ドクターヘリの ” 種 ” が生まれた日

2012-04-05 (木)

仕事 友人知人 宮崎県

2005年1月上旬のある日。ぼくは、西郷村(現:美郷町)の消防出初式に参加していた。式典の準備が行われている間、役場の方たちと雑談していると、西郷村立病院の事務局長が「もし時間があったら病院に来てくれないか」と言ってきた。何やら、若いドクターが、ぼくの話を聞きたいと言っているとのこと。その日はただの「カバン持ち」で、式典の間は何もすることがなかったので、ほいほいと徒歩5分の距離にある病院へと向かった。そこに待っていたのは、なんとも愛らしい笑顔をした金丸勝弘医師だった。

 

当時、ぼくは防災ヘリを宮崎に導入する仕事をしていて、2月末の運航開始に向けて最終準備を行なっている最中だった。金丸医師は「地域医療にヘリは有効なんではないか」と思っていたそうで、「防災ヘリを医療目的に使っていいのか」という話を聞きたかったようだった。

宮崎の防災ヘリは、正式には「宮崎県防災救急ヘリコプター」という。全国で唯一「救急」という言葉が入っている。これは、事故や災害時だけでなく、日常的な救急用務でも積極的に活用していくという意味でつけたものだ。名前だけではない。航空隊員の半数を「救急救命士」としているのも宮崎オリジナルだった(普通はレスキューの隊員が搭乗するのだが、宮崎だけは救急救命士がレスキューも行うという独自のルールとした)。

 

また、ちょうど1ヶ月前に、アメリカでのヘリの医療現場での活用実態を見てきたばかりであったので、「医療分野でもこれから積極的にヘリを活用すべきである。救える命を救わないのは医療と行政の怠慢だ!」という自説をぶちまけた。将来的には、防災ヘリの基地にドクターを常駐させ、「ドクターヘリ的な運用」も目指したいというぼくなりのアイデアも披露した。確か小1時間程度ではあったけれど、二人して「医療ヘリ構想」を熱く語りあって、すっかり意気投合した。その後、金丸先生とはプライベートでも何度も会って、「医療現場でのヘリ」について語り合ったものだった。

 

その1年後。金丸先生は、千葉の日本医科大学北総病院へと転ずることになる。テレビドラマ「コードブルー」の舞台にもなった病院で、全国で最先端の「ドクターヘリ」の運航実績をあげていた病院だった。ぼくの「防災ヘリを医療に活用」というアイデアを飛び越え、「ドクターヘリ」の修行に行ったのだった。金丸先生は、そこで5年間研修医として研鑽を積まれた。内科救急という慣れない現場で、先生も随分苦労されたのではないかと推察する。給与もよくないのに(笑)。

 

そして、昨年、ドクターヘリ導入の特命を背負って金丸先生は、宮崎大学医学部へ戻ってきた。

 

ドクターヘリの導入については、医療、行政のたくさんの人が尽力してきた。莫大な予算を確保すること、救急専属のスタッフを確保すること、施設を整備することなどなど…。直接・間接に携わってきた人は何百人にもなることだろう。しかし、そもそも金丸先生がいなければ、宮崎にドクターヘリを持ってくることはできなかった。いや、金丸先生の存在があったからこそ、「宮崎にドクヘリ!」という夢を追いかけることができたのだ。そう。つまりは、金丸先生をその気にさせたぼくが一番偉いんであるな(全然違うと思う)。

 

そんないろいろな7年間が過ぎ、あの日に撒かれた種がついに花を咲かす。運航開始はいよいよ、2週間後、である。

 

 

[12.04.05]

・ひたすら勉強の一日。

[12.04.06]

・起案がたくさん回り始める。新体制での始動。部長への説明。

・娘2号が発熱。生協病院へ。ただの風邪らしい。

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異動したんだけどッ ( ゚д゚)

2012-04-03 (火)

