目的と手段

2016-01-07 (木)

仕事 地方公務員 未分類

目的と手段はまったくの別物である。そんなのは誰でもわかるようなことのようでいて、実際の仕事上でそのことを明確に意識することは案外難しい。

 

たとえば。

法で定められた統計の集計作業は目的だろうか、手段だろうか。必ずやらなければいけない集計なのだから、その作業そのものが目的…なのだろうか。

 

たとえば。

あるモノやコトのプロモーションとして、大きなイベントを仕掛けることは目的だろうか、手段だろうか。イベントには多大な労力がかかるからそれが目的…なんだろうか。

 

人は得てして目の前の膨大な事務作業、処理作業に忙殺され、「何のためにやっているのか」を見失っているように思う。作業を終えることが一つのゴールになってしまいがちだ。しかし、大抵の作業はもちろん手段である。何かの目的を達成するための作業であることがほとんどのハズだ。

 

先の事例であれば、統計は「何かを読み解く」ことが目的であるハズだ。そのための手段として、調査を行い、集計を行い、分析をしているのだ。

 

イベントも然り。

 

モノやコトを知ってもらう、あるいは買ってもらうことが目的のハズだ。いや、もっと大きな「会社を成長させる」「社会を動かす」といったことが目的かもしれない。そのための手段として、プロモーションがあり、イベントがあるのだ。

 

得てして目的と手段は混同しがちだ。目的と手段を混同することの何が問題かというと、「どこで満足するか」のポイントがまったく変わってしまうということだ。統計の例で言えば、下手をすると調査票を集めて、データを整理することを目的にしてしまい、集計作業が終わっただけで満足してしまうことになる。膨大な手間をかけ、大勢の人を巻き込んで、何一つ「読み解く」ことができないのだとしたら、こんなに無駄なことはない。

 

もう一度自分の目の前にある仕事について考えてみよう。今目の前にある集計作業の、イベントの、会議の、予算の、目的は何だろう。

 

自分のこの1日の事務作業、処理作業で、世の中の何が動いていくのだろう。

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この「敗戦処理」的な人口減少時代でどう働くか

2016-01-05 (火)

仕事 地方公務員

2016年の日本において、ぼくらが置かれている状況は極めて厳しいものがある。経済状態がいくら改善しようが、東京オリンピックの「特需」が待っていようが、そんなのは目先の話だ。なにせ人口が減っていくのだから。

 

日本の歴史のなかで、これだけ大幅な人口減少が予測されたことはない。100年もしないうちに「半減」するというのである。

・そもそも日本には明治維新(1868年)の頃には3380万人しかいなかった。

・77年経った第二次世界大戦後(1945年)には7199万人へと倍増した。

・65年後の2010年には1億2806万人で日本の人口はピークを越える。

・そして90年後の2100年の未来予想は4959万人である。

 

ピークから90年(2016年から84年後)で6割減!である。

 

周りから6割の人がいなくなった街を想像してみよう。山間部からは人が消え、都市部に人が集まっているのだろうか。それとも、 いくつかの山間部はしぶとく生き永らえ、「選択された」都市と共存しているのだろうか。どっちにしても「選択されなかった」都市は、まるで「未来少年コナン」のように朽ち果てているのだろうか。

 

そんな未来が予想されていているのに(しかも人口予想はかなり精度が高いのだという)、なんだかまだまだ日本は成長していくんじゃないかという「ぬるい空気感」「希望的予測」に満ちている。自分の「孫」たちは、ひょっとしたら廃墟となった街に佇んでいるのかもしれない…と想像している人はかなり少数派なんだろう。

 

これからの100年間は相当な苦しみが伴うことは想像に難くない。少なくとも国内マーケットが4割まで減るのだから、あらゆる業種で構造的な転換が必要なハズだ。

そもそも日本は生産性が低い国だと言われいる。2014年はOECD加盟34カ国中第21位。2005年から21位の状況が続いており、主要先進7カ国でも最も低い水準となっている。これから世界をマーケットにして高い生産性の国に変わっていかなくては、どうやったって生き残れない。

 

言い方を変えれば、勝者のない「敗戦処理」をするようなものかもしれない。いかに上手に負けて、痛みを小さくしていくか。そのために、ぼくたち公務員はどうしていくべきか。
2016年はそんなことを考えていきたいと思っている。

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事務分掌は一行

2013-01-07 (月)

