事務分掌は一行
2013-01-07 (月)
10年ほど前、ぼくは非常に珍しい「事務分掌」(県庁用語:いわゆる業務分担のこと)を与えられた。通常は5つ前後の業務がずらっと並ぶべきところに、一言だけ「防災ヘリに関すること」とあったのだ。
詳細は省くが、当時、宮崎県には防災ヘリが配備されていなかった。阪神淡路大震災で防災ヘリが大活躍をしたことを受け、全国の都道府県で配備が進む中、事実上、最後の「未配備県」という状況であった。当然、防災担当部局は何としても導入したかったのだが、ヘリの運航・維持には莫大な経費がかかるため、財政当局は断固反対の立場であった。そんな中で、「では導入の可否について検討だけはしよう」ということになり、職員1名が配置された。ーそれがぼくだった、というわけだ。
ほぼ何も決まっていない状況だった。前任者ももちろんいない。消防防災課防災担当というところに机と椅子を貰い、「まあ、宮崎県に防災ヘリを導入できるかどうかは、あなた次第だ。よろしく!」というのがほぼ唯一の業務説明。異動した初日は「防災ヘリの歴史はこう」だとか「消防庁からは宮崎だけ防災力が低いので何とかして欲しいと言われている」だとか、周辺情報を教えて貰っただけで終了した。
2日目。すでに誰からも何の指示もなかった。その事実に「防災ヘリに関すること」をまるごと任されたのだ、ということを自覚せざるを得なかった。昨日の話から言えば、スタート地点にたったところで、すでに「手段から開放」されていた。それどころか、まだ防災ヘリの導入をするべきかどうかすら決まっていないのだから、目的すらないわけだ。
だから、まずは「宮崎県にとって防災ヘリが必要かどうかを考える」という、「目的探し」から、本当のゼロポイントから取り掛かったのだった。その後の敬意をざっくりとまとめると…
(1年目)
・防災ヘリにかかる有識者会議を開催。何度も会議を重ねた結果、「防災ヘリは本県にとって極めて有益。大きな経費負担については汎用性のある活動にすることで費用対効果を高めるべき。導入すべし」という結論を得る。
・導入に向けた交渉開始。用地の確保、予算の確保、各種許認可など。
・特に予算確保は財政との全面戦争化となる。膨大な経費をこまかく積み上げて説明。なんとか予算計上(導入決定)にこぎ着ける。
(2年目)
・ヘリの機種選定。米国製、仏製、日本製の3機種から専門部会で検討。米国製に決定。装備内容も決め、発注。
・県民に親しんでもらう為、機体デザインを募集し、決定する。
・宮崎空港内に用地を確保。防災ヘリ基地の設計作業。
・ヘリに搭乗する隊員の選考。救命救急士の採用は全国初の試み。
・隊員の人件費について、市町村からの経費負担ルールの策定。
(3年目)
・機体の愛称を募集。名称は「防災救急ヘリコプターあおぞら」に決定。
・ヘリが米国から輸入され、埼玉の組立工場にて完成検査。その後、自ら飛行して宮崎空港に納品。
・防災ヘリ基地の工事開始。冬に完成。
・隊員らの訓練開始。同一機種を抱える他県航空隊(福島・長野・和歌山・鹿児島)に依頼して長期派遣訓練。
・帰還後、消防学校内に仮事務所を構え、自隊訓練開始。
・訓練場所も含め、県内の臨時離着陸場の調査を実施。
・2月 運航開始。
改めてこうやって書くと、なんだかスムーズに進んだようにも見えるかもしれない。しかし、実際にはいくつもの壁にぶち当たり、交渉が決裂し、頓挫し、進行が完全にストップし、あるいは逆行すらした。進んでは戻りを繰り返しながら、目の前に生い茂る草木を払い、行く手を阻む岩をどけ、悠然と流れる川に橋を渡し、時には迂回し、トンネルを掘り、なんとか「道」をつくりながら、前に進めていった。その間、どれだけの冷汗をかき、どれだけの眠れない夜を過ごしたかわからない。
でも、結局は「自分の頭」で「どうすることが宮崎によって有益か」を考え、何らかの方向性を探り出すしかなかった。そうやって、ひたすら「防災ヘリに関すること」を考え続けた。無論、上司に相談することはある。でも、結局のところは、「ぼく以上に防災ヘリのことを考えている人は誰もいない」のだ。何らかの方向性を示すのは、ぼくにしかできないことなのだ。なにせ事務分掌は一行「防災ヘリに関すること」なのだから。
ちなみに、どのレベルまで考えたかという例をあげると、防災ヘリを格納し、隊員たちの待機・訓練施設となる「基地(正式名称:宮崎県防災救急航空センター)」。詳細な設計図面は、もちろんプロに依頼したのだが、どういう部屋の配置にしたら、隊員が活用しやすいかを考えて、ああでもないこうでもないと考え、最終的には、エクセルを使って仮図面まで描いた(笑)。設計事務所の人に呆れられたり感心されたりしつつ、結局、ほぼぼくの案通りの配置で設計されることになった。