仕事

前のエントリーでも書いたように、今年度から労働政策課・地域雇用対策室、という部署に異動した。同じ商工観光労働部とはいえ、国の所管も「厚生労働省」であり、福祉や教育とも関係の深い、なにかと幅の広い仕事。ぼく自身、初めての「労働行政」ということもあり、一から仕事を覚えなくてはならない。やはり、行政マンにとって「異動」は一大行事だ。大変だ。

 

…のだが、のであるのだが、物理的な「移動」の方は、小さな第8庁舎の2F→3Fへ移っただけ。徒歩30秒の距離である。

 

どうもこの「移動が少ない」ことが悪い風に影響しているようで、送別会でも、全然「さようならだねさらばだね」な雰囲気にならないのである。遠く県外へ出ていく者、県内でも片道2時間かかる出先機関へ異動する者たちとは、涙…涙…の別れがあるのに、ぼくに対しては扱いが、超〜軽い。「ま、甲斐さんはね、同じ部だしね、すぐ上にいるしね(笑)」という感じだ。心外だ。(笑)は余計だ。移動はなくても、異動は異動じゃないか。

 

そんな扱いを受けているせいか、ぼく自身も、どうにも「異動した」感が薄い。ギリギリで決まったため、4月初日を「犬の世話」でスタートしたからかもしれない。前の仕事があまりにも「なんでも有」だったために、「アピールの仕事の一環として雇用対策もやることになっちった」ぐらいの感覚になってしまっているのかもしれない。

 

いかんなあ。いかんいかん。気持ちを切り替えて、労働施策だけを頑張ります(嘘)。

 

[12.03.23]

・代休、なんだけど、もろもろ片付け。娘2号、一歳半検診。ほとんど何の問題もないが、友絵先生から一言「ちょっと太い」と(笑)

・前から約束していたM嬢のお祝い。「ボスコ」「hana」。

[12.03.24]

・掃除、洗濯など。

・夜は家族で「インフィオラータ」と「レーザービジョン」を見に。すごい風〜。

[12.03.25]

・「つながる/代々木忠(祥伝社)」★★★。さすがヨヨチュー。語るなあ。抜くことでなく感じることを目的としたビデオを取り続けて◯十年。言葉が重いぜ。

・「ふがいない僕は空をみた/窪美澄(新潮社)」★★★★。エロい小説かと思いきや、後半からはまさかのね。社会性もありつつの、人間描写の細やかさ。なぜか途中で放棄して積んでいたけど、読んで良かった。

[12.03.26]

・代休。夜ご飯はカレーで。

[12.03.27]

・暴言。「オクトパスB1」。黒と「hana」。宮田っちも。

[12.03.28]

・引継書完成。250ページぐらいあるような(笑)。

[12.03.29]

・引継。これまでの歴史をこんこんと。局送別会。「よどはん」。一人で「一郎」。周と「SHOT BAR」。

[12.03.30]

・楽天の黒坂さんから大きな花束。ちょっと涙出た。感謝。

・急遽、辞令交付式に「みやざき犬」が登場することになり、その段取り等で人事課と打合せ。最終日にこんなことをやっている(笑)

・課送別会。「なぶら」。「あけみ」では「マルモリ」の練習を3匹が。アピールのみで「hana」。

[12.03.31]

・職場にて片付け、掃除。新しい仕事の勉強。

・帰宅後、自転車を掃除して、あっこさん+竹原さん主催の花見へ。facebookだけの「お友達」たちと大勢会う。銀も。

[12.04.01]

・庭の草むしり。芝キープと除草剤の散布。午後はうとうと。夕方、愚息と本の買い出しへ。「デザインノート」「映画欠席裁判」。

[12.04.02]

・朝イチでリハーサル後、新卒者辞令交付式をお手伝い。自分の辞令交付。挨拶まわりでKITENや労働局など。

・お通夜で小林へ(部下の父)。

 

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4月から「労働」の仕事になります

2012-03-22 (木)

仕事

今日、内示があったです。「地域雇用対策室」というセクション。親族に、旧「労働省」関係者が何人かいるので、業務としてはかなり親近感がある。上司もよく知った素晴らしい人で異動先には不安がない。4月から県民の「労働」にかかわる仕事。頑張りますです。