仕事 地方公務員

10年ほど前、ぼくは非常に珍しい「事務分掌」(県庁用語:いわゆる業務分担のこと)を与えられた。通常は5つ前後の業務がずらっと並ぶべきところに、一言だけ「防災ヘリに関すること」とあったのだ。

 

詳細は省くが、当時、宮崎県には防災ヘリが配備されていなかった。阪神淡路大震災で防災ヘリが大活躍をしたことを受け、全国の都道府県で配備が進む中、事実上、最後の「未配備県」という状況であった。当然、防災担当部局は何としても導入したかったのだが、ヘリの運航・維持には莫大な経費がかかるため、財政当局は断固反対の立場であった。そんな中で、「では導入の可否について検討だけはしよう」ということになり、職員1名が配置された。ーそれがぼくだった、というわけだ。

 

ほぼ何も決まっていない状況だった。前任者ももちろんいない。消防防災課防災担当というところに机と椅子を貰い、「まあ、宮崎県に防災ヘリを導入できるかどうかは、あなた次第だ。よろしく!」というのがほぼ唯一の業務説明。異動した初日は「防災ヘリの歴史はこう」だとか「消防庁からは宮崎だけ防災力が低いので何とかして欲しいと言われている」だとか、周辺情報を教えて貰っただけで終了した。

 

2日目。すでに誰からも何の指示もなかった。その事実に「防災ヘリに関すること」をまるごと任されたのだ、ということを自覚せざるを得なかった。昨日の話から言えば、スタート地点にたったところで、すでに「手段から開放」されていた。それどころか、まだ防災ヘリの導入をするべきかどうかすら決まっていないのだから、目的すらないわけだ。

 

だから、まずは「宮崎県にとって防災ヘリが必要かどうかを考える」という、「目的探し」から、本当のゼロポイントから取り掛かったのだった。その後の敬意をざっくりとまとめると…

 

(1年目)

・防災ヘリにかかる有識者会議を開催。何度も会議を重ねた結果、「防災ヘリは本県にとって極めて有益。大きな経費負担については汎用性のある活動にすることで費用対効果を高めるべき。導入すべし」という結論を得る。

・導入に向けた交渉開始。用地の確保、予算の確保、各種許認可など。

・特に予算確保は財政との全面戦争化となる。膨大な経費をこまかく積み上げて説明。なんとか予算計上(導入決定)にこぎ着ける。

 

(2年目)

・ヘリの機種選定。米国製、仏製、日本製の3機種から専門部会で検討。米国製に決定。装備内容も決め、発注。

・県民に親しんでもらう為、機体デザインを募集し、決定する。

・宮崎空港内に用地を確保。防災ヘリ基地の設計作業。

・ヘリに搭乗する隊員の選考。救命救急士の採用は全国初の試み。

・隊員の人件費について、市町村からの経費負担ルールの策定。

 

(3年目)

・機体の愛称を募集。名称は「防災救急ヘリコプターあおぞら」に決定。

・ヘリが米国から輸入され、埼玉の組立工場にて完成検査。その後、自ら飛行して宮崎空港に納品。

・防災ヘリ基地の工事開始。冬に完成。

・隊員らの訓練開始。同一機種を抱える他県航空隊(福島・長野・和歌山・鹿児島)に依頼して長期派遣訓練。

・帰還後、消防学校内に仮事務所を構え、自隊訓練開始。

・訓練場所も含め、県内の臨時離着陸場の調査を実施。

・2月 運航開始。

 

改めてこうやって書くと、なんだかスムーズに進んだようにも見えるかもしれない。しかし、実際にはいくつもの壁にぶち当たり、交渉が決裂し、頓挫し、進行が完全にストップし、あるいは逆行すらした。進んでは戻りを繰り返しながら、目の前に生い茂る草木を払い、行く手を阻む岩をどけ、悠然と流れる川に橋を渡し、時には迂回し、トンネルを掘り、なんとか「道」をつくりながら、前に進めていった。その間、どれだけの冷汗をかき、どれだけの眠れない夜を過ごしたかわからない。

 

でも、結局は「自分の頭」で「どうすることが宮崎によって有益か」を考え、何らかの方向性を探り出すしかなかった。そうやって、ひたすら「防災ヘリに関すること」を考え続けた。無論、上司に相談することはある。でも、結局のところは、「ぼく以上に防災ヘリのことを考えている人は誰もいない」のだ。何らかの方向性を示すのは、ぼくにしかできないことなのだ。なにせ事務分掌は一行「防災ヘリに関すること」なのだから。