よく言えば「全権委任」されているし、悪く言えば「逃げ道がない」ということだ。非常なプレッシャーであり、快感であった。たかだか30代半ばのぼくの判断で、あらゆるモノゴトが決まっていくのだ。どんなトラブルが現れても、ぼくがギブアップしない限り、何らかの解決策はあった。ひねり出した。そうやって無我夢中の3年間を過ごし、最終的に「防災ヘリが活動を開始し、人命の救助を行った」というところを見届けることができたのだった。
まあさすがに、「目的探し」から始めるのは非常にレアケースではあろう。でも、明確な「目的」があれば、業務は自分で作り出せばよいのだ。「防災ヘリに関すること」。そのたった一行の言葉から、どれほどの仕事が溢れでたことか。これを自由を言わずして何と言おう。つまりはこれが目的の明確化=プロジェクト化であり、「手段からの開放」なのである。
[13.01.07]
・最終四半期のチーム業務確認。雇用施策方針案作成。予算内示(ほぼ満額)。
総プロジェクト化構想
2013-01-06 (日)
ぼくは、公務員のすべての仕事がプロジェクト化すればよいのに、と思っている。プロジェクトとは、「ある目的を達成するために計画をたて遂行すること」であり、そのゴールは「ある目的を達成すること」である。公務員のすべてが「ある目的を達成すること」に注力できたらどれほどすごい力になることだろう。
なんてことを書くと、ちょっとおかしなことを言っているように聞こえるかもしれない。県には施策のおおもととなる総合長期計画(宮崎県の場合は現在4カ年の「未来みやざき総合プラン」)があり、キチンと目指すべき方向が決まっているではないか。そしてジャンルごとに明確な目標を掲げて、数値目標も掲げた個別のプログラムを組んでいるし、その進捗状況については毎年、外部の委員からの評価も頂きながら、達成度を図っているではないか、と。
そう。県という組織全体としては、「こうありたい宮崎」を描きながら施策を打ち、県議会からも厳しい意見を頂きながら、ひとつずつ確実に目的達成に向かって進んでいる。ぼくが「プロジェクト化」と言っているのは、そういう総体的な話ではなく、もっと個別の、各論上での話なのだ。
具体的に説明する。県庁の場合、年度の頭に「事務分掌」と呼ばれる事務分担表を作成し、各職員ごとの業務が割り振られる。 これまでの経験上、宮崎県では一人あたりおおよそ5項目程度の業務を受け持つ。ここで言う業務というのは、個別の事務作業という意味だ。たとえば、一項目の業務例として「市町村向けの某・補助金業務」があったとする。この業務を担当することになった職員は、補助金の説明会の実施・市町村への要望照会にはじまり、交付要綱の策定・周知、希望のある市町村からあがってくる申請書類の集計・審査、そして交付先や交付額の決定、そして実績報告の審査、補助金の交付などなど、補助金にかかる一切の事務処理・会計処理をひとりで行うことになる。
当然、業務によって、その困難度・処理量・処理期限などが異なるので、各所属において本人の力量や経験値などを考慮しつつ、業務配分を決めていく(これは行政に限ったことではなく、ある程度の規模の企業であれば、当然このような事務配分というのはあるのだろう)。各職員は、割り振られた業務をひとつひとつ確実に処理していく。そうやって県行政は動いている。
さて、ここでぼくが問題としたいのは、まさにこの「事務分掌」なのである。個別の業務というのは目的を達成するための「手段」である。言い方を変えれば、「一連の業務を滞りなく処理することができた」というのは、「キチンと手段を講じた」ということに過ぎないのであって、イコール「目的を達成した」ことにはならない。当たり前だ。もちろん、「目的」を達成するために組まれた「手段」であるから、業務を処理することは「目的」を達成するための重要なステップである。だけれども、その処理ばかりに気を取られていると、「目的」の達成がついつい見過ごされがちになってしまうのだ。
冒頭で、公務員のすべての仕事が「プロジェクト化」すればよいのに(仮に総プロジェクト化構想とする)と言ったのは、職員に「手段」を割り振るのではなく「目的」を割り振ればよいのに、ということだ。県庁が抱える「県民の幸せ」という大きな「目的」を細分化して、小さな「プロジェクト」に落としこむことで、直接「目的」を担当するようにする。そうすることで職員は「手段」から開放されるのだ。
実はこの「手段からの開放」は、仕事のススメ方を大きく変える。…ということで、この話は明日につづく。
[13.01.06]
・掃除、洗濯のあとのんびり。
・午後から「DOCUMENTARY of AKB48 to be continued〜10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう」★★★。
「DOCUMENTARY of AKB48 show must go on〜少女たちは傷つきながら夢を見る」★★★★★。2年ほど前、AKB48、というか、ノースリーブスの3人とホン
・「ドライブ」★★★★。なんと静かな主人公。そして激しい暴力。そして美しい映画。これって繰り返しみてどんどん好きになる映画かもしれない。
