自己紹介
似顔絵
友人の漫画家・山本英夫さんに描いて貰ったもの。激似(と思う)。この元絵には「殺し屋1」に登場する残虐キャラ・垣原も描かれている。つか、垣原と並びで描かないでよ。ちなみに、この漫画は三池崇史監督により映画化され、タランティーノ監督の「キル・ビル」にも多大な影響を与えている名作中の名作。
ハンドルネーム・ペンネーム
甲斐慎一郎を縮めて「かいしん」。
小中高でそう呼ばれていたのをそのまま使用。
字面が好きでずっと「海森」の当て字をあてている。
新宿3丁目に「池林房」から暖簾分けしている「沖縄居酒屋 海森」があるけれど、もちろん、何の関係もない。つか、一度行ってみたい。
生年月日・住まい
1966年10月18日 天秤座 A型。
宮崎生まれの宮崎育ち。
人生の大半を宮崎で暮らしてきたが、大学で4年間、就職後1年間東京に住む。
宮崎神宮近辺に在住。
家族など
妻ひとり愚息ひとり愛娘ふたり。
愚息:ケータツ(H2001年生)
娘1号:ハナ(H2003年生)
娘2号:リンコ(2010年生)
履歴とか本業とか
穂北小学校(2年間)
上米良小学校(3年間、のち廃校)
妻北小学校(1年間)。
日向学院中学校。当時は男子校だった。
宮崎南高校。浪人して補習科にも1年。
明治大学政治経済学部。学士貰ったけど、政治のことも経済のこともよく知らない。
1990年(H2年)宮崎県庁へ入庁。
バブルの時代に、受験勉強までして就職。しかも給料は民間平均の2/3しかなかった。
土木関係(2年)
福祉関係(3年)
民間研修(1年)〜ZIPLOCKのプロジェクトに携わる。
企画関係(3年)〜廃止代替バスとか、高千穂鉄道とか、陸上交通網全般。
→今、思うと、あまり仕事に情熱を注げていなかったダークサイド時代(笑)
人事関係(3年)〜採用試験にマークシートを導入。
防災関係(3年)〜防災救急ヘリ「あおぞら」を導入。
医療関係(3年)〜修学資金とか、派遣システムとか、こども医療圏とか、協議会設立とかいろいろ。
広報関係(3年)〜大手民間企業とのコラボを多数企画。口蹄疫の際は「感謝祭」等を実施。
→新規プロジェクト的な業務が続いて仕事が楽しくなってきたこの10年余。
宮崎の魅力を県外に発信する業務を担当して4年目。自分の適性に合った仕事であるせいか、県内のみならず、日本中に仲間ができ、相当質の高い仕事をしている実感がある(無論、結果出すために必死なんだけれど)。県庁に「営業職」「クリエイティブ職」を根付かせたいと思う今日この頃。
資格とか趣味とか
車の免許以外には、ダイバー免許(PADI オープンウォーター)ぐらいしか持ってない(笑)。
ああそうだ。みやざき観光・文化検定の3級。どっちにしても、たいしたことないな。
趣味は、読書、音楽、映画、アート・デザイン、ときどきマラソン。
サイトをはじめた経緯など
始めたのは2001年3月。「無料でホームページがつくれる」という本を見つけて、「作ってみた」のが最初。Microsoft Offieceにおまけ?でついていた「FrontPage」を使ってHTMLのページをつくり、「FFFTP」というソフトを使って、「クールオンライン」という無料サーバーにデータをアップしていた。懐かしいな。
なので、そもそもが発信したい情報もなく、日記を書いたり、ネタ日記みたいなものを書いたり、体験ルポみたいなものを書いたり…と、とりとめもないまま、なんだかんだで今に至る。
いまだに、第三者に読まれていることを忘れて、ついつい罵詈雑言を書いてしまい、あとで嫌な汗をかく。
「海森堂」をきっかけとした、いろいろな人々との出会い
エロとバカしか書いてないサイトでも、それなりに読者はいてくれて、いわゆるオフ会みたいなものもやってきたし、親しい友人もできた。
東京在住のB女史は、美味しいもの食べ歩き仲間で、リアルの付き合いも随分長くなった。今度、一緒に仕事をすることになって、本当に不思議な縁を感じる。
アメリカ在住のK女史は、アメリカ出張の際にものすごくお世話になった。彼女がコーディネイトしてくれて調査に行った某病院の思想は、来年宮崎県に導入されるドクターヘリにも受け継がれている。
兵庫県在住のF女史。ハンコ屋さんの彼女には「海森堂」のハンコ(トップページのもの)をつくって貰ったり、家を新築する際、「表札」をデザインして貰った。
…って女子ばっかだな(笑)
えーっと。女子以外では、さとなお師匠。あの「さとなおcom」のさとなおさん。この10年ですっかり文化人になってしまわれた。個人サイト運営>素人グルメサイト開設(「ジバラン」書籍化)>さぬきうどんブームに貢献(「うまひゃひゃさぬきうどん」)>沖縄料理ブームに貢献(「沖縄やぎ地獄」「沖縄上手な旅ごはん」)>ネットビジネスの位置づけを分析(「明日の広告」)>ソーシャルネットワークの未来を予見(次回作)。
背中すら見えなくなってしまった今、自称弟子は戸惑うペリカン。
それにしても。今でこそ、mixiやfacebookなどで、WEB経由で知り合いになることも珍しくないけれど、それ以前の「海森堂」経由で親しくなった友人とは思い入れが随分と違う気がする。単に付き合いが古くなっているからかもしれないけれど…。
これから〜
気分的には、設置当初と変わらず、「ホームページの作り方」だったり、「ブログの作り方」を永延と実験している気分です。今回のリニューアルも「facebookとtwitterを見れるようにしてみた」ところ。でも、さすがにデータがたまってきたので過去データをもう少し整理したい。今回は、山口さんに技術支援をしてもらった。感謝。デザインや仕様で、ずーっとモヤモヤしてたものが随分解消されました。
そんなこんなで。みなさま、これからもよろしくお願いしますです。