そこで、「みやぎ」「みやざき」両県は、今後、「宮宮コンビ」としてタッグを組み、さまざまな機会を通じて、それぞれのとっておきの「うまい!」を紹介し、その味、その香り、その食感などを通じて、日本国民のハートを鷲づかみにし、「さすが宮城!」「なるほど宮崎!」と喜んで頂けるよう、それぞれの魅力を強くアピールしていくことをここに宣言します。

 

宮城県知事 村井嘉浩

宮崎県知事 東国原英夫

 

 

[13.1.18]

・話題の787機が欠航。前日は日程調整で苦労した。ひとつ遅い便にて東京へ。京急線でまさかの人身事故>各駅停車運転。なんとかギリギリで予定していた新幹線へ。仙台駅でチーバくん発見(笑)。宮崎出身の千葉のキャラクターが仙台で頑張るの図。ひとつ後の新幹線で東京から戻ってきた野呂さんと駅で合流し、東口で畠山さんと合流。残雪のこる仙台は寒い。

・まずは名取市閖上へ。日和山へ登る。雪で覆われた田園地帯…のような風景だが、多くの住宅が流された場所。愕然。唖然。言葉がでない。周辺の道は工事用のトラックがひっきりなしに走る。日和山より少し高い土盛は、あとで「もしここに新たに人が住めるようにするにはこのぐらいの高さが必要」という仮設土盛だと知る。これだけ広大な土地にこの土盛はありえない→人は住めない、という現実。

・山元町へ。着いてみると、阿部さん(宮ギ県から町へ派遣中)が宮ザキ県内の市町村から派遣されている職員を集めてくれていた。都農町の日髙さんは土木技師。昨年の4月から派遣されているという。宮ザキ市からは4人。若い事務屋さんたちで、学校の建て替えなどの事務に携わっているとのこと。入れ替わり立ち替り、宮ザキからの派遣は続いている。阿部さんの案内で中浜小学校へ。津波対策で嵩上げした土地に建設されていたが、2Fの天井近くまで水が来たため、先生と生徒は屋根裏に逃げ込んでなんとか難を逃れたとか。全員が助かった施設であるため、遺産として残す予定という。すっかり日が暮れていて視界が利かず、雪と思った場所で水たまりで、左足水没。つ、冷たい…。

・阿部さんと別れ、仙台市内へ。「(株)石巻津田水産にてケンチョーズと。中澤さんによる復興状況のプレゼン。斎藤さん。関口さん。テーブル対抗のセリでは、特選鮮魚を競り落とすとお好みの調理法で出してくれる。ぼくがクロイソを600円でゲットし、刺身と煮付けに。これがバカうま。分厚い刺身やら牡蠣(バケツ蒸し!)やらえらく美味い。三陸の魚すげー。

・畠山さんと2人で2次会「○たけ」。変態な日本酒がいろいろで楽しい。途中からリエちゃん合流。店主の石山くんが「宝船」を吟じてくれた。東北選抜だけあってすげえ上手くて感動。楽しくて飲み過ぎる。

 

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キャラクター考

2012-12-04 (火)

デザイン 仕事 地方公務員 宮崎県

みやざき犬」の産みの父(産みの母はHくん。ベビーシッターはNくん)として、思うところを整理してみる。

 

キャラクターというのは、タレントと一緒で「露出度」が最も重要だと思っている。かわいい・かわいくないは、二の次で「露出度」こそが重要なのである。わかりやすい例は、「せんとくん」だろう。最初にあの造形をみた瞬間は、誰もが「げ!」「ないわ!」と思ったハズ。それが奈良県内で「そんなキャラは認めない論争」が巻き起こって何度もニュースで取り上げられ、結果、すごい量の露出となって、「そこまでひどくないんじゃね?」「ちょっとはかわいいかも?」「かわいい!」になっていったのはご承知の通りである。

 

せんとくん以降、話題性を狙って意図的に「かわいくなさ」をウリにしたようなキャラが増えたけれども、狙って打った玉はすっかり見透かされるのが現代だ。結局はただの「出オチ」になってしまい、一瞬話題になっただけで萎んでいくことがほとんど。だからと言って、単に「かわいい」だけでも取材はしてくれないし話題にもならない。よほどうまく仕掛けていかないと露出を継続していくのは簡単じゃない。

 

 