企業と併走すること
2012-12-13 (木)
昭和の時代、公務員の役割は、民間が行う経済活動を「後ろから押していく」ものだったと思う。
第二次世界大戦でいったんリセットされた日本は、国力を上げるために、製造業を活性化することが必須となり、行政はそれを強く「後押し」することが施策の中心だった。戦後の復興は、そんな製造業による右肩上がりの経済成長に支えられてきた。70年代に入って加速度感の増した経済成長も、80年代にかけては、伸びが鈍化しつつも、流通・販売を中心としたサービス業が台頭し、なんとか成長の歩みは続いた。それが90年代、2000年代になると経済は停滞し、むしろ右肩下がりになる懸念すらある…。
いきなり何の話かと言うと、ぼくには、こういう「成長する日本経済」を公務員は「後ろ」から支えていた、というイメージがあるのだ。もちろん、いろいろな経済施策があって、企業の努力があって、総合的に日本の経済は発展してきたわけだけど、相対的には民主導での成長であったのだと思う。韓国政府が特定の企業(ヒュンダイやサムソン)を贔屓してまで経済成長を目指したような、そういう強引さはなかった。だからこそ、「日本の企業は優秀だから後方支援をすればよい」、そして、「公務員は「公的」な立場であるから、「公平性」を最優先とし、民間企業の成長を見守っていればよい」という価値観が形成されていったんじゃなかろうか。
行政の公平性。個別の経済活動への不関与(まれに消極的関与)。…行政に携わる人間にとって、これはもう「正論」であって、誰もが「自明の理」と信じて疑わないことなのかもしれない。しかし、そこには論理の矛盾がある。行政は公平であらねばならぬ、と言う理屈がある一方で、ある「特定企業」が、日本にとって、あるいは地域にとって、経済的な影響が大きい場合には、公平性を越えてやってきたじゃないかと。韓国ほどではないにしても。
例えば、宮崎にやってくるプロ野球キャンプである。近年、沖縄に取られたとはいえ、それでも、巨人、ソフトバンク、広島、西武が宮崎でキャンプを張ってくれている。その経済的効果は大きく、県民の誇りでもある。だからこそ、大きな予算を投じて、球場をはじめとした施設整備等行い、キャンプしやすい環境づくりに努めてきた。
だが考えて欲しい。どれだけ認知度が高いとはいえ、球団はそれぞれ利潤追求を旨とする一民間企業である。株式会社読売巨人軍であり、福岡ソフトバンクホークス株式会社であり、株式会社広島東洋カープであり、株式会社西武ライオンズなのだ。行政が公金を投入してよいのだろうか。特定企業の利益に寄与してよいのだろうか。
…言うまでもないことだが、もちろん、いいのである。いやむしろやらねばならないのだ。
4球団が秋季・春季キャンプをやらなければ、この時期どれほどの観光客が減ることだろう。どれほど交通機関やホテルに空きがでることだろう。春季キャンプは、観光客だけでなく報道機関も相当数やってくる。そして各種媒体を賑わせる。こんな大事な「資産」を無くすわけにはいかない。
波及効果も大きい。プロ球団が使っている球場・宿泊施設で練習したくてやってくるセミプロ、アマチュアのチームは数知れない。プロ野球を核として、「スポーツキャンプ」の地域ブランドになっているのだ。せっかく積み上げてきた地域ブランドなのに、ひとつの球団でも撤退すれば、ドミノを倒すように瓦解してしまう可能性がある。このブランド力はなんとしても守らなければならない。
この図式に当てはめるならば、県内経済の活性化を促す企業であれば、行政としてはもっと積極的に関与すべき、という考え方があっていい。「後ろ」から眺めているのではなく、むしろ「当事者」として、この地域の経済活性化を考えなくちゃならない。
ここで話はグルリと冒頭に戻るのだが、「後ろから押していく」はずの民間企業は、90年代以降、疲弊するところが増えていった。その一方で使える予算はどんどん目減りし、公共事業等によって地域全体を満遍なく支援することが厳しくなっていった。バブルが弾ける頃に公務員になったぼくら40代半ばの世代は、約20年間に渡って、そういう「経済成長が難しくなったこと」「後ろから支援することの限界」を体験してきたのである。
だからこそ。これはもう「経済活動への積極的関与」をするしかないのだと思う。それも「キャンプ撤退を防ぐため」といった守備的な意味合いではなく、もっと攻撃的な意味合いでの関与だ。成長が期待できる企業の「横」に立って、相互にアイデアを出し合い、企業と地域の双方のメリットを見いだしていかなくちゃいけない。
経済活動を「後ろから押す」行政から、経済活動と「併走する」行政へ。つまり、公務員は大局的な視点でのビジネスパーソンになっていくべき、なんじゃなかろうか。
[12.12.05]
・基金用務。東京出張準備。昼休みはカリーノリニューアルの探検。ラディッシュセブンが素晴らしい。時間かけて巡礼しよう。