 

そう思う一方で、今の仕事を離れる寂しさもある。元々、趣味的に「広告」の勉強をし、専門書も読みあさっていたところに、4年前の今頃、新設された「みやざきアピール課」へ配属された。みやざきのアピール! これは燃えた。燃えるでしょ。燃えいでか。

 

スタート当初は、東国原知事のトップセールスをディレクションする業務が中心。お声がかかる地域や企業に出かけ、知事人気を活用して県産品のプロモーションを行った。どうやったらメディアが取り上げてくれるのか、そして、どうするとお客さんが関心を持ち、買ってくれるのかを現場、現場で学んでいった。そんなことを繰り返していくと、今度は知事と関係なく、県産品の良さに気づいた企業が出てきて、宮崎県☓◯◯◯なコラボを企画立案していく機会が増えていく。宮崎県産品をたくさん売るために、大手企業(流通だったり、飲食だったり、メディアだったり)の企画担当者と一緒になって知恵を絞った。そしてこれが結構売れた ww

 

あの悲劇的な口蹄疫が発生したあとには、アピール業務を中断して対策本部にこもった。終息後はイメージ回復のためのプロモーションも請け負った。全国へ向けたお礼のメッセージ発信も行った。予算の限られた宮崎で、全国紙4誌に広告を打つなんて経験はなかなかできるものではない。だんたんと県庁全体の営業系の牽引役を担うようになり、交代した河野知事の政策提案「オールみやざき営業チーム」の舵取りも任された。その象徴たる「みやざき犬」も無事にデビューし、今、必死でくまモンを猛追中(笑)。振り返ると、うちのチームは、その時々のニーズをすくい上げ、柔軟に対応してきたと思う。えらいなあ、アピール課(笑)

 

そういう仕事だったからこそ、公私の区分なくどっぷり浸かった4年間だったからこそ、今日はなんだか悶々とした。朝読んでた本は「キャラクタービジネス」の本だった。どうせ異動するってわかっているのにな。ああ、なんだか切ない。

 

そんな伊代はまだ16だからセンチメンタルジャーニ〜な気分でいたとき、我が師匠のサイトを読んだ。そこには、まるで今日のぼくに宛てたメッセージであるかのように(違うけど)「組織や肩書きに頼らず「自分」を晒して生きるということ」という記事があった。胸にストンと落ちた。この4年間で培ったノウハウ、人脈は、まったくもって個人の財産となった。アピール課の甲斐、ではなく、甲斐慎一郎という個人にも繋がっている人がたくさんいる。その関係性の中で、できることをしていけばよいのだ。そう思ったら、気持ちが切り替わった。よかった。

 

帰宅して郵便ポストに届いていたのは「なんてったって30年!/小泉今日子」。なんというタイミング。ぼくらの時代はまだまだ続いていくらしい。あ。ドラマも最終回だッ。

 

 

[12.03.21]

・資料の整理。

・「ワウディ」の体験。「ピラティス」「X55(スクワット系エクササイズ)」「ZUMBA」。各45分のレッスンを15分の休憩挟んで連続で。死んだ。

[12.03.22]

・内示。次年度の事務分掌や引継書類などをさっそく。

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2012-01-26 (木)

主夫生活 仕事

今月からイベント月間に突入しているため、我がチームは尋常なくバタバタしている。10分だけチーム全員で打ち合わせしようと思っても、まるでコントのように次々に電話や来客がやってくる。まあ、東京、大阪、福岡の各地で行うイベントを、それぞれ3〜4件、同時並行で準備しているわけで、こればかりはどうにも致し方ない。自分の能力を越える負荷を背負ってこそ人は成長するもの。今日のスタッフの苦労は、確実に経験値となって蓄積され、明日の筋肉になる。みんながんばれ。

 

