濱田ここね

2013-02-12 (火)

友人知人 家族家事家

たまには普通の更新も。つか、間が開きすぎた。

 

**

 

うちの娘1号が、学校で一番仲のいいが濱田ここねちゃんだ。1年から3年の今までずっと同じクラス。ここねちゃんは、お父さんがローカルタレント・濱田詩朗さんであり、本人もホンダカーズをはじめ、いろんなCMに登場している。

 

ところが、昨年ぐらいから東京のミュージカルに出たり、各種オーデションを受けたりして、タレント業が本格化していった。当然、学校へは来れない。うちの子も、毎朝のように「今日は来るかな〜」と言っていたし、たまに出席すると「今日はここねちゃんが来た!」と嬉しそうに報告してくれた。

 

そのここねちゃんが、今度映画に主演することになった。かつて日本中を、いや世界を席巻した「おしん」の映画化に抜擢されたのだ。

 

娘1号はそのニュースを見ながら「ここねちゃん、映画に出るんだって。すごいねー」とこれまでと変わらない感心の仕方をしている。違うのにな。今回のことは、ここねちゃんにとって、とても大きな転機だ。普通に考えれば、子役としての活動拠点を東京へと移すことになるだろう。あれだけ仲良くしていたのに、もうここねちゃんとじっくり遊ぶこともなくなるんだろう。

 

そう思うと親としては切ないものもある。本音ではずっと一緒に遊んでやって欲しい。とはいえ、ここねちゃんは普段接していても、スターの才能があふれている。うまく回りが導きさえすれば、大輪の花を咲かせることだろう。だからもちろん応援するさ。…ということで、メディア向けの段取りもコソコソと仕込んだりもするのである。ああ、大人な世界。

 

[13.01.21]

・ダッシュでコムズ銀座の名物朝食を食べて空港へ。ANA603。一旦帰宅して出勤。

・急遽設定された 市町村説明会へ。挨拶と概要の説明。雇用推進員面接。

[13.01.22]

・朝から虹。春のような陽気。

・仙台からの土産で夕ごはん。

[13.01.23]

・センター長と時間変更の件で。フードコーディネーター協会打合せ。

[13.01.24]

・防災訓練。基金要望関係部長レク、次長レク。

[13.01.25]

・都城に出張予定をキャンセルし、国への要望額を整理。

[13.01.26]

・五ヶ瀬へ。途中川島アナにご挨拶。都農「mangoya」にて初鹿野さんに遭遇。ランチ「縁ラーメン」。ゆっくりし過ぎてフォーラムに遅刻(笑)

・意外にもHさんの話が面白かった。もっと聞きたい。2次会は妙な会に。町長面白いな。

[13.01.27]

・家人が仕事。子ども3人を連れて川南軽トラ市。終了時間を間違えて、いろいろ買い損ねたッ。とりあえずキムチとかmangoyaのジュースとかはゲット。ブラザー理容へ行くも混んでいて愚息と娘2号のみカットして帰宅。

・夕食におでんと「男山」。「命のあしあと」★★★★。

[13.01.28]

・午前中休。さとなお来県。空港迎→県庁にて横山、防災士Nと打合せ。ランチに理恵ちゃんを呼び出して「富滋味」。師匠は尾崎牛の汁そば。

・午後、高校の先生向けの説明会へ。JA-AZM。

[13.01.29]

・フロンティア会来訪。

[13.01.30]

・今日から各部への基金説明会。午前商工。労働関係連絡会を挟んで、環境。

[13.01.31]

・総合政策。委員監査。都城市来訪。基金の話も。

・室の送別会。H崎さん無事に元気な子を。「ビストロコダマ」。

[13.02.01]

・農政。ここちゃんの件でブルーといろいろ打合せ。

・「奈良美智展〜君や僕に似ている」★★★★★。素敵過ぎる。「こだま」でメシ。

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新聞広告と復興ポスター

2012-09-12 (水)

仕事 友人知人 宮崎県

公務員もサラリーマンであり、大きな組織の歯車であるから原則として代替はきく。ぼくが倒れたら誰か他の人が滞りなく業務を引き継いでいく。それでも、「これは自分でしか、なしえなかっただろうな」と勝手に自負している仕事がいくつかある。そのひとつが口蹄疫終息後に短期間で展開した「お礼広告」と「復興ポスター」である。アートディレクターをお願いした日高英輝さんがこの件をコラムで取り上げてくれていて、なんだかいろいろ思い出した。

 

庁内・議会の調整と予算の獲得、意見集約、日高さんへの依頼と打ち合わせ、個別具体的なボランティアの手配と現場の仕切り…。6月後半にスタートした企画は、7月に議会で予算の承認を得て制作に取りかかり、8月に広告掲載、9月にはポスターの掲示を始めた。民間ならいざ知らず、行政でこのスピードは相当なものだと思う(@当社比)。