 

ちなみに、どのレベルまで考えたかという例をあげると、防災ヘリを格納し、隊員たちの待機・訓練施設となる「基地(正式名称:宮崎県防災救急航空センター)」。詳細な設計図面は、もちろんプロに依頼したのだが、どういう部屋の配置にしたら、隊員が活用しやすいかを考えて、ああでもないこうでもないと考え、最終的には、エクセルを使って仮図面まで描いた(笑)。設計事務所の人に呆れられたり感心されたりしつつ、結局、ほぼぼくの案通りの配置で設計されることになった。

 

よく言えば「全権委任」されているし、悪く言えば「逃げ道がない」ということだ。非常なプレッシャーであり、快感であった。たかだか30代半ばのぼくの判断で、あらゆるモノゴトが決まっていくのだ。どんなトラブルが現れても、ぼくがギブアップしない限り、何らかの解決策はあった。ひねり出した。そうやって無我夢中の3年間を過ごし、最終的に「防災ヘリが活動を開始し、人命の救助を行った」というところを見届けることができたのだった。

 

まあさすがに、「目的探し」から始めるのは非常にレアケースではあろう。でも、明確な「目的」があれば、業務は自分で作り出せばよいのだ。「防災ヘリに関すること」。そのたった一行の言葉から、どれほどの仕事が溢れでたことか。これを自由を言わずして何と言おう。つまりはこれが目的の明確化=プロジェクト化であり、「手段からの開放」なのである。

 

[13.01.07]

・最終四半期のチーム業務確認。雇用施策方針案作成。予算内示(ほぼ満額)。

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キャラクター考

2012-12-04 (火)

デザイン 仕事 地方公務員 宮崎県

みやざき犬」の産みの父(産みの母はHくん。ベビーシッターはNくん)として、思うところを整理してみる。

 

キャラクターというのは、タレントと一緒で「露出度」が最も重要だと思っている。かわいい・かわいくないは、二の次で「露出度」こそが重要なのである。わかりやすい例は、「せんとくん」だろう。最初にあの造形をみた瞬間は、誰もが「げ!」「ないわ!」と思ったハズ。それが奈良県内で「そんなキャラは認めない論争」が巻き起こって何度もニュースで取り上げられ、結果、すごい量の露出となって、「そこまでひどくないんじゃね?」「ちょっとはかわいいかも?」「かわいい!」になっていったのはご承知の通りである。

 

せんとくん以降、話題性を狙って意図的に「かわいくなさ」をウリにしたようなキャラが増えたけれども、狙って打った玉はすっかり見透かされるのが現代だ。結局はただの「出オチ」になってしまい、一瞬話題になっただけで萎んでいくことがほとんど。だからと言って、単に「かわいい」だけでも取材はしてくれないし話題にもならない。よほどうまく仕掛けていかないと露出を継続していくのは簡単じゃない。

 

 

今では全国区となった「くまモン」だって、デビュー当時の評判は散々だった。目が怖いだの、熊本にクマはいない(笑)だの。だけども彼には新幹線対策という大きな予算があったから、次々にいろんな仕掛け(しかも当時のプロデューサーは小山薫堂さん)を繰り出すことで、スタート時から相当なボリュームの露出を続けることができた。

 

さらには、とてもキュートなキグルミが登場したことも大きかった。リアルにちょこまかと動く「くまモン」は、ぐっと人の心を捉えた。さらにさらに。著作権フリーということが「商品化」を促し、「モノ」による露出も加速度的に進んだ。戦略もありつつ、ラッキーもありつつ、他に例をみない独自なキャラクターへと成長していったのだ。まあしかし、これは「くまモン」の売り方であって、マネできるものじゃない。

 


さて。振り返って、我が「みやざき犬」である。彼ら(とあえて書く)はこれからどう売っていけばよいのだろう。

 

それは、他のキャラクターにはない「彼ららしさ」を活かしていくしかないのだと思う。3匹いる。カブリモノを被っている。ダンスを踊る。この「らしさ」を活かすとすれば、「物語性」に行き着く。3匹のキャラ立ち。時期にあったカブリモノ。ステージでのダンス。そこをうまくディレクションすれば、立派な物語性が浮かびあがってくる(はず)。

 

