さて最終回。今日はまたいちだんと長い。すまん。
「NPO法人ファイブブリッジ」理事長の畠山さんとお会いしたのは、2012年9月末だった。NPOへの支援活動を通じて畠山さんと繋がっていた友人がランチに誘ってくれたのだった。
畠山さんは、本業は地元紙である河北新報社員でありつつ、NPOでの活動として、震災前から産学官連携のコミュニティー活動をされている方だ。ところが、大震災が起きたことで、必然的に人と人を繋いで復興につなげる役割も担ってこられたようだ。*メンバーのひとり・山田さんの活動は、ほぼ日などでも取り上げられている。
そのような活動のひとつとして宮ギ県内での軽トラ市を企画していた畠山さんは、「宮城こせがれネットワーク」の志村さんと一緒に、口蹄疫の被災中心地・川南町の軽トラ市(たぶん日本最大級)を視察に来ていたのだった。
県庁近くの郷土料理屋で冷や汁定食を食べながら、「宮宮コンビ」だとか、人と人の繋がりといった話をした。平日の昼休みであったから、正味50分ぐらいの時間であろうか。そのときは自覚がなかったのだが、宮ギの人に宮宮の話をしたことで、自分の中の何かが動いたんだと思う。プスプスとくすぶっていた消し炭のような「宮宮」への思いに、じわっと火が付いた。消し炭は簡単に火がつく。そして意外にも火力が強く、新しい炭を追加すれば、あっという間に燃え上がる。
それまで、ぼんやりとではあるが「誰か」のために「何か」をしなくちゃいけない、と思っていた。実際、ぼくの周りの知人たちは、震災を期にいろいろなアクションを起こしていた。敬愛するりえ子姉は、震災以降、ずっと東北に通っている。知人であるカメラマンの蓮井さんは「スマイルレター」というプロジェクトに取り組んでいたし、師匠であるさとなお氏なんて、国を動かし公益社団法人まで立ち上げた。
でも、畠山さんと話をしてから、少しずつ「何かをしなくてもいいのかもしれない」と思うようになっていった。そもそも、そうそう東北に行くことはできない(時間的にも金銭的にも)。具体的にお役に立てるような技能もあまりない(補助金の申請手続きぐらいはできるか)。でも、「何かをする」のではなく、震災の動画や写真では見えないことを「感じてくる」だけでもいいのかもしれない。
よくよく考えてみれば「宮宮コンビ」は、「宮」が共通、という冗談みたいなことでスタートしたのだ。すべては動きながら考えてきた。今回だって、動いているうちに何かが始まるかもしれない。まずは行ってみよう。行ってから考えよう。ぼんやりとした思いが、実際の行動に繋がったのは、ようやく11月になった頃だった。
中身は何も決めずに、飛行機のチケットだけをおさえた。2泊3日。漠然とイメージしたのは「1日はレンタカーで海岸線を走ってみる」「1日はボランティア?」ということぐらい。あとは「残り1日、県職員もしくは地域の住民と話をしてくる」といった感じかなあとイメージしていた。
訪問直前になって畠山さんにFBでメッセージを入れた。
そんなぼくの「軽い」相談を、
ネットワーク力のある畠山さんの周りには、
しかしてこの行程は、まるで知事レベルの視察行程であった(笑)。
「ぼくらも外からくる方を案内するトレーニングになります。
この言葉で、ぼくも随分気持ちが楽になった。特に野呂さんは、会ったこともないぼくのために、相当の労力を注いでくれている。なんていい人!
…そうなのだ。今回、特にこのお世話になった2人への報告書のつもりで、書き始めたこの文章なのである。でも、今の気持ちを伝えるには、
さて、今回の訪問は、「被災地の今を感じること」が目的ではあったが、
実際、
幹線道路には「○○省○○対策事業」
でも、ぼくが「今」を感じたのは、
■宮ギ県庁から山元町に派遣されているA氏は、
■宮ギ県庁N氏は、昨年から震災復興推進課に異動し、まさに最前線で国との調整業務に追われている、というこ
■宴会に来てくれる名前を聞いても思い出せなかった宮ギ県庁のSさんは、
■宮崎で会ったことがあるのかもしれない宮ギ県庁のSさんは、やっぱりたぶん初対面、のハズ。
■仙台「○たけ」の石山くんは、あまり練習してないといながら、
■そこにあとから駆けつけてくれたリエちゃんは、シェアカフェ「まるはた」
■気仙沼「アンカーコーヒー」のやっちさんは、
■気仙沼「洋菓子店コヤマ」の五代目小山さんは、「絆」
■宮ギ県庁のスーパースター山田さんは、事前に聞いてた以上に、
■気仙沼「すがとよ酒店」の菅原さんは、
■南三陸さんさん商店街「ヤマウチ鮮魚店」のお母さんは「三陸ホタテの炙り焼き」
■石巻「漁業生産組合 浜人」の阿部くんと西條くんは、地元・
■「津田鮮魚店」の津田くんは、3月に行う自分の結婚式で、
■石巻「居酒屋五エ門」のバイト君は、
■塩釜「マルブン食品」のブンさんは、慶長遣欧使節団の出航400年の
■宮城県仙台地方振興事務所農業農村整備部のブログ「
■宮ギ県庁のノロッチは、奥さんラブで、子どもラブで、
■NPO理事長の畠山さんは、とにかく顔が広くて、発想が自由で、第一次産業を心から大事にする、こせがれたちのアニキであった。
今回、仙台〜気仙沼〜南三陸〜石巻〜塩釜で、たくさんの人と、いろいろな話をした。
そうなんだな。たまたま震災に遭い、家や店が流されて、
もちろん、被災者の悲しみや辛さを理解できた、
それでも、今回、出会った人々と濃密な時間を過ごしたことで、
宮ギ・宮ザキで「宮宮コンビ」なんて、
宮ギを旅しながら再認識したのは、
その「何か」は今でもよくわかんないんだけど(笑)
ま、それこそが「宮宮コンビ」による「宮宮の絆」ってことで。
最後に。畠山さん、ノロッチ、次に宮ギに行くときは、「