 

新聞広告は、全国紙4紙+エリア紙という規模で展開した。国民の1/3(発行部数計)にメッセージを届ける、というのは県政史上初のケースのハズ(記録がないから未確認だけど)。大手メーカーならいざ知らず、うちのような予算の少ない県としては極めてレアな出来事である。

 

復興ポスターは、予算を削るのが仕事?の財政課から「わずかだけど予算付けるから県民が元気になるポスターを」という逆オーダーを受けたものだった。そして、付いた予算は、ホントにわずかなものだった(苦笑)。

 

それよりなにより、広告にしてもポスターにしても、県民の複雑な心情を慮りつつ、ポジティブなメッセージを打ち出さなくてはならないという部分が一番悩ましく神経も使った部分だった。

 

いろんな人が協力してくれた。実費だけで引き受けてくれた日高さんはもちろん、ぼくがずらずらと箇条書きにした「全国に伝えたいメッセージ」を、とても素直で心にしみる文章に仕立てていただいたコピーライターの名雪さん(初めて読んだときは涙が出た)。ポスター撮影に全面的に協力していただいたカメラマンの蓮井さん。同じくカメラマンの渡辺くん。天候不順のなか、奇跡の一枚が撮れた。そして国民的美少女・工藤綾乃ちゃんをはじめ、モデルとして出演いただいたボランティアのみなさん。いろいろ相談にのってくれた宮田っち。宮崎を思う気持ちがひとつになったのがあの広告であり、ポスターだった…と思っている。

 

結局、うまくいった(*)のは、関係する幹部に「事前」に意向を確認して、あとはすべてぼくと日高さんに任せて貰ったことだ。「事後」、つまり、できあがったあとは、ポジティブな意見以外は全部はねのけた(←何様!)。当時の副知事(現知事)の意見も聞かなかった(ごめんなさい)。ある意味、日高さんと心中したようなものだったな。むちゃしたな~。

 

…なんて、思い出に浸ってもしょうがないのだが、時々は、この頃の「思い」を蘇らせて、今の自分、明日の自分に気合いを入れることも大事なのかもしれない。さて。今、目の前に立ちはだかっている無理難題をどうやってクリアしてくれようか。

 

(*)某新聞が事後アンケートを取り、数字的に過去最高の好感度評価を得た

(*)新聞協会も優良事例としてアーカイブしてくれている。

 

[12.09.11]

・議会対応。午後時間休。娘1号参観。

・「鬼婆」★★★★。新藤兼人監督。面白い監督だ。自分の愛人にこんな役をやらせるなんて。いやあまだまだ見たい新藤作品。

 

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リスクをとること

2012-08-05 (日)

仕事 友人知人

最近、立て続けに「リスク」についての言葉を聞いた。

 

ひとりは、デザイン家電「amadana」ブランドを展開するリアル・フリート社長の熊本浩志氏。先日宮崎市で行われた講演会で語った言葉がこれだ。

 

後悔することが一番のリスク

 

amadanaは、まったくのゼロから新しい家電メーカーとしてスタートし、その都度大きなリスクを背負いながら成長してきた。周囲からよく「そんなリスクとるね!」と言われるらしいが、熊本氏の発想は「逆」。やらずに後悔するぐらいなら、まずやろうと。大きなチャンスが目の前にきたら、準備が全然なくてもまず「掴む」。そして、何が何でもそれを「成す」。その積み重ねが今のamadanaなのだ。

 

 

もうひとつは、オイシックス社長の髙島宏平氏。近著「ライフ・イズ・ベジタブル」の中で、次のように書いている。

 

リスクをとらない人生こそ、リスキー

 

高島氏は、人から「どうしたら、仕事のモチベーションを上げられるか?」と聞かれ、自分にその答えがないことに「はっ」としたという。ずっと仕事に夢中だったから、モチベーションは高いままだったのだ。そこから「人生における最大のリスクは、何も夢中にならないまま人生が終わるリスク」という思いに至るのである。

 

 

結局、このふたりの社長が語っているのは、ほぼ同じことである。すべてを賭けて仕事をしてこそ、大きなものを掴むことができる。ノーリスクに近い環境(というと語弊があるかもだが、この社長らの体験に比べたらもうリスクなんてとても言えない)で仕事をしている自分には眩しすぎる生き方だ。

 

縁あって、お二人とも楽しいお酒を飲んだことがあるけれど、経験に基づく言葉には重みがあり、酒宴の与太話にもキラキラと輝くアイデアがあったりした。7〜8歳年下というのをまったく忘れて、畏敬の念に打たれた。

 

いつの日か、ぼくもリスクをとる日がくるのだろうか。

 

 

 

[12.08.01]