今では全国区となった「くまモン」だって、デビュー当時の評判は散々だった。目が怖いだの、熊本にクマはいない(笑)だの。だけども彼には新幹線対策という大きな予算があったから、次々にいろんな仕掛け(しかも当時のプロデューサーは小山薫堂さん)を繰り出すことで、スタート時から相当なボリュームの露出を続けることができた。

 

さらには、とてもキュートなキグルミが登場したことも大きかった。リアルにちょこまかと動く「くまモン」は、ぐっと人の心を捉えた。さらにさらに。著作権フリーということが「商品化」を促し、「モノ」による露出も加速度的に進んだ。戦略もありつつ、ラッキーもありつつ、他に例をみない独自なキャラクターへと成長していったのだ。まあしかし、これは「くまモン」の売り方であって、マネできるものじゃない。

 


さて。振り返って、我が「みやざき犬」である。彼ら(とあえて書く)はこれからどう売っていけばよいのだろう。

 

それは、他のキャラクターにはない「彼ららしさ」を活かしていくしかないのだと思う。3匹いる。カブリモノを被っている。ダンスを踊る。この「らしさ」を活かすとすれば、「物語性」に行き着く。3匹のキャラ立ち。時期にあったカブリモノ。ステージでのダンス。そこをうまくディレクションすれば、立派な物語性が浮かびあがってくる(はず)。

 

そういう意味において、「みやざき犬」にあえて目標を掲げるとすれば、「くまモン」ではなく「くまのがっこう」ではないか。

 

「くまのがっこう」は「絵本」である。しっかりとした物語があって、主役のジャッキーというキャラクターも立っている。その上で、物語の世界観をキープしながらグッズ展開へと進めている。そう。実はこのキャラクター、玩具メーカー・BANDAIの企画なのである。物語を先行させてからのグッズ展開というビジネスモデルなのだ。

 

キャラクタービジネスとしてスタートした企画でありながら、しかし、この「くまのがっこう」には嫌らしさがない。時間をかけて(なにせ媒体が絵本である)じっくりと母と子どもたちの支持を広げてきた。絵本の世界観をとても大切にしてキャラクターを「育てて」いるのだ。なにせ専用サイトでは、BANDAIのロゴすら表示してないほどだ。

 

このルートを狙っている自治体キャラは、未だ見かけたことがない。考えれば考えるほど、このルートにしか、成功はないのではないか、という気すらしている。一定の流れができつつあるfacebookに続けて、絵本、漫画、フラッシュアニメ…といったパッケージも提供する。「みやざき犬」の世界観をつくっていく。そこに新たな共感と需要が生まれるんじゃないかなあ。

 

 

…なんてなことを考えていたら、今日たまたま本屋で見かけた「くまモンの写真集」は、浅田政志さんの撮影ということに気がついた。なるほど! だからこんなにイキイキとした写真になっているのかあ。くそ。この写真集、悔しいけれど、見事に物語性を作り出していて、さらに1枚1枚の完成度もかなり高い。プロの仕事だ。ぬぅ。人気者はこんなことまでできちゃうのか。くー。負けるなみやざき犬。

 

あんまり悔しいので、初代「くまモン」のキグルミ写真(汚点)を添付しておく。キグルミビズがあんなにかわいい2代目キグルミを作っていなければ、こんな人気者にならなかったものを…。ちっ。

 

 

[12.12.03]

・T議員答弁。基金積み増しの件で部長協議。同じく財政協議。K女史とランチ・ミーティングいろいろ。「レガーメ」。

・地区の役員決め。地区長は免れたらしい。ほっ。

・「私は、フジコ/真梨幸子」。早く次のが読みたい。

[12.12.04]

・J委員会。意識の高い人とそうでない人の差が歴然。いつまで続くか。基金の資料など。

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ひとり勝手に県庁総合窓口

2012-12-03 (月)

仕事 宮崎県

ここのところ、ひとりで勝手に「県庁総合窓口」をやっている。ただし、「なんかワクワクしそうな話」専用の。たとえば昨日終わったプロジェクトはこんなんだった。

 

数ヶ月前、人気イタリアン「銀座シルベラード」のグランシェフをやっている中原さんから「前から思ってたんだけど、出身校の給食をつくったりってできないですかね…」という相談があった。東京でバリバリ頑張っているシェフが、故郷のために何かしたい。しかも子どもたちのために。…ええ話やん!ワクワクするやん!