・「インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実/真梨幸子(徳間文庫)」★★★。物語にはぐいぐい引きこまれていったのだが、ラストがなあ…。前作からの期待感が大きすぎたか。それとも、本作は第3作(まああるでしょう)への繋ぎ的な役割なのか。
[12.12.06]
・特別委員会。システム打合せ。K君宅に第2子誕生(♂)。おめでとう。ランチはサイストで九州パンケーキ。
・家人が遅くなるとのことで、2号の迎え、上二人の迎え、晩ごはんの準備。時間がないときの鍋(ごま豆乳鍋)。
[12.12.07]
・T町来訪でもろもろ指導。求人要請部長レク。カーボランチ。
・時間休とって娘1号の参観日。道徳。懇談でクリスマスプレゼントの話など。Kちゃんがまさかの大スターへ。
・家人の祖母が亡くなる。急遽、週末の日程調整。ともちゃんとこのモエがきて一緒に夕食。トマト鍋。
[12.12.08]
・上の2人は地域のクリスマス会へ。下は保育園へ。午後、娘1号を皮膚科へ連れて行こうとしたら休診。ぬー。
・夕方からお通夜の会場へ。
[12.12.09]
・朝寝坊。斎場へ。告別式。火葬場へ行く家人を残し、家に戻る。
・青島太平洋マラソンの打ち上げ&忘年会へ。極楽湯。記録更新続出。サブフォー達成の鮭、もうすぐいけそうな金、毬。初マラソンで4時間半の葡。大躍進の菜、蛍。そして練習なしで無謀にも走った黒。みんなよく頑張った。
・じゅんじゅん激励のため、塚田農場。理恵、田中くんなど。ついつい飲み過ぎ、たたんばあまで行って午前2時。
キャラクター考
2012-12-04 (火)
「みやざき犬」の産みの父(産みの母はHくん。ベビーシッターはNくん)として、思うところを整理してみる。
キャラクターというのは、タレントと一緒で「露出度」が最も重要だと思っている。かわいい・かわいくないは、二の次で「露出度」こそが重要なのである。わかりやすい例は、「せんとくん」だろう。最初にあの造形をみた瞬間は、誰もが「げ!」「ないわ!」と思ったハズ。それが奈良県内で「そんなキャラは認めない論争」が巻き起こって何度もニュースで取り上げられ、結果、すごい量の露出となって、「そこまでひどくないんじゃね?」「ちょっとはかわいいかも?」「かわいい!」になっていったのはご承知の通りである。
せんとくん以降、話題性を狙って意図的に「かわいくなさ」をウリにしたようなキャラが増えたけれども、狙って打った玉はすっかり見透かされるのが現代だ。結局はただの「出オチ」になってしまい、一瞬話題になっただけで萎んでいくことがほとんど。だからと言って、単に「かわいい」だけでも取材はしてくれないし話題にもならない。よほどうまく仕掛けていかないと露出を継続していくのは簡単じゃない。
今では全国区となった「くまモン」だって、デビュー当時の評判は散々だった。目が怖いだの、熊本にクマはいない(笑)だの。だけども彼には新幹線対策という大きな予算があったから、次々にいろんな仕掛け(しかも当時のプロデューサーは小山薫堂さん)を繰り出すことで、スタート時から相当なボリュームの露出を続けることができた。
さらには、とてもキュートなキグルミが登場したことも大きかった。リアルにちょこまかと動く「くまモン」は、ぐっと人の心を捉えた。さらにさらに。著作権フリーということが「商品化」を促し、「モノ」による露出も加速度的に進んだ。戦略もありつつ、ラッキーもありつつ、他に例をみない独自なキャラクターへと成長していったのだ。まあしかし、これは「くまモン」の売り方であって、マネできるものじゃない。
さて。振り返って、我が「みやざき犬」である。彼ら(とあえて書く)はこれからどう売っていけばよいのだろう。
それは、他のキャラクターにはない「彼ららしさ」を活かしていくしかないのだと思う。3匹いる。カブリモノを被っている。ダンスを踊る。この「らしさ」を活かすとすれば、「物語性」に行き着く。3匹のキャラ立ち。時期にあったカブリモノ。ステージでのダンス。そこをうまくディレクションすれば、立派な物語性が浮かびあがってくる(はず)。
そういう意味において、「みやざき犬」にあえて目標を掲げるとすれば、「くまモン」ではなく「くまのがっこう」ではないか。
「くまのがっこう」は「絵本」である。しっかりとした物語があって、主役のジャッキーというキャラクターも立っている。その上で、物語の世界観をキープしながらグッズ展開へと進めている。そう。実はこのキャラクター、玩具メーカー・BANDAIの企画なのである。物語を先行させてからのグッズ展開というビジネスモデルなのだ。
キャラクタービジネスとしてスタートした企画でありながら、しかし、この「くまのがっこう」には嫌らしさがない。時間をかけて(なにせ媒体が絵本である)じっくりと母と子どもたちの支持を広げてきた。絵本の世界観をとても大切にしてキャラクターを「育てて」いるのだ。なにせ専用サイトでは、BANDAIのロゴすら表示してないほどだ。