・復命。決算資料整理。

・「熊本浩志氏講演会」オルブライトホール。すんごいよかった。「ここで売るんだ。なんもねえけど」「数字は追わない」「会社を利用する人がいい」。禿同な言葉だらけ。打ち上げ「Vin de Table」。熊本、中原、宮田に感謝。素晴らしい人材。加納さんとモリミキと密談。

[12.08.02]

・特急きりしまにて鹿児島へ。向かう途中で「かえるのたまご」が最終選考に残ったという話。うーん。どうしたものか。ランチ「古宮庵」わっぜぇか丼。うーん。

・県庁にて担当係長会議。濃密。懇親会「六白亭」。Hクレスティア泊。

[12.08.03]

・ジョブカフェ担当者会議。ランチ「ラーメン小金太」。普通。キャッチワーク鹿児島とヤングハローワークへ。

・きりしまにて宮崎へ。「ライフ・イズ・ベジタブル/髙島宏平(日本経済新聞出版社)」★★★★。想像した以上に激しい修羅場を踏んでいることに驚き。一見、とてもスマートな社長だが、これまで聞いていた以上に相当泥臭い経験をしていた。ますます好きな会社だわ。

[12.08.04]

・娘1号と耳鼻科へ。聴力検査でまたまた混合(伝音)難聴との診断。うむ。可能性がホントにあるのか…。ピアノ教室も。自宅焼肉な夜。

[12.08.05]

・家族で「さくら聴覚支援学校」へ。3年ぶりぐらいに同校へ。交流会。娘1号にとって、これからの人生は何はともあれ先生たちが頼り。縁を深めなくては。庄崎隆志さんと、南雲麻衣さんのワークショップ。とにかく楽しい身体表現。楽しく有意義な時間。

・帰り道、午後4時なのに子どものリクエストで「カレー倶楽部ルウ」へ。王子がいて楽しい時間。

 

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ギャアギャアギャア!太陽と大地がやってきた!

2012-07-09 (月)

友人知人 家族家事家

歴史を語ると長くなるので、端折るけど、さとなお師匠も微妙に絡みつつ10年近く前に知り合いとなったアメリカ在住のかなさんと息子たち(太陽と大地)が宮崎にやってきた。そしてベッタリ2日間遊んだ。1泊はキャンプ場で。もう1泊は我が家で。

 

アメリカの自宅を訪ねたとき、長男・太陽はまだ2歳だった。小さかった。かわゆかった。洗面台にのせてシャワーしてたのを覚えている。滞在のお礼にベビーシッターをし、すっかり仲良くなった。その後、日本でももう1回会ったのは、まだ3歳ぐらいの頃だったか。

 

それから久々の再会である。今、彼は9歳。すっかり背も伸び(10歳の愚息より大きい)、もう近所のおばちゃん的な感想しか出てこない。「あらまあ、ホントに大きくなって〜」「太陽ちゃん、二枚目だわね〜」

 

そして今回初めて会ったのが、次男の大地である。2歳。見た目は小さい頃の太陽に激似。でも、性格はちょっと違う。我が強い。ギャン泣きする。地団駄を踏む。むしろ、我が家の娘2号と似てるな。ギャオス兄妹。

 

この2日間、息子は太陽と仲良くなった。喧嘩して(負けた)、仲直りしてwiiやってた。娘1号はちょっとおミソ。そして娘2号はすっかり大地に愛されてしまった。やたらイチャイチャしている2人。ふふ。将来はアメリカ在住か。

 

大地の熱視線>>>

 

[12.06.30]

・娘2号保育園。息子は学年レクレーション。娘1号はピアノ教室。…の合間に、肉とか野菜とかの買い出し>山スト。

・小林に向かう途中がひどいどしゃ降り。「迎精肉店」。

・ひなもり台オートキャンプ場。数年ぶりにかなさん、太陽と邂逅。初めましての大地。そして早渕夫妻。なんとかBBQができた。愚息と太陽のマジ喧嘩もちょっとおもしろかった。負けたけど(バカ息子が)。夜は大人たちの大人トーク。

[12.07.01]

・ホットサンド、スープ、スイカな朝食。素敵な早渕夫妻とはここでお別れ。また会いましょう。

・Foodalyで惣菜買いつつ一旦帰宅。昼飯後、子供たちを連れて、歓鯨館のプールへ。かなさんに幼児2人を見てもらい、ぼくが児童3人を見るというシステムで。娘2号がやたらはしゃいで大人プールへも行きたがって困った。

・夜は家人のチキン南蛮。

[12.07.02]

・時間休を取ってかなさんをお見送り。宮崎駅。鹿児島本線が大雨で運休していて大分回りで。またねー。

・午後、相談員面接。

[12.07.03]