 

ということで、早速、農政(食材の提供)と教育委員会(学校の協力)に話をしに行った。「そんなのすぐにできそう」と思っていたものの、詳しく話を聞くと、そうそう簡単な話ではなさそうだった。問題は大きく2点。予算の問題。そして衛生基準の問題。特に衛生面は、かつて給食による死亡事故があった経緯もあり、法が厳しく、外部者による調理はハードルが高かった。

 

それでも、シェフの「熱い思い」に感激した農政・教育委員会の担当者が、いろいろな代替案を考えてくれた。最終的にはシェフとも相談した上で、「学校栄養士に向けた本格イタリアンの調理実習」というスキームが出来上がった。直接、子どもたちに食べさせることはできないけれど、栄養士さんにシェフの技術を学んでもらい、給食に活かそうというわけだ。なるほど。予算も、地産地消の予算等を組み合わせてなんとか捻出できることに(といってもシェフの旅費や食材費ぐらいなんだけど w)。

 

 

せっかくなので、ぼくも図々しく実習の様子を見学に行かせて貰った。休日にも関わらず、県内の学校や給食センターから30人ほどの栄養士さんが集合し、シェフのデモンストレーション(写真)を食い入るように、時にため息すらつきながら眺めていた。その後の実習でも、直接シェフからひとつひとつ個別に指導を受けて、特に若い栄養士さんたちが、活き活きとして学んでくれたのが印象的だった。

 

シェフが用意してくれたメニューも良かったな。もうそのまま給食に使えそうな、それでいて、ちゃんと「イタリアン」なテイストが感じられる素晴らしい内容。栄養士会の幹部も「詳しい打合せもできなかったけれど、こちらの意図を全部汲んで貰った!」と感激されていた。試食してみてさらにビックリ。宮崎の普通の人参が、ほんの一手間でこんなにも旨くなるなんて! 宮崎の素材の良さも再確認。

 

…という感じで、行政の枠組みをうまく回していくと、関係者(今回で言えばシェフ・農政・教育委員会)みんながハッピーな仕掛けができるかもしれない。そしてうまく結果が出せれば次に繋がって、継続性も生まれる(ちなみにこの栄養士会プロジェクトは今後も何かやるです)。

 

ぼくがこれから勝手にやっていこうと思っているのは、こういう意味での総合窓口なのだ。比較的どんな球でも拾うつもり。そしてゼロ回答はしないつもり。なにか建設的な話があればいつでもお電話ください。報酬は「みんなが嬉しくなること」のみ。

 

…というわけで、その場でシェフからは次なる依頼が。これもワクワクする内容。がんばるです。

 

[12.11.30]

・朝イチで完全失業率のデータをUP。委員会資料へ。

・「ROBOT」★。期待し過ぎた。予告編でよく出ていたアクションシーン以外はかなり残念な感じ。もっとボリウッドらしく弾けて欲しかった。

[12.12.01]

・息子を耳鼻科へ。ドクターと話して鼻腔内の切除手術をすることに。CT撮ったり、聴力検査したり、血を採ったり。午前中いっぱい。

・学校給食会で中原シェフ実習。打ち上げまで参加。「たなこころ」。みんなが喜んでくれて嬉しい。一人2次会「hana」。

[12.12.02]

・上2人は地区のレクレーション(宮小で綱引きとか)。送り届けてそのままRun 21km。2’10。

・昼食後、「ブラザー理容清武店」。帰り道、夕食の買い出しなど。

・「殺人鬼フジコの衝動/真梨幸子(徳間文庫)」★★★★。不快過ぎる小説。そして読むことを止められない小説。最後のどんでん返しは、よく考えないとわからない。読みながら微妙に引っかかった部分が最後にだーっと裏返されていく。すごいな。

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地方公務員の逆襲

2012-12-01 (土)

仕事 地方公務員 宮崎県

地方の時代。―ここ数年、そういった言葉を聞く機会が増えてきた。

 

橋本大阪市長のように「情報発信力」のある首長たちが「地方分権」を訴え、次の選挙では元知事・市長らが国政を賑わす状況であるし、また樋渡武雄市長のように、市立病院の民営化やSNSの活用、図書館とTSUTAYAの連携など全国をリードする取り組みで注目を浴びていたりする。世襲でない若い首長(熊谷千葉市長、吉田横須賀市長ら)も増えてきて、なんだか地方は元気が出てきている気がする。

 

でも、ふと気が付けば、元気があるのは首長ばかりではないか。その首長を支える地方公務員たちは元気なんだろうか。

 