かく言う自分も、全体を統括する立場であるから、なかなかのんびりはできない。スタッフからの相談が次々にあがってくるし、こちらからも宿題を出す。何かと問い合わせが多いわんわん関係もずんずん処理する。そうやってじわりじわりとモノゴトを前に進めていく。ふぅ。そんなこんなで、先週ぐらいから深夜に帰宅することが増えた。そして、共働き家庭では、家でも仕事が待っているのよね。

 

帰宅したらとっとと風呂に入り、残り湯を使って洗濯機を回す。その合間に夕食を温めて食べ、食べながら録画した番組なんぞを見る(今夜はSONGS「由紀さおり」だった!)。食べ終わった食器や鍋などを洗っているとそろそろ洗濯物も洗い終わる時間。朝はバタバタになるので夜のうちに、ピンチハンガーやタコ足ハンガーに洗濯物をかけておく。

 

ああそれにしても、なんという洗濯物の多さ。汚し魔王の娘2号がいる上、冬場は重ね着していて点数が増える。ざっと100点近い洗濯物は、吊るすだけで30分はかかる。ふぅ。それから、学校や保育園の連絡に目を通し、連絡手帳に「親メモ」を記載する。郵便物をチェックする。明日のゴミ出しの準備をする。そうこして、ようやくほっとひと息ついて、ブログなんぞを呑気に書いている今はもう午前2時半。朝は朝で5時半起床。

 

うー。早く寝ろ自分。おやすみ。

 

[12.01.25]

・知事レク資料課内説明>次長>部長説明、南海グリル来訪、知事プレゼン用資料集成、みやざき犬使用申請もろもろ処理。23:00。

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グッジョブ自分

2012-01-25 (水)

仕事

今日、FBのある「お友達」のTL上に、「娘が退院しました」というコメントが出いていた。目を引いたのは、そこに防災救急ヘリコプターの機影と隊員たちの写真が添付されていたことだった。

 

ぼくの20年余の県庁生活のなかで、自分で自分に心から「グッジョブ!」と言える仕事のひとつが、この防災救急ヘリコプターの導入だった。当時、防災ヘリの役割が十分に認識されていないこともあって、「県内に自衛隊があるんだから防災業務は任せればよい」とか「貧乏県なのにヘリなんて贅沢品だ」とか、相当風当たりが強かった。当時の管理部局からは激しい圧力があったし、身内の幹部級からさえパワーハラスメントを受けた。でも、一担当としては、譲るわけにはいかなかった。高い買い物だからこそ妥協できなかった。そして3年後、ヘリは宮崎にやってきた。

 

このコメントにあった女の子(5歳くらい)は、どうやら交通事故?にあったところをヘリで救急搬送されて助かったようだ。写真は、長い入院生活を終え、無事に退院できた報告に防災救急センターを訪問したときのものだったのだ。いかつい隊長に抱かれた子どもの笑顔が眩しい。

 

防災救急ヘリは、導入してもうすぐ7年。その間、多くの命を救ってきている。でも、導入後すぐに担当を離れたぼくは、こんな風に具体的な成果を見る機会が全然なかった(せいぜい新聞記事ぐらい)。今回、実際に命を救ったのは隊員さんであり、ドクターやナースであるんだけれども、ぼくの7年前の(つまりはこの子が生まれる前の)頑張りが、間接的に彼女の命を救ったのだということを一人で勝手に喜びたい。名も知らない女の子。退院おめでとう。

 

[12.01.24]

・docomo打合せ。キグルミビズ打合せ。各イベント調整。23:00。

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仕事やらねば欲

2012-01-10 (火)

仕事

2日続けて呑気なエントリーを書いたせいか、本日、とてもそんな本を読んだり映画を見たりする余裕がなさそうだということが判明(泣)

 

バタバタしているうちのチーム員をようやく全員捕まえて、3月までの日程を調整してみたら、みーんなすごーく忙しいことがわかった。なので、もろもろの雑多な用務は全部ぼくが引き受けることに。さらに、部下3人がそれぞれ東京、大阪、福岡で複数のプロジェクトを進行しているので、その「ヘルプ」として現場へ出ていくと、2〜3月の週末はほとんど全滅(出張)ということも判明してきた。わはは、家人にどうやって説明したものか。