そういう意味において、「みやざき犬」にあえて目標を掲げるとすれば、「くまモン」ではなく「くまのがっこう」ではないか。

 

「くまのがっこう」は「絵本」である。しっかりとした物語があって、主役のジャッキーというキャラクターも立っている。その上で、物語の世界観をキープしながらグッズ展開へと進めている。そう。実はこのキャラクター、玩具メーカー・BANDAIの企画なのである。物語を先行させてからのグッズ展開というビジネスモデルなのだ。

 

キャラクタービジネスとしてスタートした企画でありながら、しかし、この「くまのがっこう」には嫌らしさがない。時間をかけて(なにせ媒体が絵本である)じっくりと母と子どもたちの支持を広げてきた。絵本の世界観をとても大切にしてキャラクターを「育てて」いるのだ。なにせ専用サイトでは、BANDAIのロゴすら表示してないほどだ。

 

このルートを狙っている自治体キャラは、未だ見かけたことがない。考えれば考えるほど、このルートにしか、成功はないのではないか、という気すらしている。一定の流れができつつあるfacebookに続けて、絵本、漫画、フラッシュアニメ…といったパッケージも提供する。「みやざき犬」の世界観をつくっていく。そこに新たな共感と需要が生まれるんじゃないかなあ。

 

 

…なんてなことを考えていたら、今日たまたま本屋で見かけた「くまモンの写真集」は、浅田政志さんの撮影ということに気がついた。なるほど! だからこんなにイキイキとした写真になっているのかあ。くそ。この写真集、悔しいけれど、見事に物語性を作り出していて、さらに1枚1枚の完成度もかなり高い。プロの仕事だ。ぬぅ。人気者はこんなことまでできちゃうのか。くー。負けるなみやざき犬。

 

あんまり悔しいので、初代「くまモン」のキグルミ写真(汚点)を添付しておく。キグルミビズがあんなにかわいい2代目キグルミを作っていなければ、こんな人気者にならなかったものを…。ちっ。

 

 

[12.12.03]

・T議員答弁。基金積み増しの件で部長協議。同じく財政協議。K女史とランチ・ミーティングいろいろ。「レガーメ」。

・地区の役員決め。地区長は免れたらしい。ほっ。

・「私は、フジコ/真梨幸子」。早く次のが読みたい。

[12.12.04]

・J委員会。意識の高い人とそうでない人の差が歴然。いつまで続くか。基金の資料など。

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ひとり勝手に県庁総合窓口

2012-12-03 (月)

仕事 宮崎県

ここのところ、ひとりで勝手に「県庁総合窓口」をやっている。ただし、「なんかワクワクしそうな話」専用の。たとえば昨日終わったプロジェクトはこんなんだった。

 

数ヶ月前、人気イタリアン「銀座シルベラード」のグランシェフをやっている中原さんから「前から思ってたんだけど、出身校の給食をつくったりってできないですかね…」という相談があった。東京でバリバリ頑張っているシェフが、故郷のために何かしたい。しかも子どもたちのために。…ええ話やん!ワクワクするやん!

 

ということで、早速、農政(食材の提供)と教育委員会(学校の協力)に話をしに行った。「そんなのすぐにできそう」と思っていたものの、詳しく話を聞くと、そうそう簡単な話ではなさそうだった。問題は大きく2点。予算の問題。そして衛生基準の問題。特に衛生面は、かつて給食による死亡事故があった経緯もあり、法が厳しく、外部者による調理はハードルが高かった。

 

それでも、シェフの「熱い思い」に感激した農政・教育委員会の担当者が、いろいろな代替案を考えてくれた。最終的にはシェフとも相談した上で、「学校栄養士に向けた本格イタリアンの調理実習」というスキームが出来上がった。直接、子どもたちに食べさせることはできないけれど、栄養士さんにシェフの技術を学んでもらい、給食に活かそうというわけだ。なるほど。予算も、地産地消の予算等を組み合わせてなんとか捻出できることに(といってもシェフの旅費や食材費ぐらいなんだけど w)。

 

 

せっかくなので、ぼくも図々しく実習の様子を見学に行かせて貰った。休日にも関わらず、県内の学校や給食センターから30人ほどの栄養士さんが集合し、シェフのデモンストレーション(写真)を食い入るように、時にため息すらつきながら眺めていた。その後の実習でも、直接シェフからひとつひとつ個別に指導を受けて、特に若い栄養士さんたちが、活き活きとして学んでくれたのが印象的だった。