個人的体感値から言えば、約9割の地方公務員は、首長の命に従い、法に則り、キチッ、カチッとした日々の業務を淡々とこなしている。たとえ元気過ぎる首長から非現実的な指示があったとしても、真摯に向き合い、黙々と法と現実とのすり合わせをし、何らかの前進を試みる。大きな飛躍は難しくても、失敗がないように、着実な一歩を刻むような努力をしている。

 

さて。ぼくの大好きな歌に「365歩のマーチ@水前寺清子」がある。

♪幸せは歩いてこない だから歩いていくんだよ

一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる

 

これは、右肩あがりの成長が前提だった時代の歌だ。少子・高齢化の今の時代は、現状維持さえままならず、じっとしているだけで毎日二歩ほど下がる時代である。一日一歩歩んでいては、どんどん後ろへ後退してしまう。

 

そんな時代だからか、地方公務員の世界にも、ちょっと変な人(いい意味で)が生まれてあっと驚くようなイノベーションを起こし始めている。たとえば、ローマ法王に米を食わせた高野誠鮮さん。ツテがあるとはいえ、NASAとか木村秋則とかアラン・デュカスとか、まあ実に景気がいいプロジェクトを次々に展開している。そして、うちの県にもかなり変な人(いい意味で)がいて、なぜか「東京ガールズコレクション」をこの超地方都市宮崎で、2年間で2回も開催することになっていたりする(詳細はそのうち)。

 

まだまだ小さなうねりではあるけれど、時代の必要に迫られた末、1割の「変な職員」のうちの更に1割(つまり全体の1%)から、とんでもない職員が生まれ、突発的に「一日10歩」の歩みを生むことが出てくるんじゃなかろうか。まあ、そんな職員があんまり多すぎるとリスキーだけども。そういう時代に仕事ができることに、ちょっとワクワクしたりもする。

 

 

[12.11.28]

・紹介資料の整理。T議員答弁関係。夕方趣旨確認。そのまま答弁書等作成。まさかの基金積み増し。

・「7年目の浮気」★★。ビリー・ワイルダー。あれ、これそんなに面白くない。マリリンのキュートさは確かに素晴らしいけども。セリフオチな基本構造が好きではない。

[12.11.29]

・T議員答弁。午後すり合わせ。

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県民栄誉賞、知事の英断

2012-11-21 (水)

仕事 宮崎県

今週金曜日(11/23)、宮崎牛が日本一になったことを祝う「県民感謝祭」が開催される。本日その詳細がリリースされた。

 

実は、事務局から請われて、ぼくも部分的にお手伝いをしている。限られた時間の中でやれることには限界もあったが、なんとかいくつかの企画を捻り出し、関係機関の協力を得て、「東京ガールズコレクション」の招聘と、「みやざき犬」の新バージョン開発が実現できることになった。みなさん、パレードお楽しみに。

 

というわけで、なかなか賑やかなイベントになりそうで、「よかったよかった」と思っていたところ、今日の記者会見でもうひとつ重大な発表があった。それは、今回の「和牛のオリンピック(第10回全国和牛能力共進会)」に出場した「チーム宮崎牛」に対して、「県民栄誉賞」が贈呈されるというのだ。

 

県民栄誉賞とは、「広く県民に敬愛され、県民に希望と活力を与えることにおいて顕著な功績があった者」に対して贈呈されるもので、これまでたった6人にしか与えられていない。

 

スポーツ分野での、井上康生の金メダル、青木宣親のWBC2連覇への貢献、松田丈志の銀・銅メダル、あるいは文化分野のアイザック・スターンなど、県民にとって、まさに「偉業」と呼べるものばかりだ。

 

それと並び賞せられるべきとして、「チーム宮崎牛」の栄誉を称えるというのだ。口蹄疫からの再生・復興を目指す宮崎にとって、大きな希望と感動をもたらしたことは間違いなく、確かに「県民栄誉賞」に相応しい功績だと思う。

 

ちなみに「チーム宮崎牛」の受賞は、「団体として初」であり「産業分野として初」である。これは知事の英断だなあ。なんだか自分の組織のトップを褒めそやすのは、気持ち悪いものだが、今回ばかりは心から「いいね!」と思ったです。素晴らしい。

 

 

[12.11.20]

・なかなか安田案件が決まらず。ギリギリ11:30に決着。13:45記者発表。照会案件いろいろ処理。

・「お熱いのがお好き」★★★。ビリー・ワイルダー。今改めて見ると、マリリン・モンロー、セクシーというより、モッチリー。

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新聞広告と復興ポスター

2012-09-12 (水)

