新聞広告と復興ポスター

2012-09-12 (水)

仕事 友人知人 宮崎県

公務員もサラリーマンであり、大きな組織の歯車であるから原則として代替はきく。ぼくが倒れたら誰か他の人が滞りなく業務を引き継いでいく。それでも、「これは自分でしか、なしえなかっただろうな」と勝手に自負している仕事がいくつかある。そのひとつが口蹄疫終息後に短期間で展開した「お礼広告」と「復興ポスター」である。アートディレクターをお願いした日高英輝さんがこの件をコラムで取り上げてくれていて、なんだかいろいろ思い出した。

 

庁内・議会の調整と予算の獲得、意見集約、日高さんへの依頼と打ち合わせ、個別具体的なボランティアの手配と現場の仕切り…。6月後半にスタートした企画は、7月に議会で予算の承認を得て制作に取りかかり、8月に広告掲載、9月にはポスターの掲示を始めた。民間ならいざ知らず、行政でこのスピードは相当なものだと思う(@当社比)。

 

新聞広告は、全国紙4紙+エリア紙という規模で展開した。国民の1/3(発行部数計)にメッセージを届ける、というのは県政史上初のケースのハズ(記録がないから未確認だけど)。大手メーカーならいざ知らず、うちのような予算の少ない県としては極めてレアな出来事である。

 

復興ポスターは、予算を削るのが仕事?の財政課から「わずかだけど予算付けるから県民が元気になるポスターを」という逆オーダーを受けたものだった。そして、付いた予算は、ホントにわずかなものだった(苦笑)。

 

それよりなにより、広告にしてもポスターにしても、県民の複雑な心情を慮りつつ、ポジティブなメッセージを打ち出さなくてはならないという部分が一番悩ましく神経も使った部分だった。

 

いろんな人が協力してくれた。実費だけで引き受けてくれた日高さんはもちろん、ぼくがずらずらと箇条書きにした「全国に伝えたいメッセージ」を、とても素直で心にしみる文章に仕立てていただいたコピーライターの名雪さん(初めて読んだときは涙が出た)。ポスター撮影に全面的に協力していただいたカメラマンの蓮井さん。同じくカメラマンの渡辺くん。天候不順のなか、奇跡の一枚が撮れた。そして国民的美少女・工藤綾乃ちゃんをはじめ、モデルとして出演いただいたボランティアのみなさん。いろいろ相談にのってくれた宮田っち。宮崎を思う気持ちがひとつになったのがあの広告であり、ポスターだった…と思っている。

 

結局、うまくいった(*)のは、関係する幹部に「事前」に意向を確認して、あとはすべてぼくと日高さんに任せて貰ったことだ。「事後」、つまり、できあがったあとは、ポジティブな意見以外は全部はねのけた(←何様!)。当時の副知事(現知事)の意見も聞かなかった(ごめんなさい)。ある意味、日高さんと心中したようなものだったな。むちゃしたな~。

 

…なんて、思い出に浸ってもしょうがないのだが、時々は、この頃の「思い」を蘇らせて、今の自分、明日の自分に気合いを入れることも大事なのかもしれない。さて。今、目の前に立ちはだかっている無理難題をどうやってクリアしてくれようか。

 

(*)某新聞が事後アンケートを取り、数字的に過去最高の好感度評価を得た

(*)新聞協会も優良事例としてアーカイブしてくれている。

 

[12.09.11]

・議会対応。午後時間休。娘1号参観。

・「鬼婆」★★★★。新藤兼人監督。面白い監督だ。自分の愛人にこんな役をやらせるなんて。いやあまだまだ見たい新藤作品。

 

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