・連絡調整会議で基金のお願い。わかもの支援センターとヤングJOBの連携にかかる会議。プラザ。

[12.07.04]

[12.07.05]

・基金打合せ。

・超〜久々にDと。「一駒」「1958 Rock BAR」「hana」。りえぞうと英輝さん発見 w

[12.07.06]

・娘1号は発熱。自宅待機で時間休。

・午後から移住関係会議へ。

・「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」★★★★。凝った演出がないようで、実に丹念な描写の連続。冒頭シーンの演出など素晴らしい。そしてラスト。あのラスト。何度も夢に出てきそうな。良くも悪くも折に触れて反すうしてしまう映画。

[12.07.07]

・娘1号の学年レク。引率役として。総合博物館にてクイズラリーを。まあ楽しんでくれた、かな。

・午後は掃除とか昼寝とか。

・「アメリカン・ティーン」★★★★★。ドキュメンタリーなのかフィクションなのか。演出的にドキュメンタリーとしてどうよ、と思うシーンがないわけじゃないけど、「ティーンってこうだよな」と激しく共感する部分だったり「ちきちょうアメリカンめ!」と腹立たしいシーンの連続で、エンターテイメントとしても完成度が極めて高いと思うです。キャスティングの勝利、かもしれないな。

[12.07.08]

・シーガイアトライアスロン、の応援へ。知事発見。じゅんじゅん発見。モリベッティ発見。歓鯨館へ子ども3人連れて。いや、1人で3人みるの辛いわ。ヘロヘロで帰宅。午後、塚田農場。生産者のみなさんとも。

[12.07.09]

・基金集計作業。サポステ打合せ。特別支援室打合せ。

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100kmリレーマラソン

2012-06-17 (日)

友人知人 身体

マラソンの仲間で「100kmリレーマラソン」を走ってきた。時々どしゃ降ったりもする雨の中で(涙)。

 

これは、1周2kmのコースをチームでタスキで繋ぎ、50周して100km走るというもの。ぼくらは、15人でエントリー(1人は急用で来れず走ったのは14人)。ほぼ全員がフルマラソン体験者なので、まあ、なんとかなるべ〜ぐらいの軽い気持ちで、ほとんど練習らしい練習もせず本番に望んだ。でも、大会が近づいてきてから、よくよく考えたら、結構大変な大会なのである。

 

制限時間は9時間(7:00START → 16:00GOAL)。

単純計算すると、

9時間☓60分=540分。

540分÷100km=5.4分!

…つまり、1kmあたり5分24秒で走らないと制限時間内にゴールできないってこと?

 

これは、どのぐらいのスピードかというと、フルマラソンで4時間を切るペースなのである。ちなみに、ぼくはまだ1度も4時間を切ったことがない。つか、4時間半も切れてない(がーん)。それよりも早いペースが必要なのだ。しかも、メンバーの中にですら、サブフォー(フルマラソンで4時間を切ったことがあるランナー)は2人しかいない。んー。ロクに練習もしてないのになんとかなる、のか。

 

で。

 

結論から言えば、なんとかなったのである(喜)。レースは、スタート直後から全体がものすごいハイペースとなった。そのムードに思いっきり煽られて、みんなオーバーペース走(笑)。たとえばぼくの場合、普段は1kmあたり6〜7分なのにも関わらず、今日は4分40秒〜5分ぐらいのペースで走る羽目になった。たった2km…と思うのは素人で、自分のペースを越えて走るというのは、短い距離であってもすごく負担がかかるものなのだ。大勢でリレーするから1回走ると1時間以上のインターバルはあるのだが、オーバーペース過ぎて、休んでも休んでもなかなか回復できない。みんなゴールしてしばらくはグッタリとダウンしていた。

 

とはいえ、そこは長距離経験者たちであるから、粘る力だけはあったようだ。1周、2周、3周…と回数が増えても、あまりペースが落ちない。ほとんど全員が1周10分未満(つまり1km 5分未満)のタイム。最後の最後までほとんど同じペースで刻み続けたのだった。そして…

 

トータルタイム、7時間52分でゴール。

順位は、51位(100kmにエントリーした130組中

見事に、なんとかなった、じゃないか。

 

期待以上の成果が出たということもあるけれど、こういうチームで戦うレースというのもいいね。みんなで作戦を練りつつ、わいわい楽しみつつ、目標(時間内完走)に向けて頑張るっつーのは。辛かった分、楽しめたよ。合間にBBQもやったし。

 

そうそう。愚息も2周頑張ったんだった。ともに10分台(1kmを5分30秒前後)で走りきった。タイムが父とあんまり変わらないということで、えらく自信をつけたっぽい。ま、お父さんは4周走ったけどね(対抗心)。

 