このルートを狙っている自治体キャラは、未だ見かけたことがない。考えれば考えるほど、このルートにしか、成功はないのではないか、という気すらしている。一定の流れができつつあるfacebookに続けて、絵本、漫画、フラッシュアニメ…といったパッケージも提供する。「みやざき犬」の世界観をつくっていく。そこに新たな共感と需要が生まれるんじゃないかなあ。
…なんてなことを考えていたら、今日たまたま本屋で見かけた「くまモンの写真集」は、浅田政志さんの撮影ということに気がついた。なるほど! だからこんなにイキイキとした写真になっているのかあ。くそ。この写真集、悔しいけれど、見事に物語性を作り出していて、さらに1枚1枚の完成度もかなり高い。プロの仕事だ。ぬぅ。人気者はこんなことまでできちゃうのか。くー。負けるなみやざき犬。
あんまり悔しいので、初代「くまモン」のキグルミ写真(汚点)を添付しておく。キグルミビズがあんなにかわいい2代目キグルミを作っていなければ、こんな人気者にならなかったものを…。ちっ。
[12.12.03]
・T議員答弁。基金積み増しの件で部長協議。同じく財政協議。K女史とランチ・ミーティングいろいろ。「レガーメ」。
・地区の役員決め。地区長は免れたらしい。ほっ。
・「私は、フジコ/真梨幸子」。早く次のが読みたい。
[12.12.04]
・J委員会。意識の高い人とそうでない人の差が歴然。いつまで続くか。基金の資料など。
地方公務員の逆襲
2012-12-01 (土)
地方の時代。―ここ数年、そういった言葉を聞く機会が増えてきた。
橋本大阪市長のように「情報発信力」のある首長たちが「地方分権」を訴え、次の選挙では元知事・市長らが国政を賑わす状況であるし、また樋渡武雄市長のように、市立病院の民営化やSNSの活用、図書館とTSUTAYAの連携など全国をリードする取り組みで注目を浴びていたりする。世襲でない若い首長(熊谷千葉市長、吉田横須賀市長ら)も増えてきて、なんだか地方は元気が出てきている気がする。
でも、ふと気が付けば、元気があるのは首長ばかりではないか。その首長を支える地方公務員たちは元気なんだろうか。
個人的体感値から言えば、約9割の地方公務員は、首長の命に従い、法に則り、キチッ、カチッとした日々の業務を淡々とこなしている。たとえ元気過ぎる首長から非現実的な指示があったとしても、真摯に向き合い、黙々と法と現実とのすり合わせをし、何らかの前進を試みる。大きな飛躍は難しくても、失敗がないように、着実な一歩を刻むような努力をしている。
さて。ぼくの大好きな歌に「365歩のマーチ@水前寺清子」がある。
♪幸せは歩いてこない だから歩いていくんだよ
一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる
これは、右肩あがりの成長が前提だった時代の歌だ。少子・高齢化の今の時代は、現状維持さえままならず、じっとしているだけで毎日二歩ほど下がる時代である。一日一歩歩んでいては、どんどん後ろへ後退してしまう。
そんな時代だからか、地方公務員の世界にも、ちょっと変な人(いい意味で)が生まれてあっと驚くようなイノベーションを起こし始めている。たとえば、ローマ法王に米を食わせた高野誠鮮さん。ツテがあるとはいえ、NASAとか木村秋則とかアラン・デュカスとか、まあ実に景気がいいプロジェクトを次々に展開している。そして、うちの県にもかなり変な人(いい意味で)がいて、なぜか「東京ガールズコレクション」をこの超地方都市宮崎で、2年間で2回も開催することになっていたりする(詳細はそのうち)。
まだまだ小さなうねりではあるけれど、時代の必要に迫られた末、1割の「変な職員」のうちの更に1割(つまり全体の1%)から、とんでもない職員が生まれ、突発的に「一日10歩」の歩みを生むことが出てくるんじゃなかろうか。まあ、そんな職員があんまり多すぎるとリスキーだけども。そういう時代に仕事ができることに、ちょっとワクワクしたりもする。
[12.11.28]
・紹介資料の整理。T議員答弁関係。夕方趣旨確認。そのまま答弁書等作成。まさかの基金積み増し。
・「7年目の浮気」★★。ビリー・ワイルダー。あれ、これそんなに面白くない。マリリンのキュートさは確かに素晴らしいけども。セリフオチな基本構造が好きではない。
[12.11.29]
・T議員答弁。午後すり合わせ。
心をもち、そして猛烈に恋してみる
2012-05-01 (火)
「アップルのデザイン/日経デザイン」を読んでいたら、1998年にスティーブ・ジョブズが社員に向けて書いた文章が出てきた。もう10年以上前に書かれたというのに、ほとんど色あせていない。なんと本質を突いた言葉なのだろう。
世界中から最大級の賛辞を浴びている企業には、
共通していることが1つある。
ー 彼らは何かを象徴する存在だということだ。
世界は変わり、マーケットは変わる。
そして彼らの商品もまた、変わる。
だがその核となる理念だけは、変わらない。