 

まあでも、嬉しい悲鳴であって、留守の合間にもしっかり事業を展開してくれてたからこそ、年度末恒例の忙しさがあるわけで、ここは頑張りどころであるよ。

 

…そんなタイミングなのに、いや、だからこそか、子供たちが次々に感染症に罹ってダウン中。土日に娘2号が嘔吐下痢症を発症したと思ったら(程度は軽かった)、今日は息子がダウン。家人が学校へ迎えに行って、病院に連れて行ったところ、文字通り、ふらふらと力が抜けて倒れてしまったそうな。原因はハッキリしないが、食欲不振等で体力が落ちて、血圧がどーんと落ちてしまったらしい。うーん。明日は休みかなあ。

 

他人事ではない。こんな時期にぼくも倒れるわけにはいかない(とか言いつつ、今日は少し悪寒が…)。さっさと寝よ。

 

[12.01.10]

・某小学校にてみやざき犬の命名者を表彰。その後、各社の取材。Mテレビは「今年注目の人」としてみやざき犬を取り上げてくれた。某アイドルカレンダー案件。恋旅バス。パンフレット打合せ。スケジュール打合せ。予算資料づくり。昼飯食う暇なし。20:00。

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企画会議

2012-01-06 (金)

仕事 友人知人

普段から仲良くしているR女史が、我が家へ来訪。彼女とは、かれこれ5年ぐらいの付き合いだ。仕事にしてもプライベートにしても興味の対象が近い割に、得意分野は異なるので、お互いにいい刺激を受けることができる。あまりにディープに付き合っているので、「肉体関係のない第二夫人」の称号もある(笑)

 

といっても、ここのところのR女史は、活動の場が加速度的に広がっていて、すっかり「全国区」の人になっているので、なかなかアポを取ることが難しく、最近は、飲みに行くことすらままならない。せいぜい月に1回会ってるかどうかレベル。そろそろ称号を「肉体関係のない愛人」に格下げしなくては…。

 

そんなR女史であるから、たま〜に個別に会うことになると、お互い溜まっていたものをぶつけ合うことになる。ホームパーティじゃなくて企画会議になっちゃう。ちなみに今日の企画テーマは、来週開催の「R塾」の具体的な運営について。ひとつひとつの課題を検討していったら、あっという間に2時間経ってしまった。ロクにメシも食わずに喋りたおしたのに全然終わらない。話が脱線した流れで出てきた某航空会社案件、某飲食店案件も面白い企画だったし、姉妹都市案件は突っ込みどころ満載で、もっといろいろ詰めて話したかった。とりあえずメインテーマ案件については、持ち帰ってお互いにもう少し揉んでみることに。

 

それにしても、ぼくのまわりには、R女史のように顔を合わせると「企画会議」をしちゃうタイプの人が増えてきたなあ。世の中を嘆いてみたり、上司や部下の悪口を言ったりといった「ネガティブ」で「他人事」の話は、ほとんどしない。「(自分が)どう動いたらこの街が、この宮崎が、この日本がワクワク楽しくなるか」という「ポジティブ」で「自分事」の話をする。こういう人が増えてくると、世の中、もう少しなんとかなる気がする(気がするだけかもしれないけど)。

 

[12.01.05]

・出張日程調整、白パン資料、R社物産展関係打合せ等。

・R女史、Mちゃん来訪。おでんとホルモン焼きと。終了後家人と明日以降の打合せ。

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復帰!