最後は、全員で手を繋いでゴールした(というルールなのだ)。雨に振られたのは面倒だったけれど、それ以外はとても心地よく、楽しいイベントであったよ。来年も出ようかな(もう少しトレーニングして)。

 

 

[12.06.15]

・こども政策課から提案の件。手持ち資料作成など。

・夕方、議会の問いがふられるかと(どきどき)。えびので車が大横転。

[12.06.16]

・耳鼻科。帰宅して片付けなど。家人は仕事へ。

・昼飯にチーズトマト風味とんこつラーメンなるものを作ってみたら、微妙な味だった。

・夕方、会場の場所取り、受付、説明会参加。

[12.06.17]

・朝4時起床。赤弟の車に荷物を積み替え会場へ。テント設営等。

・スタート時は、金・笛・白・黒・赤・緑・菜・赤弟。11時から赤子・蛍・紅・紫夫。最後に紫。青は欠席。応援に橙。

・帰宅後、道具の掃除。ひー。

・父の日。Tシャツ・モモヒキ(ワンピース柄)、下着、靴下、ハンカチ、箸。よくわからないラインナップだけど、ありがとう。

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チーム「for MIYAZAKI」

2012-04-29 (日)

仕事 友人知人 宮崎県

なんと言ったら良いのだろう。それなりに長い県職員生活のなかでも、最上級に嬉しい夜だった。4月25日、うちうちで「ドクターヘリの就航を祝う会」が開かれ、ぼくを含めた「過去の担当者」たちもお招きいただいたのだった。

 

ドクヘリ活動の主役であるフライトドクター、フライトナース、そして救命救急センターのナースたちはもちろん、宮崎大学からは、学長、附属病院長、医学部長らが、県からは、知事、部長、次長が出席、さらにシンポジウムで来県された國松理事長、現場トレーニングに尽力いただいているミスタードクヘリこと松本尚先生も、ゲストとして参加。これ以上ない華やかなメンバーが揃っての会だった。

 

そして幹事を務めたのは、わが友・金丸ドクターである。会の冒頭で、彼が言った言葉がこの日のすべてだった。

 

今夜は夢を語りましょう

 

近年、医療の現場は、とても厳しい。患者からの要望が高まる一方で、専門化・細分化が進んで、圧倒的な医師不足の状況となっている。なかでも救急分野は、激務もあってなり手が少なく、崩壊の危機が続いている。今そこに、ドクターヘリという、小さな、でも力強い希望のホノオが灯ろうとしているのだ。ここから、宮崎の救急医療が、そして地域医療全体が変わっていくかもしれない。激務を自ら望んで引き受け、県民の命を守ろうという高い理想をもった医師、看護師が増えていくかもしれない。…そんな熱い夢を語る夜であった。

 

ぼくが医療担当をしていた3年間で、壮大な夢を語る医師が2人だけいた。そのひとりがドクヘリの夢を語る金丸医師であり、もうひとりが周産期医療の夢を語る池ノ上宮崎大学付属病院長(当時は産科教授)だった。

 

医療の現場では、医師たちはなかなか夢を語らない。「現実は甘くない」「理想を語れる状況じゃない」。そういう医師が圧倒的に多い中、この2人だけは、いつも「こうしたいんだ」「やればできるんだ」と熱く語っていた。宮崎大学に池ノ上病院長がいるときに、金丸医師が帰ってきた。宮崎県民にとって、本当にラッキーなことだったと思う。

 

もうひとつ。若くして鬼籍に入られた先輩・吉田拓夫さんのことも書き加えておく。ほんの2年前は、宮崎にドクヘリを導入するというのは、まったくリアリティのない話だった。救急医は慢性的に不足している。ハードもまったくない。莫大な予算とたくさんのスタッフを必要とするドクターヘリは、夢のまた夢だった。

 

しかし、拓夫さんは「宮崎の医療を再生するために、ドクターヘリの導入は不可欠」という思いで関係者を熱心に口説いて回っていた。その熱意に唯一人、応えてくれたのが、池ノ上病院長だったのだ。まったくの「ゼロの状態」で「夢にかける」のは、たぶん池ノ上病院長でなければ無理だったろう。その決意が金丸医師を宮崎に呼び戻すことに繋がり、ドクヘリ導入への挑戦が始まったのだった(その後、菅沼学長や迫田医学部長という、力強い応援隊を得たことも大きかったな)。

 

聞くところによると、4月18日の運航開始式が終わったあと、池ノ上病院長と金丸医師は、拓夫さんのお墓に報告に行かれたのだという。みな思いは同じだったのだ。

 

夢をもたなきゃね。夢を語らなきゃね。すべては夢から始まるのだ。

 

 

※会の最後に、救急センターのスタッフから、来賓へサプライズプレゼントがあった。それは、名前入りのフライトユニフォーム。

(左から迫田医学部長、國松理事長、河野知事、菅沼学長、池ノ上病院長)

