事務分掌は一行

2013-01-07 (月)

仕事 地方公務員

10年ほど前、ぼくは非常に珍しい「事務分掌」(県庁用語:いわゆる業務分担のこと)を与えられた。通常は5つ前後の業務がずらっと並ぶべきところに、一言だけ「防災ヘリに関すること」とあったのだ。

 

詳細は省くが、当時、宮崎県には防災ヘリが配備されていなかった。阪神淡路大震災で防災ヘリが大活躍をしたことを受け、全国の都道府県で配備が進む中、事実上、最後の「未配備県」という状況であった。当然、防災担当部局は何としても導入したかったのだが、ヘリの運航・維持には莫大な経費がかかるため、財政当局は断固反対の立場であった。そんな中で、「では導入の可否について検討だけはしよう」ということになり、職員1名が配置された。ーそれがぼくだった、というわけだ。

 

ほぼ何も決まっていない状況だった。前任者ももちろんいない。消防防災課防災担当というところに机と椅子を貰い、「まあ、宮崎県に防災ヘリを導入できるかどうかは、あなた次第だ。よろしく!」というのがほぼ唯一の業務説明。異動した初日は「防災ヘリの歴史はこう」だとか「消防庁からは宮崎だけ防災力が低いので何とかして欲しいと言われている」だとか、周辺情報を教えて貰っただけで終了した。

 

2日目。すでに誰からも何の指示もなかった。その事実に「防災ヘリに関すること」をまるごと任されたのだ、ということを自覚せざるを得なかった。昨日の話から言えば、スタート地点にたったところで、すでに「手段から開放」されていた。それどころか、まだ防災ヘリの導入をするべきかどうかすら決まっていないのだから、目的すらないわけだ。

 

だから、まずは「宮崎県にとって防災ヘリが必要かどうかを考える」という、「目的探し」から、本当のゼロポイントから取り掛かったのだった。その後の敬意をざっくりとまとめると…

 

(1年目)

・防災ヘリにかかる有識者会議を開催。何度も会議を重ねた結果、「防災ヘリは本県にとって極めて有益。大きな経費負担については汎用性のある活動にすることで費用対効果を高めるべき。導入すべし」という結論を得る。

・導入に向けた交渉開始。用地の確保、予算の確保、各種許認可など。

・特に予算確保は財政との全面戦争化となる。膨大な経費をこまかく積み上げて説明。なんとか予算計上(導入決定)にこぎ着ける。

 

(2年目)

・ヘリの機種選定。米国製、仏製、日本製の3機種から専門部会で検討。米国製に決定。装備内容も決め、発注。

・県民に親しんでもらう為、機体デザインを募集し、決定する。

・宮崎空港内に用地を確保。防災ヘリ基地の設計作業。

・ヘリに搭乗する隊員の選考。救命救急士の採用は全国初の試み。

・隊員の人件費について、市町村からの経費負担ルールの策定。

 

(3年目)

・機体の愛称を募集。名称は「防災救急ヘリコプターあおぞら」に決定。

・ヘリが米国から輸入され、埼玉の組立工場にて完成検査。その後、自ら飛行して宮崎空港に納品。

・防災ヘリ基地の工事開始。冬に完成。

・隊員らの訓練開始。同一機種を抱える他県航空隊(福島・長野・和歌山・鹿児島)に依頼して長期派遣訓練。

・帰還後、消防学校内に仮事務所を構え、自隊訓練開始。

・訓練場所も含め、県内の臨時離着陸場の調査を実施。

・2月 運航開始。

 

改めてこうやって書くと、なんだかスムーズに進んだようにも見えるかもしれない。しかし、実際にはいくつもの壁にぶち当たり、交渉が決裂し、頓挫し、進行が完全にストップし、あるいは逆行すらした。進んでは戻りを繰り返しながら、目の前に生い茂る草木を払い、行く手を阻む岩をどけ、悠然と流れる川に橋を渡し、時には迂回し、トンネルを掘り、なんとか「道」をつくりながら、前に進めていった。その間、どれだけの冷汗をかき、どれだけの眠れない夜を過ごしたかわからない。

 

でも、結局は「自分の頭」で「どうすることが宮崎によって有益か」を考え、何らかの方向性を探り出すしかなかった。そうやって、ひたすら「防災ヘリに関すること」を考え続けた。無論、上司に相談することはある。でも、結局のところは、「ぼく以上に防災ヘリのことを考えている人は誰もいない」のだ。何らかの方向性を示すのは、ぼくにしかできないことなのだ。なにせ事務分掌は一行「防災ヘリに関すること」なのだから。

 

ちなみに、どのレベルまで考えたかという例をあげると、防災ヘリを格納し、隊員たちの待機・訓練施設となる「基地(正式名称:宮崎県防災救急航空センター)」。詳細な設計図面は、もちろんプロに依頼したのだが、どういう部屋の配置にしたら、隊員が活用しやすいかを考えて、ああでもないこうでもないと考え、最終的には、エクセルを使って仮図面まで描いた(笑)。設計事務所の人に呆れられたり感心されたりしつつ、結局、ほぼぼくの案通りの配置で設計されることになった。

 

よく言えば「全権委任」されているし、悪く言えば「逃げ道がない」ということだ。非常なプレッシャーであり、快感であった。たかだか30代半ばのぼくの判断で、あらゆるモノゴトが決まっていくのだ。どんなトラブルが現れても、ぼくがギブアップしない限り、何らかの解決策はあった。ひねり出した。そうやって無我夢中の3年間を過ごし、最終的に「防災ヘリが活動を開始し、人命の救助を行った」というところを見届けることができたのだった。

 

まあさすがに、「目的探し」から始めるのは非常にレアケースではあろう。でも、明確な「目的」があれば、業務は自分で作り出せばよいのだ。「防災ヘリに関すること」。そのたった一行の言葉から、どれほどの仕事が溢れでたことか。これを自由を言わずして何と言おう。つまりはこれが目的の明確化=プロジェクト化であり、「手段からの開放」なのである。

 

[13.01.07]

・最終四半期のチーム業務確認。雇用施策方針案作成。予算内示(ほぼ満額)。

コメントを残す

海森堂rss

過去ログ一覧

最近の投稿の画像