ディズニーやソニー、ナイキのように、
アップルもまた世界中の人々から愛され、
尊敬を受けている企業だ。
なぜ愛されるのか、
それは私たちが「心(soul)」を持っているからだろう。(以下略)
残念ながら、唯一色あせてしまったのは「ソニー」のくだり(涙)。ぼくがあれほど愛したソニーは、数年前から「心」を失ったかに見える。それでも、ディズニー、ナイキ、そしてアップルの今の有り様が、「心」を持ち続けていれば、商品が変わっても愛されることを証明している。それは自治体であっても同じことではないか。
*************
自治体の担当者が「心」を持つということは、つまりは「地元を思う」ということだ。そんなの当たり前、と思うなかれ。意外と「ちゃんと思う」ことができない職員は多いものだ。
理由はいろいろとあるだろうが、ひとつには「地元を知っている」という思い込みがある思う。本当はそこに「いる」だけなのかもしれないのに、時間の積み重ねが「知っている」と思い込ませてしまう。たとえば、雇用対策という仕事をしていたとしよう。職業安定所の人や、経済団体や、労働団体の人たちとお付き合いをする。いろいろな話をする。すると、「ああぼくは雇用というテーマについてはよく知っている」と思ってしまう。
でもね、当然だけれども、仕事で繋がりのある人だけが「地元の人」なのではない。むしろごく一部の人でしかない。つまりは自治体の「中の人」だからと言って、本当にその地元を知っているかどうは別問題で、頭でっかちになって「知っているつもり」であることも多いのだ。
このように「知っているつもり」にならないためには、いろいろな現場に出ていくしかない。直接、「地元の人」の中に出ていき、「地元の人」たちと交流する。職業や立場や年齢に関係なく、現場を共有する。あるいは、現場に触れ、食べ、遊ぶ。それは仕事を通じてだけでなく、地区の活動や子どもの学校活動、あるいは趣味の世界でも何でもいい。とにかく会う・話す・語る・見る・使う・食べる・さらに呑む(笑)。そういう現場の日々の積み重ねが、「地元」というものに対する知識なり経験なりをより深め、またより広い世界へと導くのだ。
…ここまでやって、ようやく「自治体の担当者」としての資質、つまりは「中の人」として「外の人」と対峙するための資質が整うのだと思う。闇雲に「思う」だけではなく、肌感覚として、自分自身が地元人としての最大公約数だったり、最小公倍数を身につける。その上で、「だからこそ、こうあって欲しい我が地元」を思い描く。それこそが自治体担当者としての「心」ではなかろうか。
そんな「心」が持てれば、あとは「外の人」と猛烈に恋をしてみればよい。受け身ではない、むしろ捨て身の恋を(つづく)。
[12.04.30]
・朝から仕事へ。8:30-17:30。ランチは「詩季」へ。
・「アップルのデザイン/日経デザイン(日経BP社)」★★★★。
キャリアのVSOP〜担当者とは何か
2012-04-19 (木)
宮崎の春は短い。ついこの間までコートを着ていたのに、あっという間に半袖になる。でも、今年はなんだか春が長いな。じわじわと暖かさがやってきて、じわじわと暑さへと変わろうとしている。毎年GWは、「暑い!」と叫んでいる気がするのだけれど、今年はどうだろう。
数日前の「ちきりんの日記」で、キャリアのVSOPという話が載っていた。「キャリアアップの考え方」をブランデーの等級に合わせてまとめたものだ。
・V(20代はバラエティ)〜自分の向き不向きは別として、多彩な経験を積むこと。
・S(30代はスペシャリティ)〜自らの専門性を見極め、深めていくこと。
・O(40代はオリジナリティ)〜専門性のなかから、自分から何かを生み出していくこと。
・P(50代はパーソナリティ)〜専門性は若い世代に任せ、人間性を高めること。
いやあ、よくできてる。自分にもよく当てはまると思う。ま、時期だけは、5年ぐらい遅れてる気もするけどw
実際、40代半ば頃から、ようやく自分なりの専門性について自信をもてるようになってきた。つまりは、「行政という枠組みの『中の人』でありつつ、幅広い『外の人』との交流を通して、特定のプロジェクトにおいて確実に成果をだしていくプロフェッショナル」みたいな感じかな(<わかりにくいよ)。そして、今は、この専門性を活かして、新しい「何か」を生み出していく時期なんだろうと思う。
そんな流れの中で「自治体コラボにおける担当者とは何か」を考えてみる。
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「企業」と「自治体」が「恋」をするには、まず「担当者」同士が「恋」に落ちなくてはいけない、と書いた。「企業」の担当者が「自治体」の「何か」に惚れる。同じく「自治体」の担当者が「企業」の「何か」に惚れる。そして「恋」に落ちる。ここまでは擬人的に「惚れる」「恋に落ちる」と書いてきたが、担当者同士の「恋」は、たとえ話でなく、本当に相手に惚れることが必要だ。