 

背中にはもちろん「for MIYAZAI」

 

[12.04.25]

・議会用資料づくり。

・お祝いの会「ベル・エポック」。2次会「TIME」。松本先生、落合教授、金丸医師、長倉、長友、前田。「コードブルー」のウラ話など。長倉と2人で「hana」。

[12.04.26]

・常任委員会。質問の半分はうち。

・ソレイユ保護者会。息子のつくった鍋を食ってから参加。

[12.04.27]

・延岡出張。総務商工センター、ヤングJOB、ハローワーク延岡、プラザ、九州保健福祉大学。ランチ「松乃寿司」でオリエンタルチキン南蛮。

・会検準備20:00。

[12.04.28]

・GWだというのに通常出勤。チーム全員で会検準備。書類チェックを永遠と。ランチ「アンダーバー」。街市を少しだけ覗いたら、抽選で新茶(特等)と出汁巻き玉子が当たった。ラッキー。8:00-22:00。

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ドクターヘリの ” 種 ” が生まれた日

2012-04-05 (木)

仕事 友人知人 宮崎県

2005年1月上旬のある日。ぼくは、西郷村(現:美郷町)の消防出初式に参加していた。式典の準備が行われている間、役場の方たちと雑談していると、西郷村立病院の事務局長が「もし時間があったら病院に来てくれないか」と言ってきた。何やら、若いドクターが、ぼくの話を聞きたいと言っているとのこと。その日はただの「カバン持ち」で、式典の間は何もすることがなかったので、ほいほいと徒歩5分の距離にある病院へと向かった。そこに待っていたのは、なんとも愛らしい笑顔をした金丸勝弘医師だった。

 

当時、ぼくは防災ヘリを宮崎に導入する仕事をしていて、2月末の運航開始に向けて最終準備を行なっている最中だった。金丸医師は「地域医療にヘリは有効なんではないか」と思っていたそうで、「防災ヘリを医療目的に使っていいのか」という話を聞きたかったようだった。

宮崎の防災ヘリは、正式には「宮崎県防災救急ヘリコプター」という。全国で唯一「救急」という言葉が入っている。これは、事故や災害時だけでなく、日常的な救急用務でも積極的に活用していくという意味でつけたものだ。名前だけではない。航空隊員の半数を「救急救命士」としているのも宮崎オリジナルだった(普通はレスキューの隊員が搭乗するのだが、宮崎だけは救急救命士がレスキューも行うという独自のルールとした)。

 

また、ちょうど1ヶ月前に、アメリカでのヘリの医療現場での活用実態を見てきたばかりであったので、「医療分野でもこれから積極的にヘリを活用すべきである。救える命を救わないのは医療と行政の怠慢だ!」という自説をぶちまけた。将来的には、防災ヘリの基地にドクターを常駐させ、「ドクターヘリ的な運用」も目指したいというぼくなりのアイデアも披露した。確か小1時間程度ではあったけれど、二人して「医療ヘリ構想」を熱く語りあって、すっかり意気投合した。その後、金丸先生とはプライベートでも何度も会って、「医療現場でのヘリ」について語り合ったものだった。

 

その1年後。金丸先生は、千葉の日本医科大学北総病院へと転ずることになる。テレビドラマ「コードブルー」の舞台にもなった病院で、全国で最先端の「ドクターヘリ」の運航実績をあげていた病院だった。ぼくの「防災ヘリを医療に活用」というアイデアを飛び越え、「ドクターヘリ」の修行に行ったのだった。金丸先生は、そこで5年間研修医として研鑽を積まれた。内科救急という慣れない現場で、先生も随分苦労されたのではないかと推察する。給与もよくないのに(笑)。

 

そして、昨年、ドクターヘリ導入の特命を背負って金丸先生は、宮崎大学医学部へ戻ってきた。

 

ドクターヘリの導入については、医療、行政のたくさんの人が尽力してきた。莫大な予算を確保すること、救急専属のスタッフを確保すること、施設を整備することなどなど…。直接・間接に携わってきた人は何百人にもなることだろう。しかし、そもそも金丸先生がいなければ、宮崎にドクターヘリを持ってくることはできなかった。いや、金丸先生の存在があったからこそ、「宮崎にドクヘリ!」という夢を追いかけることができたのだ。そう。つまりは、金丸先生をその気にさせたぼくが一番偉いんであるな(全然違うと思う)。

 

そんないろいろな7年間が過ぎ、あの日に撒かれた種がついに花を咲かす。運航開始はいよいよ、2週間後、である。

 

 

[12.04.05]

・ひたすら勉強の一日。

[12.04.06]

・起案がたくさん回り始める。新体制での始動。部長への説明。

・娘2号が発熱。生協病院へ。ただの風邪らしい。

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弟子であるヨロコビ

2012-02-28 (火)