2012-01-04 (水)

仕事

本日、無事に職場へ復帰。辞令も頂きました。

 

過ぎてみたら「あっという間」だった4ヶ月なのに、いざ、仕事をしてみると「忘れてる」ことが多くて自分でもビックリした。やはり120日という日々の積み重ねはそれなりの時間なんだな。何しろ、winPCに触れること自体が久しぶりだったので、起動音でビックリしたり、Outlookの使い方がすぐには思い出せなかったりというレベルなんだもの。そして、一日に何本も通過していく「決済書」や「回覧文」やら、多方面からの問い合わせ等に、いちいち驚いたり懐かしかったりしちゃったよ。

 

でも、なんだかんだで今日一番「復帰した」感を味わったのは、仕事じゃなくて、ランチ。主夫の頃は、何よりもまず「今日は娘に何を食べさせようか(作ろうか)」というところから発想していたのに、今日からは、「自分が食べたいもの」をチョイスできるのだ。そのことに10時頃になって気がついて、ああ、なんて贅沢なんだろうって感激した。感激のあまり、寒風吹きすさぶ中(今日の宮崎は冷えた)、どこにしようかワクワク悩みながら街中をウロウロしちゃったよ。

 

いやあ、仕事って楽しいね。

 

[12.01.04]

・担当内の第4四半期スケジュールの確認、課題の確認。白パン資料。

・ほぼ定時退社。娘2号と楽しく。

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育休終了

2012-01-03 (火)

主夫生活 仕事

育休〜正月休みが終了。短いようでいろいろあった4ヶ月だった(気持ち的に)。ヨロコビもあればクルシミもあった。これから「本来の生活」に戻っていく中で、少しずつ、この育休生活・主夫生活の「意味」が明確に見えてくるのではないか。「総括」をするためには、もう少し時間が必要な気がする。

 

で。明日から職場復帰である。この4ヶ月間、PCの前に座っている時間が圧倒的に少なかったこともあり、今の現状として、タイピングが異常に遅かったり、文章がうまく書けない、といった” 症状 “が出ている。決断力も弱っているかなあ。ここは時間をかけて徐々にリハビリを…と言いたいところだけれど、年度末に向けて、そんな時間的な余裕はない。とにかく、机の上に山積みされているであろう課題の一つ一つに向き合い、動きにくくなっている「仕事の筋肉」に油をさし、ネジを巻き、ひいふう喘ぎながら前に進んでいくしかないよな。

 

問題なのは、そういう「弱っているであろう仕事力」に反して、「ああしたら面白くなるんじゃないか」「こういう企画はどうよ?」という妄想力はなんだかフツフツと盛り上がっていることだ。「仕事欲」という欲望ってあるもんなんだ、こんなぼくでも。でもこのままじゃ、保育園の運動会でのお父さんにように、「こうしたい自分」と「そうできる自分」とのギャップが大き過ぎて、ずっこけまくっちゃうのかもしれないなあ。ああ(涙)

 

まあ、とはいえ、コケるのを怖がって「軽めに流しておく」なんてみっともないことはしたくない。アピール担当4年目最後の3ヶ月間だ。うぬ、ここは派手に転げまわってやろう。

 

[11.12.31]

・昼間は読書。午後から実家へ。弟家族は北海道へ旅行中。今年は少人数の年越し。西都牛旨し。

・「紅白」見つつ、FBやtwitter見つつ。紅白で印象に残った人。AKB48(200人超…)、少女時代、猪苗代湖ズ、椎名林檎、小林幸子、レディ・ガガ。

・年越し後、BS朝日の「ベストヒットUSA マイケル・ジャクソン特集」を長々と見る。

 

[12.01.01]

・実家。初詣は都万神社。家人の実家へ移動。ズワイガニ旨し。

 

[12.01.02]

・家人の実家。みんなが公園に行き、一人留守番しながら読書。夕方帰宅。

・「シブミ/トレヴェニアン」★★★★。年末からダラダラ読んでいたが、下巻になり夜中から朝方4時までかけて一気読み。10年以上ぶりに読んでやっぱり感動。主人公の造形が素晴らしいのな。それにしても、あの印象的な登場人物の名前がハナだったとは。

 

[12.01.03]

・初詣に宮崎神宮。今年も?小吉。

・西都「名主」。親戚の集まり。子どもが多すぎてどうにも。上の子供らは今日から実家へ2泊。

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2011年

2011-12-30 (金)

