チーム「for MIYAZAKI」

2012-04-29 (日)

仕事 友人知人 宮崎県

なんと言ったら良いのだろう。それなりに長い県職員生活のなかでも、最上級に嬉しい夜だった。4月25日、うちうちで「ドクターヘリの就航を祝う会」が開かれ、ぼくを含めた「過去の担当者」たちもお招きいただいたのだった。

 

ドクヘリ活動の主役であるフライトドクター、フライトナース、そして救命救急センターのナースたちはもちろん、宮崎大学からは、学長、附属病院長、医学部長らが、県からは、知事、部長、次長が出席、さらにシンポジウムで来県された國松理事長、現場トレーニングに尽力いただいているミスタードクヘリこと松本尚先生も、ゲストとして参加。これ以上ない華やかなメンバーが揃っての会だった。

 

そして幹事を務めたのは、わが友・金丸ドクターである。会の冒頭で、彼が言った言葉がこの日のすべてだった。

 

今夜は夢を語りましょう

 

近年、医療の現場は、とても厳しい。患者からの要望が高まる一方で、専門化・細分化が進んで、圧倒的な医師不足の状況となっている。なかでも救急分野は、激務もあってなり手が少なく、崩壊の危機が続いている。今そこに、ドクターヘリという、小さな、でも力強い希望のホノオが灯ろうとしているのだ。ここから、宮崎の救急医療が、そして地域医療全体が変わっていくかもしれない。激務を自ら望んで引き受け、県民の命を守ろうという高い理想をもった医師、看護師が増えていくかもしれない。…そんな熱い夢を語る夜であった。

 

ぼくが医療担当をしていた3年間で、壮大な夢を語る医師が2人だけいた。そのひとりがドクヘリの夢を語る金丸医師であり、もうひとりが周産期医療の夢を語る池ノ上宮崎大学付属病院長(当時は産科教授)だった。

 

医療の現場では、医師たちはなかなか夢を語らない。「現実は甘くない」「理想を語れる状況じゃない」。そういう医師が圧倒的に多い中、この2人だけは、いつも「こうしたいんだ」「やればできるんだ」と熱く語っていた。宮崎大学に池ノ上病院長がいるときに、金丸医師が帰ってきた。宮崎県民にとって、本当にラッキーなことだったと思う。

 

もうひとつ。若くして鬼籍に入られた先輩・吉田拓夫さんのことも書き加えておく。ほんの2年前は、宮崎にドクヘリを導入するというのは、まったくリアリティのない話だった。救急医は慢性的に不足している。ハードもまったくない。莫大な予算とたくさんのスタッフを必要とするドクターヘリは、夢のまた夢だった。

 

しかし、拓夫さんは「宮崎の医療を再生するために、ドクターヘリの導入は不可欠」という思いで関係者を熱心に口説いて回っていた。その熱意に唯一人、応えてくれたのが、池ノ上病院長だったのだ。まったくの「ゼロの状態」で「夢にかける」のは、たぶん池ノ上病院長でなければ無理だったろう。その決意が金丸医師を宮崎に呼び戻すことに繋がり、ドクヘリ導入への挑戦が始まったのだった(その後、菅沼学長や迫田医学部長という、力強い応援隊を得たことも大きかったな)。

 

聞くところによると、4月18日の運航開始式が終わったあと、池ノ上病院長と金丸医師は、拓夫さんのお墓に報告に行かれたのだという。みな思いは同じだったのだ。

 

夢をもたなきゃね。夢を語らなきゃね。すべては夢から始まるのだ。

 

 

※会の最後に、救急センターのスタッフから、来賓へサプライズプレゼントがあった。それは、名前入りのフライトユニフォーム。

(左から迫田医学部長、國松理事長、河野知事、菅沼学長、池ノ上病院長)

 

背中にはもちろん「for MIYAZAI」

 

[12.04.25]

・議会用資料づくり。

・お祝いの会「ベル・エポック」。2次会「TIME」。松本先生、落合教授、金丸医師、長倉、長友、前田。「コードブルー」のウラ話など。長倉と2人で「hana」。

[12.04.26]

・常任委員会。質問の半分はうち。

・ソレイユ保護者会。息子のつくった鍋を食ってから参加。

[12.04.27]

・延岡出張。総務商工センター、ヤングJOB、ハローワーク延岡、プラザ、九州保健福祉大学。ランチ「松乃寿司」でオリエンタルチキン南蛮。

・会検準備20:00。

[12.04.28]

・GWだというのに通常出勤。チーム全員で会検準備。書類チェックを永遠と。ランチ「アンダーバー」。街市を少しだけ覗いたら、抽選で新茶(特等)と出汁巻き玉子が当たった。ラッキー。8:00-22:00。

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