余談 友人知人

こんな弱小サイトでも、10年も続けていると温かく見守ってくれる読者もいたりする。そんな希少かつ最古参の読者の一人であるHOSO氏と、大阪出張の合間に「はじめての飲み会」に行ってきた。40歳を越えた”ナイスミドル”同士、どんな飲み会になるかワクワクしていたのだが、これが実に楽しい時間だった。

 

神戸出身であるHOSO氏が段取りしてくれたのは、新長田にあるお好み焼き「ひろちゃん」。関西風お好み焼きと言えば、具だくさん、ソースの上にマヨネーズがたっぷりかかって、かつお節がひらひらと踊っている、というイメージだったが、” 関西風 “も様々なのね。そばめしでも有名な長田地区では、ぼっかけ(すじ肉の煮込み)がメインで、マヨネーズはそもそも机の上に置いてない。とん平焼きというのも初めて食べた。コナモン文化、奥が深いなあ。旨いなあ。←B級好き

 

そのお好み焼きを食べながらHOSO氏「今日は時間あります? よかったら、このあと某BARへ行きませんか。一度行きたかったんです。」と。おお。某BARといえば、二人の共通の師匠であるS氏が長年通っていることでマニアックに有名な店。行こう行こう、ということになり、さっそく師匠へFBで「これから行ってきます」とメッセージを入れる。と、即座に師匠から「日曜日は休み。荒らされなくてよかった。」と返事があった。しかし、緻密な段取りマンであるHOSO氏曰く「いや、定休日は水曜日のハズ。マスターも『おでんを仕込んでいる』とつぶやいてました」。すごいなそのリサーチ力 w

 

電話して開いていることを確認して、某BARへ移動。店を見つけた時には、二人してiPhoneを取り出して、看板の写真を撮りまくり。店の中では、師匠のボトルも撮りまくり。終いにはそのボトルを勝手に飲み始める悪い弟子たち(嘘。優しい師匠が飲めと言ってくれますた)。ここまでいくと、ペ・ヨンジュンの生家を見に、韓国まで出かけていく追っかけおばさんレベル。相当タチの悪いナイスミドルなのである。

 

とはいえ。まったく境遇の違う2人が、師匠を同じくするということで、こうやってリアルに会う。もう神戸とか宮崎とか関係ない。そして、師匠を酒の肴に、師匠の酒を飲む至福といったらない。弟子であるヨロコビを共有できるヨロコビなのだ。…なんてなことをFBに書いたら、師匠から「いいね!」ならぬ「いくないね!」との返事 www

 
それにしても某BAR。さすが敬愛する師匠が愛しているだけあって、その佇まいといい、マスターのお人柄といい、なんとも心地よい空間だった。歩いていける近所に欲しいなあ。HOSO氏はこれから足繁く通うらしいので、次回はHOSO氏のボトルで飲む w

 

 

 

[12.02.25]

・ビズのK嬢をピックアップして都城へ。「広島vsソフトバンク」オープン戦へ。むぅちゃんのアテンド。寒い。

・途中で切り上げて宮崎へ戻り、宮崎空港から伊丹へ。空港で久々に「ガンジスカレー」食った。DNAレベルで旨い。

・空港バスの連絡がうまく行ったので、急遽梅田ガーデンシネマへ。レイトショーで「宇宙人ポール」★★★★★。過去見たバカ映画の中で、最高レベルに面白かった。SFネタが随所に散りばめられている面白さもさることながら(全部拾えてないだろうなあ)、実はとてもオーソドックスというかストレートな面白さもある。死ぬまでにあと10回は見る。

[12.02.26]

・6時起床。応援団交流会。「南海グリル」。司会役。熱い語りやら、飛び入り参加やらで、予定時間を1時間オーバー。

・HOSOさんと新長田。鉄人!を見学したあと「お好み焼き ひろちゃん」。とん平焼、すじ焼+シソ、そばめしなど初体験ばかり。旨し。
・聖地「バーンズ」へ。マスターが素晴らしい。師匠とFBでやり取りしつつ「オールドグランダッド」を無理矢理ゴチになる。

・そんなこんなで楽しい夜を過ごした為に、梅田で終電終了。江坂までタクシー(泣)。しかもホテルの部屋が過去最高に狭過ぎるの巻。

[12.02.27]

・朝5時起床。6時ホテル発。7時空港着。8時発。9時着。M「アッパレみやざき」に「ゆるみや」が。議会対応。OJの対応。
・娘1号が風邪で休み。定時退社で久々に家族とゆっくり。

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理恵力(りえりき)

2012-01-12 (木)