主夫生活 仕事 家族家事家

2011年。振り返ってみると、残尿感のある1年だった(そんな総括?)。やる気はあっても、なかなか実績が残せないことが多かった。仕事も家庭も極私的なことも積み残しまくり。空回りまくり。ぬーん。(そういえば、久々に全面リニューアルしたこのブログも、ちっとも更新しない状態に…。その理由は後日また…。)

 

通常は1年という単位でなんとか帳尻合わせたりするところを、後半の4ヶ月間、育休で自宅に篭っていたということもあってか、「助走」をしているうちに年末が来てしまっただよ。ホップ、ステップ、スリープ(育休)、みたいな…。←あんまりウマイこと言えてない(泣)

 

 

なにしろ、知事も東国原さんから河野さんへとかわり、また「口蹄疫その後」を担った大切な1年だった。それなのに、年明け早々から、鶏フル・新燃岳ときて、3・11があって、自分自身が拠るべきスタンスを見失ってしまった。「自分たちのPRしてる場合じゃない」という気持ちと「まだまだ復興途上でうちもツライ」という気持ちがせめぎ合って宙ぶらりんなママだった。それはそれ、これはこれと割り切れず、このタイミングで何を伝えるべきかがわからなくなった。

 

そんな中、なんとかチーム力で「みやざきweeeek3」「オールみやざき営業チーム」「みやざき犬」等のカタチは残せたものの、ぼく個人としてのヒット企画はなかったかなあ。反省。他の部局や企業の為の「裏方仕事」を率先して受けて、いくつかのプロジェクトがいくばくかの前進を見たことが、例年とは違う成果といえば成果か。

 

家事の方もなあ。料理は「創作できるレベル」には到達できなかったし、家の片付け(断舎離?)は想定の半分もいかなかった。あちらこちらに迷惑をかけつつ獲得した「4ヶ月間の専業主夫生活」だけれども、微妙に中途半端だったな。

 

まあ、比較的ちゃんとやったと思えるのは子育てぐらいか。娘2号とはベッタリと濃厚な時間を過ごせたし、上の2人ともいろんな話をしてきた。こんなにじっくり子供らと向き合えたことは、これからにも繋がる財産になる(ハズ)し、そもそもが育児休暇なんだから、それ以上を望む方が図々しのかもしれない。

 
そんなこんなで、希望的観測を言えば、将来、2011年を振り返ったとき、「次のステージに向かうための踊り場だった」という位置づけになるといいなあ。大いに迷ったり悩んだりしつつ、試行錯誤したことでジワジワと基礎体力を鍛えられていたのだ、と。そのためにも、2012年は超・飛躍の年にしたい。ぜひとも。

 

それはそれとしつつ、関係各位、年賀状は年明けになります。カメラのキタムラの年内受付が終了していて、来年4日からなんだもの。それも含めての超・飛躍を。

 

[11.12.28]

・家人と上の子らがジョギング・ウォーキングに出ている間、娘2号と自宅待機。洗濯、掃除。softbank。

・午後から「ホエルカム」へ。息子は真面目に息継ぎの練習(とりあえず15mは泳げた)。娘1号は浮き輪をつけてのんびり背泳ぎ。ぼくは合間合間に500mほど泳ぐ。

・「パイレーツオブカリビアン/生命の泉」★★:もうあんまりシリーズ化する意味なくなってる。「いい意味でのマンネリ」なのかもしれないけれど、ぼくはもういいかなあ。

・「さや侍」★★:期待してたんだが。野見さんはいい意味での存在感はある。うどんをすするシーンでは笑えたさ。ただ、ひとつひとつの「芸」とも言えないような、笑わせるつもりとも思えないようなものを延々と見せられて、面白いのか? 設定による若干の高揚感以外は関心しない。変に物語をまとめようとしたラストもぼくにはピンと来なかった。残念。

 

[11.12.29]

・大掃除。主にクローゼットと図書室の整理、断舎離。

 

[11.12.30]

・大掃除2。窓拭き、洗車、車庫掃除。

・久々に「なべしま」。なんか高くなってる…。

 

 

 

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