 

シェフが用意してくれたメニューも良かったな。もうそのまま給食に使えそうな、それでいて、ちゃんと「イタリアン」なテイストが感じられる素晴らしい内容。栄養士会の幹部も「詳しい打合せもできなかったけれど、こちらの意図を全部汲んで貰った!」と感激されていた。試食してみてさらにビックリ。宮崎の普通の人参が、ほんの一手間でこんなにも旨くなるなんて! 宮崎の素材の良さも再確認。

 

…という感じで、行政の枠組みをうまく回していくと、関係者(今回で言えばシェフ・農政・教育委員会)みんながハッピーな仕掛けができるかもしれない。そしてうまく結果が出せれば次に繋がって、継続性も生まれる(ちなみにこの栄養士会プロジェクトは今後も何かやるです)。

 

ぼくがこれから勝手にやっていこうと思っているのは、こういう意味での総合窓口なのだ。比較的どんな球でも拾うつもり。そしてゼロ回答はしないつもり。なにか建設的な話があればいつでもお電話ください。報酬は「みんなが嬉しくなること」のみ。

 

…というわけで、その場でシェフからは次なる依頼が。これもワクワクする内容。がんばるです。

 

[12.11.30]

・朝イチで完全失業率のデータをUP。委員会資料へ。

・「ROBOT」★。期待し過ぎた。予告編でよく出ていたアクションシーン以外はかなり残念な感じ。もっとボリウッドらしく弾けて欲しかった。

[12.12.01]

・息子を耳鼻科へ。ドクターと話して鼻腔内の切除手術をすることに。CT撮ったり、聴力検査したり、血を採ったり。午前中いっぱい。

・学校給食会で中原シェフ実習。打ち上げまで参加。「たなこころ」。みんなが喜んでくれて嬉しい。一人2次会「hana」。

[12.12.02]

・上2人は地区のレクレーション(宮小で綱引きとか)。送り届けてそのままRun 21km。2’10。

・昼食後、「ブラザー理容清武店」。帰り道、夕食の買い出しなど。

・「殺人鬼フジコの衝動/真梨幸子(徳間文庫)」★★★★。不快過ぎる小説。そして読むことを止められない小説。最後のどんでん返しは、よく考えないとわからない。読みながら微妙に引っかかった部分が最後にだーっと裏返されていく。すごいな。

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地方公務員の逆襲

2012-12-01 (土)

仕事 地方公務員 宮崎県

地方の時代。―ここ数年、そういった言葉を聞く機会が増えてきた。

 

橋本大阪市長のように「情報発信力」のある首長たちが「地方分権」を訴え、次の選挙では元知事・市長らが国政を賑わす状況であるし、また樋渡武雄市長のように、市立病院の民営化やSNSの活用、図書館とTSUTAYAの連携など全国をリードする取り組みで注目を浴びていたりする。世襲でない若い首長(熊谷千葉市長、吉田横須賀市長ら)も増えてきて、なんだか地方は元気が出てきている気がする。

 

でも、ふと気が付けば、元気があるのは首長ばかりではないか。その首長を支える地方公務員たちは元気なんだろうか。

 

個人的体感値から言えば、約9割の地方公務員は、首長の命に従い、法に則り、キチッ、カチッとした日々の業務を淡々とこなしている。たとえ元気過ぎる首長から非現実的な指示があったとしても、真摯に向き合い、黙々と法と現実とのすり合わせをし、何らかの前進を試みる。大きな飛躍は難しくても、失敗がないように、着実な一歩を刻むような努力をしている。

 

さて。ぼくの大好きな歌に「365歩のマーチ@水前寺清子」がある。

♪幸せは歩いてこない だから歩いていくんだよ

一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる

 

これは、右肩あがりの成長が前提だった時代の歌だ。少子・高齢化の今の時代は、現状維持さえままならず、じっとしているだけで毎日二歩ほど下がる時代である。一日一歩歩んでいては、どんどん後ろへ後退してしまう。

 

そんな時代だからか、地方公務員の世界にも、ちょっと変な人(いい意味で)が生まれてあっと驚くようなイノベーションを起こし始めている。たとえば、ローマ法王に米を食わせた高野誠鮮さん。ツテがあるとはいえ、NASAとか木村秋則とかアラン・デュカスとか、まあ実に景気がいいプロジェクトを次々に展開している。そして、うちの県にもかなり変な人(いい意味で)がいて、なぜか「東京ガールズコレクション」をこの超地方都市宮崎で、2年間で2回も開催することになっていたりする(詳細はそのうち)。