友人知人 宮崎県

金曜日は第1回目の「理恵塾」があった。これはフーデリィの宮田理恵さん(つか理恵ちゃん)が個人で主催するパワーアップ研修会。講師はなんと我が師・佐藤尚之さん(つかさとなお師匠)。Facebookでの呼びかけを中心に100名超が集まった

 

元々、師匠に理恵ちゃんを紹介したのは、2年半前。そこから彼女と師匠はあっという間に仲良くなり、ついにはこのような会を開催するまでに。理恵ちゃんのこの「人と仲良くなっちゃう、くっついちゃう力」は、本当に素晴らしい。師匠とは、たまたまぼくが引きあわせたけれど、仲介者なんかいなくてもすぐに仲良くなっちゃうのが彼女の彼女たる所以だ。ぼくは最近その能力を「理恵力(りえりき)」と呼んでいる。

 

理恵力は、とにかく図々しい力でもある(笑)。会ったことがあろうがなかろうが、どんどん押しかけていって仲良くなっちゃう。1度でも会ったことがあればもう親友も同然の振る舞い(笑)。でもそれが全然不愉快にならないんだな。これと思った人の懐にズバッと飛び込んでハートを掴む。すごい能力だと思う。ホントに。

 

最近は、理恵力がさらにパワーアップしてきて、自分と相手が仲良くなるだけにとどまらず、人と人とをくっつけちゃうところにまで発展。「この人とこの人が繋がれば、何か面白いことが起きるハズ〜」と思ったら即実行。1回だけ会ったことがある人(それもすごくエライ人)にイキナリ直電し、「会わせたい人がいるの!」と言って引き合わせる。そして本当に新しい火花がバチバチっと光ったりする。そんな芸当ができるのは理恵ちゃんしかいない。理恵力マジック。

 

これから理恵力がますます宮崎を面白くしてくれるんじゃないかな(…と他人事のように書きつつ、結局喜んで巻き込まれていくワタシ)。

 

 

*理恵ちゃんは、このブログでもM女史だとかR女史だとかという名称でよく登場するのだけれど、今回は中身が中身なので実名で書いてみた(笑)

 

[11.01.11]

・来年度予算、部長レク。西鉄グランドホテル総料理長来訪。

 

[11.01.12]

・総務部長ヒア。予算資料作成。知事説明資料作成。22:30。

 

[11.01.13]

・知事説明内容部長レク。「みやざき犬」の活用方針説明。

・理恵塾。2次会「鉄竿」。澤畠さん、じゅんじゅん、師匠、T社長、げんちゃん、理恵ちゃん、尾崎さん。3次会「豚足ライダー」。4次会「hana」。27時終了。

 

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企画会議

2012-01-06 (金)

仕事 友人知人

普段から仲良くしているR女史が、我が家へ来訪。彼女とは、かれこれ5年ぐらいの付き合いだ。仕事にしてもプライベートにしても興味の対象が近い割に、得意分野は異なるので、お互いにいい刺激を受けることができる。あまりにディープに付き合っているので、「肉体関係のない第二夫人」の称号もある(笑)

 

といっても、ここのところのR女史は、活動の場が加速度的に広がっていて、すっかり「全国区」の人になっているので、なかなかアポを取ることが難しく、最近は、飲みに行くことすらままならない。せいぜい月に1回会ってるかどうかレベル。そろそろ称号を「肉体関係のない愛人」に格下げしなくては…。

 

そんなR女史であるから、たま〜に個別に会うことになると、お互い溜まっていたものをぶつけ合うことになる。ホームパーティじゃなくて企画会議になっちゃう。ちなみに今日の企画テーマは、来週開催の「R塾」の具体的な運営について。ひとつひとつの課題を検討していったら、あっという間に2時間経ってしまった。ロクにメシも食わずに喋りたおしたのに全然終わらない。話が脱線した流れで出てきた某航空会社案件、某飲食店案件も面白い企画だったし、姉妹都市案件は突っ込みどころ満載で、もっといろいろ詰めて話したかった。とりあえずメインテーマ案件については、持ち帰ってお互いにもう少し揉んでみることに。

 

それにしても、ぼくのまわりには、R女史のように顔を合わせると「企画会議」をしちゃうタイプの人が増えてきたなあ。世の中を嘆いてみたり、上司や部下の悪口を言ったりといった「ネガティブ」で「他人事」の話は、ほとんどしない。「(自分が)どう動いたらこの街が、この宮崎が、この日本がワクワク楽しくなるか」という「ポジティブ」で「自分事」の話をする。こういう人が増えてくると、世の中、もう少しなんとかなる気がする(気がするだけかもしれないけど)。

 

[12.01.05]

・出張日程調整、白パン資料、R社物産展関係打合せ等。

・R女史、Mちゃん来訪。おでんとホルモン焼きと。終了後家人と明日以降の打合せ。

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