仕事 友人知人 宮崎県

公務員もサラリーマンであり、大きな組織の歯車であるから原則として代替はきく。ぼくが倒れたら誰か他の人が滞りなく業務を引き継いでいく。それでも、「これは自分でしか、なしえなかっただろうな」と勝手に自負している仕事がいくつかある。そのひとつが口蹄疫終息後に短期間で展開した「お礼広告」と「復興ポスター」である。アートディレクターをお願いした日高英輝さんがこの件をコラムで取り上げてくれていて、なんだかいろいろ思い出した。

 

庁内・議会の調整と予算の獲得、意見集約、日高さんへの依頼と打ち合わせ、個別具体的なボランティアの手配と現場の仕切り…。6月後半にスタートした企画は、7月に議会で予算の承認を得て制作に取りかかり、8月に広告掲載、9月にはポスターの掲示を始めた。民間ならいざ知らず、行政でこのスピードは相当なものだと思う(@当社比)。

 

新聞広告は、全国紙4紙+エリア紙という規模で展開した。国民の1/3(発行部数計)にメッセージを届ける、というのは県政史上初のケースのハズ(記録がないから未確認だけど)。大手メーカーならいざ知らず、うちのような予算の少ない県としては極めてレアな出来事である。

 

復興ポスターは、予算を削るのが仕事?の財政課から「わずかだけど予算付けるから県民が元気になるポスターを」という逆オーダーを受けたものだった。そして、付いた予算は、ホントにわずかなものだった(苦笑)。

 

それよりなにより、広告にしてもポスターにしても、県民の複雑な心情を慮りつつ、ポジティブなメッセージを打ち出さなくてはならないという部分が一番悩ましく神経も使った部分だった。

 

いろんな人が協力してくれた。実費だけで引き受けてくれた日高さんはもちろん、ぼくがずらずらと箇条書きにした「全国に伝えたいメッセージ」を、とても素直で心にしみる文章に仕立てていただいたコピーライターの名雪さん(初めて読んだときは涙が出た)。ポスター撮影に全面的に協力していただいたカメラマンの蓮井さん。同じくカメラマンの渡辺くん。天候不順のなか、奇跡の一枚が撮れた。そして国民的美少女・工藤綾乃ちゃんをはじめ、モデルとして出演いただいたボランティアのみなさん。いろいろ相談にのってくれた宮田っち。宮崎を思う気持ちがひとつになったのがあの広告であり、ポスターだった…と思っている。

 

結局、うまくいった(*)のは、関係する幹部に「事前」に意向を確認して、あとはすべてぼくと日高さんに任せて貰ったことだ。「事後」、つまり、できあがったあとは、ポジティブな意見以外は全部はねのけた(←何様!)。当時の副知事(現知事)の意見も聞かなかった(ごめんなさい)。ある意味、日高さんと心中したようなものだったな。むちゃしたな~。

 

…なんて、思い出に浸ってもしょうがないのだが、時々は、この頃の「思い」を蘇らせて、今の自分、明日の自分に気合いを入れることも大事なのかもしれない。さて。今、目の前に立ちはだかっている無理難題をどうやってクリアしてくれようか。

 

(*)某新聞が事後アンケートを取り、数字的に過去最高の好感度評価を得た

(*)新聞協会も優良事例としてアーカイブしてくれている。

 

[12.09.11]

・議会対応。午後時間休。娘1号参観。

・「鬼婆」★★★★。新藤兼人監督。面白い監督だ。自分の愛人にこんな役をやらせるなんて。いやあまだまだ見たい新藤作品。

 

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「かえるのたまご」の企画はこんなんでした

2012-08-28 (火)

仕事 宮崎県

県庁内部の企画提案コンペ「かえるのたまご」で、知事賞を受賞した。おめでとう自分。

 

「かえるのたまご」は、安藤知事時代にスタート。東国原知事時代に「幹部に直接プレゼン」という形式になり、現在に至っている。職員投票による1次選考(10倍ぐらい?)を通過すると知事や幹部職員がズラリと並ぶ前で、提案した企画の意義・可能性を語ることになる。それなりの緊張感があり、その分得るものもある。

 

タイトルから類推できるように、この企画コンペは、元々は「職員からいろいろな提案をすくい上げてみよう」という程度の、できるだけ敷居を低くした職員研修の一環のようなもの、だと理解している。もちろん実際に実施されたナイス企画もあるが、まずは広くアイデアを募り、全体で共有するという点に重きがあるのだと思う。

 