 

まだまだ小さなうねりではあるけれど、時代の必要に迫られた末、1割の「変な職員」のうちの更に1割(つまり全体の1%)から、とんでもない職員が生まれ、突発的に「一日10歩」の歩みを生むことが出てくるんじゃなかろうか。まあ、そんな職員があんまり多すぎるとリスキーだけども。そういう時代に仕事ができることに、ちょっとワクワクしたりもする。

 

 

[12.11.28]

・紹介資料の整理。T議員答弁関係。夕方趣旨確認。そのまま答弁書等作成。まさかの基金積み増し。

・「7年目の浮気」★★。ビリー・ワイルダー。あれ、これそんなに面白くない。マリリンのキュートさは確かに素晴らしいけども。セリフオチな基本構造が好きではない。

[12.11.29]

・T議員答弁。午後すり合わせ。

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プロジェクト

2012-11-22 (木)

仕事

プロジェクトと名のつく事業を進めることは、実に難しい。

 

プロジェクトには、ざっくり言って、全体をコーディネイトする(決定権のある)プロデューサー、そのなかの一現場を取り仕切るディレクター、そしてディレクターを補佐するスタッフでチームを組んで進めることが多い。

 

ぼくがこれまでやってきたプロジェクト業務のほとんどは、スタッフとしての関わりだった。素案の企画に始まり、予算の積算・獲得・精算・支払・実績整理、その他付随する資料の作成、進行管理から最後のクレーム処理に至るまで、まさにこと細かい事務処理を行うスタッフだった。

 

ただ、たまたま任されるのが特殊なプロジェクトが多かったこともあって、実際には、一スタッフでありつつも、ディレクター業務もこなし、時にプロデュース業務も仕切っていた。一人でマクロとミクロの視点を持ちつつ、なんとかプロジェクトを回してきた。だから、ほんの数件のプロジェクトを動かすだけでもアップアップしていた。

 

ところが、ここ数年は、わずかに職責が上位になったということもあって、最初からディレクター業務、時にはプロデューサー業務を任される場面も増えてきた。これはぼくにとって大きな進歩となった。最初からプロデューサーとしてその任に付く場合は、全体の方向性や進行管理をしっかりグリップしておけば、あとはディレクターなりスタッフがプロジェクトを回していく。責任は重いが、いわゆる「事務量」は大きく減じられる。

 

おかげ様で、今はいくつものプロジェクトを同時に走らせることができるようになった。更には、担当業務以外の部分についても、請われたら応えることもできちゃったりする。おお。進歩。

 

が。ここに落とし穴があったね。

 

今、他部局から請われて、あるイベント案件(笑)にディレクター的立場で関わることになった。しかし、企画の途中から参加したこともあって、全体の作業状況が十分見えず、またスタッフとの連携も良くなかったりして、何かとトラブルが起きがちなのだ。毎日のように「一歩進んで二歩下がる」的なことを繰り返している。前日の夜に解決したハズの案件が、翌日は更に大きく膨らんだ課題として目の前に立ち上がってくる。うーん。全然、これじゃ前に進まんがな。

 

なので、直前ではあるけど、結局は一スタッフに戻ることにした。一スタッフとしてこまごまとした事務もやり、資料もつくり、トラブル処理もし、調整を進める。そして他のディレクターと十分に情報を共有し、仮に「二歩下がっても三歩進む」。そうやって前に転がしていかないと間に合わない。

 

ああ。今日はほとんど本業ができないかもしれないな。だって、本番はもう明日↓なんだもの。

 

 

[12.11.21]

・朝からパレード案件。取材をどう受けるかで揉める。ううむ。現場混乱につき、正式に現場担当へ(苦笑)。合間に議会資料修正。FB関係で副知事と3部長との意見交換に同席、そのあと知事とも。

・思いがけない残業で遅れつつ、娘1号の誕生日。リクエストで「すし虎」。

 

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県民栄誉賞、知事の英断

2012-11-21 (水)

仕事 宮崎県

今週金曜日(11/23)、宮崎牛が日本一になったことを祝う「県民感謝祭」が開催される。本日その詳細がリリースされた。

 