きっかけは、「企業」の「何か」、あるいは「自治体」の「何か」である。あくまで「何か」に魅力がある。しかし、そこからコラボに発展するには、人と人が惚れ合わなくてはいけない。担当者同士が惚れ合って初めて、「自治体コラボ」はスタート台に立つことができる。
コラボレーションは、組織の成り立ちも、文化や風土も、異なる者同士が、手に手をとりあって「協働」しようとするものだから、そもそもが簡単ではない。かなりハードルが高い仕事だ。
担当者は、それぞれの組織の中で、いろいろな意見を交通整理し、内部、そして相手方との調整をしていく必要がある。組織内部だけでも大変なのに、外部組織との調整はもっと大変である。ぼくの経験上で言えば、年齢にして30代前半〜40代前半ぐらい、組織の「まんなかあたり」の担当者がもっともうまく進む頃合いだと思っている。
あまりに若すぎる担当者であれば、経験不足もあり、組織内での立ち振る舞い方がわからないかもしれない。いわんや相手方をや。また、上席すぎる担当者だと、経験則がかえって障害となり、硬直的な発想になったり、新しいチャレンジに躊躇してしまうかもしれない。だから「まんなかあたり」。もっと言えば、少し「若い方」寄りぐらい。そういうある程度の経験値があって内部調整ができ、また若さ故の「ほとばしる情熱」をもった担当者が、それぞれの組織にいて、ようやくこのヘビイなプロジェクトを前へと進めることができるのだと思う。
実は、前述の「VSOP理論」でも同じことを言っている。「まんなかあたり」、すなわち、専門性(S)はある程度蓄積されつつあり、その専門性を自分の中に消化した上で、独自性(O)を正に打ち出さんとする年代。そういう担当者こそが、「自治体コラボ」にふさわしい。ではそんな「まんなかあたり」の担当者同士の「恋」。「恋物語」はどうやって始まっていくのだろう(つづく)。
[12.04.18]
・娘2号。今日は西都へ。都城日程。「地産地消」関連連絡会議。
[12.04.19]
・娘2号。今日も西都へ。延岡日程。ア課長から質問責め。農業大学校へ。「小丸新茶屋」でランチ。100kmリレーマラソン入金。
・大宮高校文化情報科研修へ。聞いているだけで楽しい。優秀な子たちだ。いずれ宮崎の為に。
自治体と企業の恋とは何か
2012-04-17 (火)
娘2号が熱を出してしまい、途端にいろいろなスケジュールが狂ってしまった。
ジジババがヒマなら面倒を見てもらうところだが、タイミングが合わないと仕事を休まざるを得ない。むむむ。そういえば、3歳ぐらいまでは、こうやってちょくちょく休みを取っていたなあと思い出した。息子が生まれた10年前と比べると、ぼく自身の仕事力が随分とアップしているから、業務へ影響を最小限にやり繰りできる、はず。…とはいえ、ここのところ2週間に1度の発熱。季節の変わり目だからかな。はよう元気になっとくれ。
*********
さて。「企業と自治体が恋をする」というお話の続きである。簡単に言えばお互いに「惚れる」ことが「恋」である。一方通行はただの「片思い」。両者が「惚れ合って」こそ「恋」となる。企業と自治体の「恋」とは何なのか。ではここで、わかりやすい例を出してみよう。
宮崎県の特産品に「マンゴー」がある。県のブランド品目である「
この宮崎マンゴーの品質やブランド力に、高級果実専門のAという企業が「
ここで言う「惚れる」というのは、売買以前の問題なのだ。つまり、A
また、宮崎県もこう思う。「
これが「恋」でなくてなんであろう。
こうして熱い「恋」に落ちたら、両者ともに単なる売買で終わるハズがない。両者が、
「太陽のたまごをどうやったら一番美味しく食べられるか」
「カットの仕方を工夫してみようか」
「店頭でのディスプレイもより魅力的にしたい」
「広報は両者がもつチャンネルをつかって倍の規模で展開しよう」
「いっそメディアを呼んで社長と知事でPRしてはどうか」…。
次々に新しいアイデアがわいてくるハズだ。それが、
とはいえ、企業と自治体の組織全体が「恋」をするのは、なかなかハードルが高い。企業は企業でも大企業だったり、自治体も県だったりすると、どうしても組織内の調整が出てくる。先の例でいえば、A社の内部からはこんな異論が出てくるかもしれない。「宮崎のマンゴー?品質は高いかもしれないが、その分値段も高い。いくらうちの顧客が高所得層とはいえ、限界があるだろう」「別に市場から買ってくればよいだろう。自治体と調整なんて手続きがめんどくさそうじゃないか。」
一方の宮崎県側からも異論が噴出するかもしれない。「なぜ特定の一企業とだけ組むのだ。公平性を欠くんじゃないか。」「品質管理さえしておけば売れるのだ。知名度があがった今、無理なPRは不要だ。」「高級かもしれないが販売量は知れている。もっとたくさん売ってくれる企業と組むべきでは。」などなど。
つまり。実は企業と自治体が「恋」をする前提として、社内調整、庁内調整を率先して行う「担当者」が必要となる。つまりは、この「担当者」同士が、深く「恋」に落ちなければならないのだ(つづく)。