ぼくは今回のものを合わせて、これまで4回提案し、4回が1次先行を通過してプレゼンをし、3回 知事賞を貰った。たしか、最多受賞のハズ。でも、これって良かったり悪かったりで、前回受賞あたりから「またかよ」的な痛い視線も感じないわけじゃない(苦笑)。「好きでやってんでしょ」と思われているだろうな、と勝手に凹んだりもする。

 

それでもまあ何だかんだで提案し続けているのは、飲み屋で「ったくあの部署何やってんだよ!」と何の役にも立たない「外部の評論家」になんかなりたくないからだ。ひとつでも前向きなアイデアを出して、建設的な議論をした方がマシだし、県庁の大勢として、そういうポジティブな職場になって欲しいという思いがある。だって、「できない理由」ばっかり考えても何も楽しくないもの。

 

 

…って、あれ? 何の話だ。あ、そうそう。今回、自分が提案した企画をブログで紹介するってFBに書いたんだった。以下は簡単に(笑)

 

 

企画名「バーチャルレストラン『県庁食堂』の開設

 

(提案主旨)

●県や市町村、JA、栄養士会等が協力して、過去に開発した、あるいは、これから開発する料理レシピ(郷土料理も含む)を県民の財産として全部データベース化する

●単にデータベース化するだけでなく、使いやすいフォーマット・アプリで提供する

●サイト名・アプリ名は「宮崎県庁食堂」。食堂が提供する「定食メニュー」という体裁にして定期的に情報を発信する

●たとえば、「今週のB定食」として、主菜・副菜2品・汁物といった具合に、レシピを組み合わせて、ひとつの定食に仕立て、栄養バランス・カロリー等も検証し、旬の食材を活用した「一食」として提案する

●これらを通じて、県民の「地産地消」「食育」「健康づくり」等に寄与する。

※オプションとして、これらのメニューを網羅した書籍「宮崎県庁食堂」の出版、首都圏へのアンテナレストランの出店等も検討…。

 

 

この企画を思いついたキッカケは、かつて自分が仕事でレシピを開発したこと。著名な料理研究家と組んで、新しい「宮崎ならではのうまうまレシピ」を作った。レシピは、WEBで公開し、パンフレットも作って、首都圏で大量に配布した。評判もよかった(たぶん)。

 

でも、所詮、イベント的なもので、今やこのレシピに日が当たることはない。まあ、レシピというものは、生まれては消えていく雪のようなもの(@ちはやふる)ではあるにしろ、美味しいのに〜、もったいないなあ!…という思いがあった。

 

それと、短い期間だけど、主夫生活を体験したとき、「なんかハンパに残ったこの地元野菜、もっと美味しく使えないかなあ」と毎日のように思ってた(経験値低いので)。料理本やらレシピサイトやらを探しつつ作ってはみるものの、微妙に季節感やら種類やらが違って、どれもイマイチ使えねえなあと思ってた。

 

まあ、そういう個人的・潜在的な需要が自分の中にあったわけだ。そのベースの思いと、「タニタ食堂、うまいことやりやがったな」という思いがクロスして、「宮崎県庁食堂」という企画へと着地していったのだった。

 

これは、あくまで「かえるのたまご」。プレゼンでも繰り返し言ったけど、これを単独でやる意味はあまりない。フードビジネスでの展開における、「外食・中食・内食」のうちの、「内食」対策のひとつとして位置づけてこそ、行政が取り組む意味があり、「たまご」を育てる意味もあるんじゃないかな。

 

…と無難にまとめてみる。

 

※一部からご要望があったのでプレゼンパワポ(PDF版)も参考まで。ジョークも入っているのでマジになりすぎないでね。→kenchoshokudou

 

[12.08.26]

・娘1号の学校で奉仕作業。高い位置の窓拭き。きっつー。

・聴覚障害者協会講演会。牛迫氏。やはりなあ。頼りにならない。流れで「ぷち親の会」。極楽湯。今後の方針についてあれやこれや。T橋先生、T原先生、久保さん、大坪さん。

・「ひまわりと子犬の7日間」を支援する会。久々の平松監督。友人として精一杯の支援をしなくちゃ。

・「ムカデ人間」★★★。徹底してひどい映画。でも、ひどさも突き抜けると面白く感じる面がなくもない。全否定できない。

 

[12.08.27]

・合同政策勉強会。政審会。データ整理。「かえるのたまご」表彰式。

・家人が飲み会。子どもらの宿題チェック(あと1週間で終わるのかよ)。

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