実は、事務局から請われて、ぼくも部分的にお手伝いをしている。限られた時間の中でやれることには限界もあったが、なんとかいくつかの企画を捻り出し、関係機関の協力を得て、「東京ガールズコレクション」の招聘と、「みやざき犬」の新バージョン開発が実現できることになった。みなさん、パレードお楽しみに。

 

というわけで、なかなか賑やかなイベントになりそうで、「よかったよかった」と思っていたところ、今日の記者会見でもうひとつ重大な発表があった。それは、今回の「和牛のオリンピック(第10回全国和牛能力共進会)」に出場した「チーム宮崎牛」に対して、「県民栄誉賞」が贈呈されるというのだ。

 

県民栄誉賞とは、「広く県民に敬愛され、県民に希望と活力を与えることにおいて顕著な功績があった者」に対して贈呈されるもので、これまでたった6人にしか与えられていない。

 

スポーツ分野での、井上康生の金メダル、青木宣親のWBC2連覇への貢献、松田丈志の銀・銅メダル、あるいは文化分野のアイザック・スターンなど、県民にとって、まさに「偉業」と呼べるものばかりだ。

 

それと並び賞せられるべきとして、「チーム宮崎牛」の栄誉を称えるというのだ。口蹄疫からの再生・復興を目指す宮崎にとって、大きな希望と感動をもたらしたことは間違いなく、確かに「県民栄誉賞」に相応しい功績だと思う。

 

ちなみに「チーム宮崎牛」の受賞は、「団体として初」であり「産業分野として初」である。これは知事の英断だなあ。なんだか自分の組織のトップを褒めそやすのは、気持ち悪いものだが、今回ばかりは心から「いいね!」と思ったです。素晴らしい。

 

 

[12.11.20]

・なかなか安田案件が決まらず。ギリギリ11:30に決着。13:45記者発表。照会案件いろいろ処理。

・「お熱いのがお好き」★★★。ビリー・ワイルダー。今改めて見ると、マリリン・モンロー、セクシーというより、モッチリー。

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本を書くということ

2012-11-18 (日)

仕事 読書

ぼくの師匠(と勝手に呼んでいる)さとなおさんとは、もうかれこれ10年近い付き合いになる。師匠は、出会った時にすでに「食」に関する著書が2冊あったが、そこからコンスタントに出版を続け、ついに本業に関する著書「明日の広告」を本名名義で出版するに至った(2008年)。そこからはあれよあれよという間にソーシャルメディアの大御所になり、国の政策にも関わる人になり、震災直後に「助けあいジャパン」も立ち上げて、災害対策の人にもなった。人生の「濃い度」が右肩急カーブあがりで上昇し続けている。

 

そんな師匠を眺めつつのぼくの日常も、まあそれなりに右肩あがりではあると思っている。防災ヘリ、医師確保、県の魅力アピールという10年間は「結果出してなんぼ」の日々であり、一地方公務員にしては、なかなか得がたい経験が多かった。でも、師匠の右肩急カーブと比べたら、それはもう全然比較にならないのであって、もっとしっかりやるべきこともあったのかもしれない。特に思うのが「本を書いてない」ということである。

 

最近、今村直樹さんが「幸福な広告」という本を出版されたのを見ていて、「ああやっぱり本は書くべきだなあ」と改めて思った。ひとつのテーマについて、自分なりに論考を深め、掘り下げ、新たな視点を見つけてくる。そして、第三者にひとつの意見として提示する。出版するかどうかは別として、「本にすることを前提として書く」ということはそういうことなんだろう。

 

そんなことを思っていた矢先の昨日、師匠にも同じことを言われた。「君もそろそろ本を書け」。

 

はい。…とは言ったものの。今のぼくにいったい何が書けるのだろう。

 

「地方自治体広告論」「プロジェクト系公務員」「自治体キャラクターのつくり方」「地域+企業コラボ術」「宮崎の美味いもの大全」「自治体医師確保心得」「防災ヘリ導入マニュアル」「ドクターヘリ導入マニュアル」「難聴児保護者ガイド」「なんちゃってランナーのメソッド」「エロトーク概論〜セクハラの一歩手前で〜」「40代男子・精力減退を乗り切る方法(気持ち的に)」

 

…えーっと。出版できますかね?これ。

 

[12.11.16]

・昨日の解決済案件がまさかのトラブルに。時間がない中でバタバタと進めるとこういう行き違いトラブルが起きてしまうものだな。どちらが悪いということでもない。反省。とはいえ、代案を探さねばならず、畜産課と観光協会との間であれやこれや。最後は両者痛みを折半する方向で。まあ、究極のところ、パレードが盛り上がればそれでよし。合間に本業の委員会資料。

