「みやがる」の定義を変えろ!

2012-03-18 (日)

余談

以前、イタリアンシェフの川越達也さんと打合せをした際、「宮崎の人を信用できないところがある」という話があった。単身、東京へ出て、孤独に戦い、ようやく自分の店を持って、メディア等にも取り上げられた頃に帰省して、地元の仲間と飲んだとき、言われた言葉が「お前は昔から「みやがり」やったからなあ」だったそうだ。

 

※「みやがって」…得意になって。威張って。(新・宮崎市方言辞典より)

 

この方言辞典ではやわらかい表現で書いてあるが、「みやがる」というのは、もっとネガディブな意味がある。「調子にのっている」「いい気になっている」「生意気な」というニュアンスだ。小学校で「あいつ、みやがっちょる!」と言われた日には、即イジメの対象だ。

 

川越シェフのショックと落胆は相当なものであっただろう。ようやく「故郷に錦を飾った」つもりでいたのに、歓迎されるどころか非難の眼差しを浴びるなんて。こういう成功者?の足を引っ張る田舎者気質というか、出る杭を打つ体質というのは、確かに「宮崎人」には顕著な特徴なのかもしれない。

 

そこで川越シェフには「今の宮崎は変わりつつある」という話をした。世間からの厳しい視線を飄々とスルーし、強い信念を持ち、前に向かい、どんどん「みやがっている」人も増えている、と。他者に依存せず、自らができることで社会を動かそうとする人たち、宮崎をよくしていこうという人たちだ。

 

何かというと「文句を言う」ことしかできない人とはレベルが違う。出すぎる杭は「打てない」。とても力強い。しかもそういう「自ら行動できる人」が若い世代から強い支持を受けている。実名で自分の意志を表明するメディア・facebookの登場も、この流れを大きく後押ししているように思う。とてもいい流れだと思っているし、ぼく自身も、「そっちの流れ」に身を置きたいと思う。

 

そう話すと、少しは川越シェフも安堵した様子になり、「だといいですね。」と笑顔になった。そのうち、「みやがる」の定義が、「発想力、行動力が飛び抜けていること」という風に変わると、宮崎はもっと明るくパワフルな土地になると思う。宮崎から「みやがって」外に出ていった人も、地元に居座って「みやがり」続けている人も、みんなその世界のスターになればよい。

 

みんな、もっとみやがれ!

 

 

↓元祖・みやがり的な存在かも(30周年!のこのアルバムが待ち遠しい…)

 

 

[12.03.13]

・常任委員会。午後2時スタートで4時半終了。翌日に持ち越さずよかった。

・TM議員との懇談。「釜焼き鳥 嬉音」。2次会のスナックまで。

・求評会の懇談会へ途中から参加。英輝さん、中原シェフ、理恵ちゃん、高峰ちゃんなどと。「ぐんけい隠蔵」。

[12.03.14]

・資料の整理。

・今週は家人が忙しいので娘2号のお迎えを。夕食に「続・タニタ食堂」レシピ。これも旨いね。

・「チェイサー」★★★★。2回目。やはりエグいなあ。エグい映画いいなあ。

[12.03.15]

・資料の整理。夕食は家人の作りおいたハヤシライスと、ぼくのスペシャルサラダで。

・「最後から二番目の恋」。残りあと1話。

[12.03.16]

・かぁくん3号の色決めなど。「ゆるみやP」の件で総務部長などと。議会資料の整理がようやく終了。

[12.03.17]

・息子の耳鼻科(様子の確認と1月分の薬)、ブラザー理容(染)、「カプリチョーザ」でランチ。

・「はなちゃんの味噌汁(文藝春秋)」。なんというか星をつけるような本ではないね。ひとつの家族の物語。理解できるところも、理解しづらいところもあるけれど、ある家族の物語として深く胸に染み入るものがある。はなちゃん頑張れ。

[12.03.18]

・掃除洗濯、娘2号の相手。

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