ジャクソン・ポロックと大友克洋

2012-04-30 (月)

アートなど

最近、週に1~2回しか更新しないことが多いので、日々の思いがポロポロとこぼれ落ちている気がする。ただでさえ記憶力が悪いのだから、せめて脳からアウトプットして外部サーバー(つまりココ)に保管しておかないとな。

 

先週、自腹で東京に行った際、できるだけその投資額を回収すべく(せこい)、短い時間をつかって2つの展覧会を見に行った。

 

ひとつ目は「ジャクソン・ポロック展」東京国立近代美術館。

 

ジャクソン・ポロックといえば、全盛期のアクションペインティングが有名だが、画集のような小さな画面でしか見たことないので、「インクがでたらめに飛び散った絵的なもの」といった印象だった。それでも「飛び散り方」はとても素敵で、よくもまあこんなにバランスよく散らせたものよ、と思ったものだった www

 

生誕100年を記念したこの回顧展は、このインクを垂らす手法(ポーリング)に辿り着くまでの課程が面白かった。ピカソ的なキュービズムあり、インディアン的な砂絵あり。「くそ!ピカソが全部やっちまった」と嘆いたというくだりが、作品からもしみじみ伝わってくる。

 

そうして辿り着いた全盛期のポーリングの絵は、いや絵というか面というか、得たいのしれない「世界そのもの」が目の前に現れたような錯覚を覚えた。画面全体で「場」を作り出しているような感じ。個人的には200億円の値がついたと言われる「インディアンレッド血の壁画」よりも、小品ながら色合いと線のバランスが素晴らしい「No.11」が印象的だった。この絵の目の前に座ることができたら、半日眺めていられそうだった。あまりに気に入ったものだから、いったん出口まで行ったのを逆走してもう1度見たほど。いつか大金持ちになったらこれを買おう w

 

 

もうひとつは「大友克洋GENGA展」3331 ARTS CHIYODA。

 

高校生のときに「童夢」を読んで以来、かなり熱心なファンである。漫画の単行本はもちろん、画集も持っている。大友作品は、絵の緻密さ、大胆なアングル、独自の浮遊感など、とにかく「絵」の説得力が図抜けているので、荒唐無稽な話であっても、相当なリアリティをもって読者に迫ってくる。初期のアメリカンニューシネマ的な俗っぽい作品も好きだし、「童夢」「AKIRA」といったサイバーパンクな作品もぐっとくる。

 

とはいえ、正直、「原画」をそれほど見たい、という思ってたわけではなかった。何しろ繰り返し読み、穴があくほど見入った漫画たちである。おおよそ「原画」のイメージもある。それを確認してもしょうがないかなー、ぐらいの気持ちだった。ところが、実際に見た「原画」は、とんでもないものだった。何が凄いって、「原画」であるから、線の緻密さや、ペン先・筆先の息づかいが目の前にあるのである。線の緻密さ、と簡単に書いたが、緻密、という言葉がものすごく「大ざっぱ」に感じられるほど、本当に、緻かく密、なのである。

 

特に単行本の表紙やポスターなどに使われたカラーの原稿は凄まじい。筆先に全神経を集中させて、息を止め、0.01mm単位の線を引いている。べったりの塗ってある「地」の部分ですら、細心の注意を払って描かれているのが伝わってくる。見ているこちら側まで息を止めてしまうほど。

 

とにかく圧倒された。大友克洋恐るべし。今月厳しいのに、また画集を買ってしまうです。

 

誰でも描いていいラクガキコーナーにいろんな漫画家さんたちもラクガキ。かわうそくん www

 

[12.04.29]

・朝から仕事。8:30-20:00。

・ランチで外に出たあと、宮崎国際ストリート音楽祭を覗きに。小1時間ほど。唯一の家族サービス。キナコとかみやざき犬とか頑張ってた(嬉)。

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