・夕方、さとなお師匠来庁。危機管理との打合せ。何気ない会話から打開策が見えた(ような気がした)。あとはよしなに頼む>横山。

・某チームの会合「もも鐵えん」経由で、師匠、横山くんと「ことぶき屋」。うーん、なぜこの店なのだ横山。そのまま「hana」へ。尾崎さんや理恵ちゃんらと。

[12.11.17]

・お袋がギックリ腰とな。急に子守役がいなくなり、スケジュール修正。師匠の相手ができず(要らんかったかもだけど)。PTA行事で出かける家人。親父に娘1号の音楽教室だけはお願いし、娘2号の皮膚科、娘1号のピアノ教室へ。イオンで実施中の技能祭を見学(同僚が主催)。家で子どもの宿題など。

・「一心鮨光洋」。師匠、理恵ちゃんと。丁寧な仕事ぶり。いくつか印象的な一品があった。マリアージュコースで美味しそうなワインと日本酒を呑むふたりに指を加えつつ、我慢のお茶。楽しい夜だった。

[12.11.18]

・つわぶきハーフマラソン。1’51’31。自分的にはかなり上出来。スタート時、「ゴール目標1時間20分」のゾーンにいたせいで、ペースがあがり過ぎて焦る。4km時点でかなり息があがっていた。でもペースを落とす感じが掴めず、そのきつい状態のままキープ。10kmを過ぎた時点で、「きついのに慣れたかも」と気付き、さらに30km走やったから足は持つはず、という自信もあって、むしろ前向きにキープ。ずーっと呼吸は苦しかったけど、そのままゴール。いやいけるもんだね。こんなレース展開は初めて。でもこの走り方ではあと5kmぐらいが限界だったかも。

・息子の音楽祭に行ってみるも、息子の出番は終わっており、そのまま帰宅してシャワーとか洗濯物たたみとか。

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幸福な広告/今村直樹

2012-11-15 (木)

仕事 読書

CMディレクター・今村直樹さんの著書「幸福な広告」にぼくの仕事が掲載されたとです(照)。

 

今村さんは、バリバリのCMディレクター。その多忙な本業の傍ら、2010年から1年間、早稲田大学大学院に通われた。院での研究テーマは「人と社会が幸福になる広告の在り方」。そして、研究をまとめた論文のテーマが「地域活性化と広告」。つまり、今村さんは、これからの広告は地域とともにあるのではないか、と考えたのだ。

 

ちょうど今村さんが大学院生として研究を始めた頃、宮崎では口蹄疫が発生していた。その甚大な被害が落ち着いたあと、ぼくはグラフィックデザイナーの日高英輝さんと一緒に「広告のようなもの」を作っていた。全国からの支援に対するお礼と、これからも頑張る宮崎を知ってもらうための「広告のようなもの」だった。それが今村さんの興味を引き、取材を受けることになったのだった。

 

もともと豊富な「現場経験」がある今村さんが、さらに地域の現場を歩いて重ねた論考は実に深い。そして、広告のあるべき未来を見据えている。地域と企業の有り様を考える上でも、これから繰り返し読むことになるのだろうな(自分のページはさておき)。今村さんに感謝。

 

それにしても。すごい人たちへの取材が行われた本でもある。ぼくが広告学校でドリルを添削して貰った白土謙二さん、佐々木宏さん、憧れの葛西薫さんや梅原真さん、セーラ・マリ・カミングスさんまで。ああ、取材されるより今村さんと一緒に取材したかったぐらいだ w

 

もひとつ余談。本の巻末に、取材された人が紹介してある。同じページには日高英輝さん、村岡浩司さん、宮田理恵さんがいる。嬉しく、また誇らしい。あ。和田さんも。

 

 

[12.11.15]

・委員会資料バタバタと。ビズにてビジネスランチ。加納さん、高峰さん。牛バージョンの中間検査(かわゆす)。

・夕方になって、F1から一旦ゼロ回答。このタイミングでゼロは厳しい。再考を依頼。一方でジャニーズ路線等の複数案を検討するもアテがなさ過ぎる。自宅に戻ってからもやり取り多々。ギリギリのやり取りで最終的に美沙子、蘭子で決着(ほっ)。

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