<berry cafe マンゴータルト>
[12.04.12]
・AP打合せ(繋ぎだけ)。委託事業の按分を部長協議。室内打合せ。
・アピールと協会とじゅんじゅんと。「塚田農場」「砂の薔薇」「hana」。
[12.04.13]
・朝の便で東京へ。ランチ「七蔵」。TJにて打合せ。「bistrot ivienne」。ほどよくカジュアルな感じがグッド。K女史と。いろいろ語れて良かった。
[12.04.14]
・ふるさと就職説明会。参加者が少ない。対策をば。
・「しろたえ」のシューとチーズケーキを。娘2号発熱。
[12.04.15]
・午前中、娘1号の参観日。帰宅して家人と交替。2号、ずっと9度越。辛そう。
・「ヒミズ 1-4/古谷実(講談社)」★★★★。先に園子温の映画を見たため、少しそちらに引きずられつつ読む。映画版よりシュールで切迫感が強い。映画版は震災映画になっちゃった(惜しい)けれど、まさにヒミズ(日見ず)な物語として刺さる。
[12.04.16]
・娘2号、熱下がらず。やむなく午前中年休。午後にババにタッチ。財政主幹ヒア。山のような決裁など。
・「『当事者』の時代/佐々木俊尚(光文社新書)」★★★★★。やや取っつきにくく、丁寧すぎてくどい部分もあるけれど、著者渾身の作。最新のメディア論を書いてきた著者が日本人論へとその領域を広げている。終章に結実する「マイノリティ憑依」論は感動的ですらある。
[12.04.17]
・娘2号、まだまだ熱下がらず。ジジババ登場。評価シート作成。労働局との定例会議。
自治体コラボ
2012-04-12 (木)
雇用、というものについて考える毎日だ。知っておくべきこと、覚えておくべきことが多く、まだまだ「立ち位置」も「攻めるべきポイント」も何も見えてこない。そもそも雇用対策って、でかすぎるんだなテーマとして。極論を言えば、「雇用」と「安全」が確保されたら、行政の仕事は8割方終わったも同然じゃないかと思う。
個別の特命事項が続いたこの10年間は、新しい所属に赴任すると「とりあえずやってみる」ことからすべてが始まったものだが、ここではそのような経験則は活かせないようだ。まずは全体を知らないと向かうべき「前」がどちらかもわからない。勉強勉強の毎日が続く。
それはそれとしつつ。前職・アピールにいた4年間で学んだことを、これから少しずつ書きとめていこうと思っている。とりあえず自分メモ的に。今振り返ると、とても小さなキッカケから、結構大きなビジネスに繋がったことがたくさんある。それは単なるラッキーだけではなく、ある種の「テクニック」があったような気がする。あるいは「法則」のようなものかもしれない。そのあたりを一度自分の中からアウトプットし、交通整理をすると、ひょっとしたら何か意味があるものが出現してくるのかもしれない。…してこないのかもしれないけれど。
仕事ではなく、一個人のメモとして、「とりあえずやってみる」こととする。
*
「自治体コラボ」。まあ、ぼくの造語なんだけれど、みやざきアピール課でやってきた仕事の大半は、この「自治体コラボ」だったと思う。「自治体コラボ」とは、民間企業と自治体とのコラボレーション(協働)で行う、たとえばプロモーションやイベント、といった意味だ。
自治体側から見ると、「対・企業とのコラボ」であるから「企業コラボ」という言い方もあるだろう。でも、ぼくは自治体の職員ではあるけれども、いつも企業に対して「宮崎(つまりは自治体)とコラボしましょうよ」という提案をしてきた。自治体側が、企業の立場に立ってモノゴトを考えるべきだと思ってきた。だから企業目線での「自治体コラボ」という言葉の方がしっくりくるのだ。
また、あくまでも「コラボ」であるからして、自治体が一方的に予算を持ちだして行うキャンペーンとは違う。企業と自治体が手を組んで、一緒に、協力して、予算も人も出しあって行うキャンペーンだったりイベントだったりプロモーションだったり、でなくてはならない。
企業が自治体にお金を出すーー何のために。もちろんビジネスのためだ。利益をあげるためだ。そこがうまく噛みあうことが大前提にある。
自治体は、自分のところの産品を売りたいと思っている。そこに、地方のものを使って商売がしたいという企業がいたらどうだろう。向かうべきベクトルはまったく一致しているではないか。
ぼくは「自治体コラボ」は「恋」と同じようなものだと思っている。企業と自治体が恋をしたとき、新しいビジネスが生まれるのだ。(つづく)
[12.04.09]
・塚田案件打合せ。委員会資料。
[12.04.10]
・政策評価資料づくり。若者支援割振り打合せ。
・「SRサイタマノラッパー」★★★。普通に面白い。ラッパーほどの感情移入はできないけれど。脚本が残念。
・志の輔らくご「はんどたおる」「死神」。
[12.04.11]
・工程表資料づくり。面接。懇話会打合せ。
・定時退社、娘2号の迎え、晩ご飯の用意。